逆説の日本史 9 戦国野望編/井沢元彦著

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「逆説の日本史「9」戦国野望編」  井沢元彦著 小学館文庫

本書は気鋭のというばかりでなく、大変迫力のある、もう一ついえば、あらゆる批判に対し、場合によってはそれぞれを真正面からぶった切っていく、覚悟を秘めた充実感のある作品。

どの書店でも平積みという栄誉に浴していることからもベストセラーの仲間に入っていることは想像に難くない。

平均的な一般歴史書をかなり読んだ経験者にも「目からうろこ」の認識や見方を供与してくれる。

新しい感覚と新しいアングルから文献を掘り起こし、優れた日本史を著わす力は情熱のかたまりと人間的にシャープな洞察力の集大成といっていいかも知れない。

ただ、言葉の重複、たたみかける文体、しつこいまでの物言いには辟易もしたし、うんざりが嵩じて何度か頭痛もした。正直いって、読後は疲労困憊という態だった。本書は読むうえでエネルギーと忍耐を要求する。歴史に知識があればあるほど。

にも拘わらず、教えられることも少なからずあり、ヒントとしてもらった言葉はわずかではない。

以下は、本書から学んだこと、感心したこと、ヒントになったこと、感想など。

1  南アジアでは姓がなかったのが通説。姓をもつようになったのは中国の影響が多分にある。たとえば、足利尊氏は本来の姓は「源」であり、住居が足利であっため、苗字に過ぎない「足利」を称するようになる。苗字と姓とは根本的に異なるものだという話は知らなかった。頼朝に加勢した一人、新田義貞も同じく源姓でありながら、栃木県の新田の出身であるため新田義貞と名乗ったと聞く。(ちなみに、現在でもインドネシアのバリ島では名はあっても姓はない)。

2. 沖縄に関する記述は性急にすぎ、詳細に欠ける恨みあり。沖縄本島だけですら、言葉は互いの方言が伝わらないところ、いわんや石垣島、宮古島、与那国島などとは意志の疎通そのものに苦労したはずだ。「ウチナンチュ」といい、「メンソーレ」というも、いずれも那覇と首里を中心とする一部地域の言葉でしかない。
「1500年の琉球王府による石垣島征伐を平定と呼ぶのはおかしい」との著者の言に賛同する。歴史を懐古する言葉はいくらでも美名で、事実を歪曲した形で収拾がつけられるから。

ただ、言葉は室町から鎌倉の言葉が沖縄に伝わり、それがなまって本島から離島へと伝播、長期間使われてきたから、いまのわれわれにはチンプンカンプンだが、われわれが室町時代の日本人の発音を聞いてもやはりチンプンカンプンであろう。また、沖縄の言葉のなかには中国から飛来した単語もかなりの数で残っていることも併せ知っておいたほうがいい。たとえば、「シークヮサー」というミカンがあるが、これなどは中国語の「シュイクォーツ」(水菓子=果物)からの転化であろう。

さらに、「ちゃんぷるー」という言葉がある。料理で具を混ぜてつくるために、その名があるが、インドネシア、マレーシアでも混ぜ物料理をまったく同じ発音で「チャンプルー」という。私は長崎の「チャンポン」もあわせて、いずれも中国語が語源ではないかと思うし、そこから「いいかげなこと」を「チャランポラン」というようになったと推測しているのだが、信憑性については保証しない。

3.「平和、独立、侵略、すべて真空の美化された空間にあるのではなく、現実的な政策、戦略の総枠のなかにある。それが歴史の現実だ」 同感。

ただ、「歴史は常にときの権力者、為政者、勝利者によって虚飾され、改竄され、捏造され、それをもって正当化してきた。」とくに、この国では真実を歴史に残そうという意志が希薄だった。もっとも、中国だって、かれらのいう歴史がそのまま真実なのか否かについては疑問がある。

4.「商は詐なり」とは老中、松平定信の言葉だが、農業を重視するあまり商業を賎業とする風潮が強かった。これは中国の農本主義の延長線上にあるが、これが日本にも長く残滓(ざんし)となる。(とくに東国で)。

