遥かなるケンブリッジ/藤原正彦著

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「遥かなるケンブリッジ」  藤原正彦著
新潮文庫  1992年7月文庫化初版

 

 本書は1989年に、家族(妻と三人の男の子)を同伴し、数学者としてイギリスのケンブリッジに約1年間滞在したときの体験を書いたものだが、イギリスに関してはこれまでにも色々な人の手になる書を読んだし本部ブログにも書評したが、やはりというか、この作者の観察眼は正鵠を得、これまでの疑問がかなり氷解した。また、家族を同伴したために、筆が家庭内のことにまで及び、内容にバリエーションが生まれ、読み応えがあった。

 イギリスは日本と同じ島国だが、南部の先端からフランスまでたったの30キロしか離れていないところがミソというべきか、大陸とは歴史的に付かず離れずという関係を保ちつつ、外交術を巧みに育んできた過程がよく判る。また、島国であったために、欧州大陸内の抗争が陸軍に依存した歴史のなかで、イギリスだけは海軍の増強に、したがっては造船に注力できた裏舞台も理解できる。だからこそ、大陸側の各国が国境紛争に明け暮れていた間に、世界を股にかけて植民地化することにも成功した。

 また、イギリスは数学者にとっては、多くの有名な数学者を誕生させた土地として、きわめてロマンチックな国に映るようだが、作者が滞在したのはロンドンから90キロほど北に位置するケンブリッジであり、オックスフォードのような大学とはだいぶ趣を異にしている。(言わずと知れたことだが、イギリスでは数学者のみならず、科学者、物理学者、文学者など多数の天才的な能力を発揮した人材を生んでいる)。

 ケンブリッジはそもそも古代ローマ帝国が駐屯地を築いたところで、その後5世紀にサクソン人、9世紀にデーン人、11世紀にノルマン人の侵略を受けた。(イギリスという国は南部のイングランド地方、北部のスコットランド地方、アイルランドの北部という三箇所に別れ、それぞれが個性を異にしてもいるし、そのために「United Kingdam」(連合王国)という名称がある)。

 ケンブリッジは現在(1992年当時)、9000名の学部生、3000名の大学院生、160名の教官を擁し、ノーベル受賞者は戦後だけでも30人を越え、科学の分野では世界をリードする存在、周辺には大学の頭脳を求め、研究所やハイテク企業が進出、人口は10万。(ノーベル賞にも人種差別があると私は思っている)。ユニバーシティではなく、カレッジの集合体と考えたほうが実態を表している。

 ケンブリッジで美味に感ずるのはインド人が経営するカレーだけで、一般家庭人には味覚がないのかと思わせるほど食事はまずい。ロンドンに出る機会があれば、ほとんど必ず中国人が経営する中華料理屋に飛び込む。

 イギリスの子共たちの顔が一応に青白いのは、天候のせいばかりではなく、栄養に配慮のない食生活に関係していると思われる。栄養バランスで食生活を考え工夫するということ自体が国民性に合わない。アメリカ人やフランス人は「イギリス人には舌がない」と酷評する。(アメリカ人の主婦がつくるケーキの極甘の、味加減を測れぬ舌も、たいしたことはないし、所詮、味覚は中国人、フランス人、日本人が他の世界を圧倒していると私は思う)。

 イミグレーションでは「Foreigner」と「Alien」とのニつに外国人を分けて長期滞在者の登録が行なわれる。日本人は「Alien」に属し、異質で価値観を異にし、意志の疎通もままならない警戒すべき人物という差別的な扱いを甘受するしかない。

 アメリカ語はイギリス人にとって田舎の方言、アメリカ的ジョークは野卑で下品、イギリスで「アメリカ的だ」と言われたら、「下等だ」との意味である。アメリカのハンバーガーはイギリス人には「Junk Food」と呼ばれ、アメリカ人の好きなフットボールや野球はイギリス発祥のラグビーやクリケットの堕落したものと言う。(一方で、イギリス人全員がキングズイングリッシュをしゃべるわけではなく、ロンドンの下町などでは、いわゆるコニーイングリッシュといわれる英語とは到底思えない言葉が使われる。ハンバーガーがジャンクフードなら、イギリス人のつくる料理は「Below Junk」(ジャンク以下)ということになるだろう)。

 また、イギリスの文学者はアメリカ文学を決して読まない。イギリス人の五臓六腑にはシェイクスピアが染み込んでいる。こうした彼らの姿勢はヨーロッパの伝統に裏打ちされた奥深い自信であり、微笑はアメリカへの嘲笑となり、アメリカ英語をしゃべる者は憫笑される。(一方で、植民地以外のあちこちの国の民が英語を学んでいる事実は評価しているし、それぞれの国民が特有の癖をもつ発音をしても、理解する努力を惜しまないという面もありはする)。

 (アメリカを蔑視しながら、大戦時には第一次も第二次もアメリカの軍事力を頼って、辛うじて戦勝国になったことをどう思っているか。大戦時、もし日本とイギリスとが一対一で戦争したら、日本は決して負けはしなかっただろう)。

