透光の樹/高樹のぶ子著

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透光



    「透光の樹」 高樹のぶ子著(1946年生)  

     2002年5月文庫化初版(作者51歳時に単行本)

 4年まえに初文庫されたときに読んでいた本で、再読してみた。

 さすがに、筆致は大胆ながら、率直、素直。 変なぼかしはなく、性愛の場面が赤裸々に描写されていて、あらためて感銘を受けた。

 本書のポイントは六郎杉という名の、一本の杉の存在。真っ直ぐに伸びず、森のように育った杉で、若木のときヒコバエが四方に出、それが古木と化したまま田舎の原っぱにぽつんと立っている、杉としては稀な姿であり、横に伸びた枝上はちょうどベンチのようにすわることも、またぐこともできる。

 本書の成功は枝上にまたがって男女が抱き合う姿を想像させることと、同時に、英語のGとCの思いつきではないかと思う。

 

 男がGであり、女が小さいC、両者がベッドで横になり、男が後方から体をまるめながら、同じように体をまるめた女を後方から抱いて交接する姿、Gのなかにcを抱え込む形を読み手の脳裡に描かせる、そういう奇抜な発想、着眼点に達したところがこの著作を切れ味のよい、面白い小説に結果させている。

 男が癌に冒され、手術をすればセックスなどは出来なくなるという状況に立ち至ったとき、男は手術しての延命策を棄て、癌と同居しながら短い命のなかで、女との時間を大切にする。そして、セックスの力を失い、死を覚悟したとき、男は小刀で六朗杉にすわった枝の端で、上に向かって立ち上がる部分の付け根にGとcを刻みこんでおくという仕掛けをする。その刻みによって、女は男の死を悟るが、女は後にアルツハイマーに冒されたあとでも、時折り六郎杉を訪れ、横に伸びた枝にまたがり太い幹を抱きしめつつ自分の女陰をGとcの刻み部分に押し付け腰をねじり身を揉むような行為をする。その場面を娘の夫が発見するのだが、あまりに官能的なシーンに圧倒され、妻にも告げきれない。

 「人間は本能の毀れた生き物だから、生殖年齢を越えてまで、発情することができる。むしろ、本能にそむいて」という、作者の言葉には一理あるが、私には「煩悩が本能として生き続けている」ように思われる。

 本書に片栗粉(かたくりこ)の花が薄暮のなか斜面一面に咲いている情景が出てくるが、一度でいいから、片栗粉の小さな薄紫の花を見てみたいと思った。


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