陸影を見ず/曽野綾子著

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陸影

  「陸影を見ず」  曽野綾子(1931年生/東京生まれ)

  1999年4月ー2000年6月まで、「文学界」に掲載

  2000年11月 文芸春秋社より単行本

  文春より2004年1月 文庫化初版 ¥562

 原子力発電にはプラトニウムが必要だが、かねてよりフランスで再処理されたものをイギリス製の特殊船舶を使い、海上保安庁の巡視船にガードさせ、日本までの全行程(1万9千マイル)を無寄港という条件下で運ぶという、その間には寄港はしないまでも、近くの海域を航行する場合には事前に関係諸国に通知するが、各国の反応は様々であり、それが航行の経路に微妙に影響する。

 「陸影を見ず」というタイトルは、航行中に寄港しないというだけでなく、陸の影さえ全く見えない航路を敢えて選んで移動するため、海以外は全く視野にはいるものはないという現実をノンフィクションでまとめた内容だが、小説風にするため、主人公、家庭、知己の女性たちなどを登場させている。

 航行中はグリーンピースに追尾されたり、海賊の影に注意を払ったりしつつ、1992年の秋から1993年の初めにかけ、「あかつき」という船が三菱重工の手で艤装され、フランスのプレストまで同行するチームと、シェルプールでプラトニウムを積み込んで日本に向かうチームに分かれ、リスクを覚悟で数十人の男たちがかかわった歴史的事実が本書の軸となっている。

 帰路の行程はフランスを出航後、スペイン、ポルトガルの沖合いから一気に南下、アフリカ象牙海岸から喜望峰を回りこんで、マダカスカル島からインド洋の南を真っ直ぐ東を目指し、豪州の南からタスマニア島を回りこんで、北上、ニュージーランド沖から、ニューギニア東岸、ソロモン諸島を右舷に、マリアナ諸島を左舷にしつつ、グアム、マリアナ諸島を経、小笠原諸島に向かい、茨城の東海港に至るというものだが、航行を続ける長期間、レイダーが唯一の、といっても15マイル以内の確認手段という過酷な状態に置かれる。

 原子力発電の施設については、現在でも、ニュース種になるほど微妙な問題を孕(はら)んでいるが、施設の存在の善悪は別にして、原子力による発電がなかったら、日本が電化製品の王国となることはなかっただろうし、家庭と電化製品との関係、在り様は現在とは相当に異なる状況となっていたであろうことを作者は強調する。果たして、本当にそうなのかどうかは判らない。

 上に記した運搬がいかに大変な仕事になるかについては、艤装手法一つ採っても、理解できる。安全対策としては、衛星航行システムはもとより、自動衝突回避装置、予備エンジン、プラトニウムを保管するコンテナの温度センサー、気密センサー、万が一沈没した場合の回収目的の音波発信機、船倉内の火災予防のためのポンプ5台、夜間に接近された場合の赤外線探知機、武器庫、護衛の巡視船からいつでも着艦できるヘリポートなどなどが艤装され、数ヶ月間にわたって寄港という自由がないため、食材を大量に備蓄するなどという一般の貨物船には無縁の、厳しい条件をクリアせざるを得ない。

 作者はこうした事実を歴史に遺すべきだとの信念があったはずで、ために、多くの専門家に会って事前に学び、一冊の書物に仕上げたのだと思われる。いえることは、これほどのコストをかけ、注意を払う必然性があることはプラトニュームとしろものがいかに手に負えないものであるかを暗示してはいる。

  文中の「後生(ごしょう)が悪い」や「阿漕(あこぎ)な」などという言葉は、私の両親の時代の言葉であり、現在ではあまり使われなくなっているため、一瞬、懐かしい思いが胸に溢れた。ちなみに、「阿漕」はサンスクリット語を語源としている。


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