 イギリスの家はヴィクトリア朝時代までにほぼ完成されて、そのまま使われているから、築後50年なら「New House」と呼ばれる。イギリス人は古いものを大事にし、使えるものは朽ちるまで使うことを好む。古色蒼然といった家を好み、新しい家を見下すという不思議な趣味をもち、日当たりの悪い、隙間風が吹き込んでくる家で、外にいても中にいても、同じように寒いことにも平然としている。家に関する彼らの感性は保守性とか審美的感性というよりも自虐性に近いように思われる。(この200年間、地震が起きていないという背景がそうした好みを可能にしている)。

 イギリス人は滅多に風呂に入らないし、シャワーですら数日に一度しか浴びない。ほとんどのイギリス人が香水をつけているのは「不潔で臭うからだ」とアメリカ人学者はコメントした。(滅多に風呂に入らないのはイギリス人だけでなく、欧州一般に共通しているのでは?)

 イギリスが文学の分野で、作家の質と量、読者層の厚みにおいて世界で冠たる地位を築いたのは、陰気な天候のせいだと合点した。(英語で書かれる限り、翻訳という煩わしい介在者を必要とせずに、すくなくとも、元植民地であるカナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、南アはそのまま読んでもらえるという利点があり、日本語で書かれた文学書がいくら多くても、質が良くても、そこには越えがたい差が存在する。一方、ロシア、フランスにだって、それなりに文学者はいたし、「シェイクスピアよりドストイエフスキーを読んだほうが人生が判る」と言う人もいる)。

 産業革命を起こした国、蒸気機関車を発明した国というイメージを持ちながら、金儲けに走る人間をかれらは激しく嫌悪する。同時に、日本の受験競争は「ラットレース」と呼び、ねずみの競争に例えて軽蔑するし、アメリカの大学で論文生産に地道を上げ、会社では人の足を引っ張っても出世競争する姿を冷笑する。いずれも紳士道に逆らうからだ。経済の建て直しがいつまで経っても出来ないのはイギリス人自身の歴史的な習慣や感性に原因があり、サッチャーがアメリカタイプの経済社会を少しでも真似て経済の建て直しに励んだものの、失敗に帰した。世界屈指の科学王国でありながら、その技術を経済面での建て直しに使おうとはしない。

 とはいえ、競争原理による活性化には限度もあるし、副作用もある。

 イギリスは今だに階級社会であり、大きな屋敷を相続できる人は自らが金儲けをしたわけではないから、軽蔑されることもなく、羨望の的となる。(だから、インドのカーストも気にならなかったのではないか。国土の約半分は全人口の3%の貴族が所有しているという実態は気味の悪さとともに、度しがたい封建制を感ずる)。「イギリスは民主主義を生んだ国でありながら、民主的でないのは、民主制が多数決で決まることを熟知しているからで、しばしば力関係が反映されすぎて公平を欠き、大局観も平均値的レベルにとどまることを知っているからだ」というのは至言かも知れない。

 イギリスの女性にはブスが多く、みな無愛想。だから、男たちは女に気が散らず、勉学に集中できる。イギリス人夫婦を嘲って「アメリカ人夫婦のベッドにはセックスがあるが、イギリス人夫婦のベッドには湯たんぽがある」と皮肉った言葉がある。ケンブリッジの男性たちは男性同士の友情が異常に濃く、それがしばしば同性愛に発展する。経済学で有名なケインズも同性愛者だったし、19世紀オスカー・ワイルドは同性愛で2年間投獄された。

 イギリスは自らの矜持が原因となって、根無し草のように浮遊している。(イギリス人がイギリス的紳士道、優越意識、過去と縁を切れない自負心を棄てない限り、イギリスの復活はない)。

 言語は人間の思考を表現する道具であるばかりでなく、言語を用いて思考するという点で、思考そのものを規定する働きをもつ。だからこそ、ユーモアはそれぞれの国で異なり、それぞれ国境を越えにくい。

 作者は「日本の繁栄に対し、世界の国が羨望こそすれ、尊敬とはならないのは、その原動力たる技術革新が自国の経済的優位を企図するものだけになされるからである」と言うが、私はそうは思わない。日本人が尊敬されないのは、黄色人種だからであり、黄色人種が繁栄を手にしたことに対する不快感が白人たちの根底にあるからで、たとえ、作者が言うように「普遍的価値の創造による人類への貢献をした」ところで、コーカソイドは見て見ぬふりをするだろう。

 日本が世界のリーダーになることは永遠にあり得ない。武士道も、繊細な情緒も役立つことはない。軍備を拡大し、徴兵制度をもち、核武装をすることの方が道は早い。アメリカがリーダーシップをとってこれた最大の背景はアメリカの質、量ともに誇る軍事力である。私は一貫して右翼であり、世界がレベルの低い喧嘩の強さで右往左往する以上、そういう実態に対応するのが当然だと思っている。ロシアも中国もそれを知っている。人類に叡智などというものはない。

 この作品が世に出たのは平成3年であり、東南アジアの現状は大きく変貌している。


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