雁/森鴎外著

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雁
「雁」 森鴎外作  岩波文庫

 明治の一時期に特徴的な語り口も物言いもなんだか懐かしいものを感ずる。 日本語が時代とともに変化していることを実感させてくれる。

 一方、100年余の歳月の流れとともに、古い古い東京の街の風情が趣をまったく変えてしまっている現状には、それが時の流れの必然とはいえ、暗澹たるものを感ずる。

 明治期の女に経済的にも精神的にも自立する基盤が失われ、女は男に従うしかなく、そのために社会構成はあくまで男が主で、女は従としての地位しか与えられていなかった実態が本小説のなかで浮き彫りにされている。 これが太平洋戦争をはさんで昭和40年ころまで続いたことから、女は嫁にいくしかなかった事実がこれまた実感される。

(もっとも、極貧ならば、親が娘を女衒に売ってしまい、娘は女衒の手でからゆきさんに仕立てられ海外に売り飛ばされていただろうが)。

 また当時の男尊女卑的人間関係をいま顧みると、滑稽でもあり、皮肉でもある。鴎外が現代の若い男女を見たら、駅のプラットフォームでいちゃいちゃしてキスしている光景を見たら、なんというだろう。

 主人公「お玉」の哀切さが際立って感じられるのはあくまで時代背景でしかない。

 そして、いま、時代に堪えた女たちの反動をみると、男女関係の根幹は愛だの恋愛だのより経済力なのだということを再認識せざるを得ない。 経済力は女に忍耐を強制しない社会をつくるから、それが同時に「核家族化」を推し進めた力にもなっただろう。 むろん、夫の母親とうまくいかない、夫の実家に行かない、夫の実家の墓には入らないという女性は多くいるが、その女性たちの息子の妻たちも間違いなく同じ主張をするだろう。

 本書から伝わってくる当時の日本人が、「井戸端会議」という言葉はあるけれども、いかにおしゃべりで、他人のプライバシーに属することをまるで紙さながらにペラペラと口にしていたことが推量される。しゃべる対象が他人の個人的なことになる場合、口をつぐむという礼節、マナーがまったく欠落していたことを認識したが、そのことは現代の日本人もたいして変わってはいないように思える。

 「人の噂も七十五日」などという俚諺も日本独特のおしゃべりキャラの創った風俗の一つであろう。 訪日した外国人も日本人のおしゃべりついては慨嘆している。外国に居住した経験もあるが、そこの男と結婚した日本女性のおしゃべり具合にあきれたことも忘れられない。

 文中、気になるのはしきりに出てくるフランス語で、一部の識者をのぞいてほとんどが理解できないことを知ってあえてフランス語をちりばめたに相違なく、どのような魂胆でそうした思いつきをしたのか不可解。 「たいした小説でもないのに、何様だと思っているのか」といいたくなる。 明治時代、当時、義務教育を受けていない人もいたし、受けていたとしても小学校までという人が多かったのだから、フランス語はもとより英語だって解るわけがなかったはず。

 先般ブログに採り上げた「三島」が尊敬する先輩作家のなかに森鴎外が入っていたことを思い出し、このことと関係があるのかと思いもしたが。 むろん、森鴎外がドイツ留学の経験者で医師であったこと、そして軍医でもあったことは知っている。たぶん、本人は語学に堪能であったのであろう。

 この時代が「芸術至上主義の時代」であったということもある。


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