中国にはむかしから内憂、内乱などの厳しい状況が生まれると、その矛先を外国に向けるという外交手段に出る癖がある。いうまでもなく「人民の目をそらすための機略であり詐略」である。

(北朝鮮を懐に入れて、アメリカと交渉させるなど巧妙このうえない。一部、韓国にもそうした風潮があるのは、中国との長い歴史的な関係からわからなくはない)。

5.日本の種子島に鉄砲を伝来したのはポルトガル人となっているのは間違いで、実際は中国人の「王直」という男だったという。王直は倭寇の一方のボスであり、五島列島の福江に居住、後に平戸に移住した。 わからないのは王直という男がなぜまず鉄砲を五島列島の福江の殿様、あるいは平戸の殿様に紹介しなかったのかということだ。わざわざ種子島にポルトガル人を同伴してきて売る姿勢は解せない。

6.倭寇については、本書著者は力を入れて、憤りつつ書いているのが伝わってくる。

14世紀から15世紀にかけて興った倭寇は当初は壱岐、対馬、五島を拠点とする日本人だったが、これは明が海外との貿易を禁じたことに端を発している。真実は、日本人が加担したのは14世紀から15世紀にかけて朝鮮半島を侵した倭寇の一割から二割で、あとの加担者は韓国人だったことが立証されている。当時、高句麗の権勢が落ち目だったという事情もあるらしい。

しかし、16世紀の倭寇はほとんどが中国人で、政府が海外に出ることを禁じたため、それまで農業で糧を得られなかった人々が「倭寇」の名を借りて、残虐、狼藉の限りを尽くしたのが真相であり、中国政府も日本政府に対し、これの対応、逮捕、懲罰を依頼している。 にも拘わらず、中国はなにかというと「倭寇」の問題を蒸し返しては日本人は残虐である、豊臣秀吉の朝鮮出兵も目的は対明攻撃と侵略にあったと、ことあるごとにわめく。 実際、目的がそうであったとしても、その折の出兵は朝鮮半島だけで失敗に終り、軍勢は敗北を喫して帰国している。

(秀吉がアジアへの進出を考えていたのは事実だが、明や高句麗に関する情報を手中にしようとの意志は見えない)。

7 武田信玄と織田信長との最大の違いは、前者が「同族企業」だったのに比べ、織田軍は「多国籍企業」にあったという。武田は実力主義をとらず、譜代の豪族を軸とする日本古来のやり方を大切にした。同族主義で、外部から血をいれず、安月給で終身雇用するスタイルが日本的土壌や風土に合致しているのかも知れない。

後に天下人となる徳川家康は結局のところ同族主義、衆議制を採用し、国土の安寧を図った。

孫子のいう「兵のことは詭計なり」を実践したのは毛利元就だったという。 日本には「だましの文化」がない。

(「だまされるやつが悪い」との考えはこの国にはいまもない。 現今、海外ではいくらもある話だが。日本人は、だから、性悪な外人とは外交ができない。

8.戦国を生きぬくには財が要る。上杉にしても、武田にしても、北条にしても、金山、銀山を所有していた。

9.信長の「兵農分離」は当時すごいアイデアだった。信玄は農閑期しか合戦が出られなかった。謙信にしたら、農閑期プラス積雪のある時期も戦いをひかえなければならなかった。 兵農の分離は田植えの時期、収穫の時期にかかわりなく、戦いがあれば即座に人間を使うことができた。

10.「憎悪は再生産され、いっそう苛酷な攻撃を生む」という言葉からは現在のイスラエルとパレスチナが見えてくるし、イラクに進駐したアメリカ軍とイラク人との角逐もなお予想されるところだ。

12.「燕雀(せんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」は、いかにも懐かしい言葉だった。

さいごに、著者の「歴史資料をうわっつらで見るな」は心にしみた。視座を変えてみることで、見えてくるものが違ってくる。


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One Response to “逆説の日本史 9 戦国野望編/井沢元彦著”

  1. 私、今日この本買いました。沖縄編しか読んでないですが、貴殿の感想と同じです。後は読んでないのでまだ読んでいません。確かに沖縄史は資料が少ないので研究は難しいと思いますが、、もうすこし 他の意見を書くのではなく、もう少しちゃんと自分の意見をまとめて書いてほしいですね。

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