青い空/海老沢泰久著

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青い空(上巻)

「青い空」(上下巻) 海老沢泰久(1950年生)著
副題:幕末キリシタン類族伝
帯広告:
上巻・多くの日本人に読んでもらいたい傑作
下巻・なぜ日本は神のいない国になったのか
2004年6月文芸春秋社より単行本
2009年1月10日 文春より文庫化初版
¥743+税=上巻 ¥790+税=下巻

 
 読了後、正直いって、長い旅から帰ってきた気分に陥り、しばらくは呆然としていた。上下にわたる分厚い本を一気に読み進んでしまったのも、一種の興奮がなせる業というしかなく、作者が本書にこめた目的に徹底して軸を据えた姿勢は、これまでにないアングルから迫るもので、瞠目させられた。

 背景は幕末の騒然たる社会を舞台としつつ、実は、「日本、日本人、日本社会と宗教」というところに焦点をもってきて、その部分を徹底的に分析、糾弾しつつ、読者に史実の再認識を迫るといった内容になっている。したがって、ストーリーそのものは付け足しであり、「日本人と宗教」という観点からの洞察が本書の真髄となっていて、読者は例外なく、その事実に圧倒され、翻弄され、目を本書から逸らすことすら出来なくなってしまう。

 このような書物との遭遇が、つい最近(3月3日/3月4日)に「逝きし世の面影」を書評した直後にあり得たことに、なにかの縁を感じた。

 家康がキリシタン禁止例を出したのは1613年、それから1644年までの間に、マニラやマカオ経由、神父(バテレン)や宣教師(イルマン)が101人も密入国しているが、これは禁止令にもかかわらず、日本に信者が増えていたという事実によるもので、宣教師が自国の国王に送った報告書によれば、日本には信者が30万~40万がなお存在したことが記されている。

 島原の乱の後、71年後までローマ教皇は神父の日本への派遣に熱心だったのは、帰依している日本人がまだ多かったことが理由で、業を煮やした幕府は親族にもキリシタン、元キリシタンを問わず、たとえ数代前の先祖に転びキリシタンが存在する限り、この子孫を一般宗門別帳から除き、キリシタン類族帳という別戸籍に入れるという布告をし、これが明治維新まで続く。

 (幕府がオランダその他から耳にする、スペイン、イギリス、フランスによる宣教が植民地化の尖兵であるとの認識が色濃くあったからだと思われる。

 「類族」になると、5代経っても、葬儀は自分の裁量で行なうことはできず、下民として扱われるばかりか、幕府から寺社受け制度を担うことを認められた仏教寺院の僧侶の立会いも必須となり、役人が遺体を樽のなかに塩詰めにし、江戸からの認可を得てはじめて埋葬ができたという過酷と、寺社の僧侶が檀家との連携を幕府によって保証されていることをいいことに、弱い立場にある者からは生活の糧を搾り取るということが日常茶飯だった。また、類族は寺社の許しなくば、自村から一歩も外に出ることもできなかった。

 僧侶は温床の歴史のなかで、僧侶としての自覚を欠き、庶民に仕えるという本来の姿勢は失せ、庶民のうえに君臨する姿勢が時を経るにしたがい、醸成されることになった。

 明治政府が天子を政治の枠組みにかつぐ以外に、新政権の船出をスムーズに出来ぬことを悟ったとき、それまでおざなりにされていた「神社、神道、神官」と、「寺院、仏教、僧侶」との関係を「神道優先主義」に変えざるを得なくなり、全国的に「廃仏」行動が蔓延し、国宝並みの芸術作品までが散逸、焼却されたという。また、幕末に入国していた欧米人が入手する機会ともなったらしい。

 (とはいえ、寺院がこの騒動のなかで百パーセント消えてしまったわけではなく、現在あるような形で残ってはいる)。

 ために、徳川政権時代、僧侶は温床のなかにふんぞり返って、次第に堕落、庶民からの反感、憤りが段々に蓄積されていlき、長年にわたってしこっていた鬱憤が仏教寺院を襲うという形に現われたといえる。

 (この国に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」とか「坊主まる儲け」などの言葉があるのは、僧侶らに傲慢や立場を利用した無法が恒常的にあったからであり、現在だって、檀家に寄付をねだりながら、かつ税金免除の厚遇を受けながら、外車を乗り回す姿を目にする)。

 現実の歴史は、朝廷の出番は鎌倉に頼朝が幕府を開いて以降、まったくなく、幕末に至って、唐突に政権を担えるチャンスに恵まれたとはいえ、国を治めるという実質的な準備はまったくなされてなかった。と同時に、「治める」ということがどういうものかも判らなかった。

 同じことは薩摩にも長州にも言え、300年近い歳月をたかだか日本国土の一部を治世してきた男どもに全国を治めるための的確な手法が思いつかったため、明治初期に西欧の真似に終始したのもやむを得なかった。だいたい、この時期に中心的存在となった土佐の坂本も、薩摩の西郷も、武士ですらなかった。

 本書のストーリーそのものは、はっきり言って、おざなりで「つくりもの」に過ぎないが、作者が本当に書きたかった部分、「日本と宗教」という点では百パーセント成功しているし、われわれの蒙を啓くという点でも、これまでに遭遇したことのない起承転結を用意して、構成の妙にも、文章家としての牽引力にも、非凡なものを感じた。

青い空(下巻)
 (「青い空」下巻)


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One Response to “青い空/海老沢泰久著”

  1. 関西より より:

    キリシタンの別戸籍があったんですね。
    しかし密入国してまで布教した宣教師たちの残した信仰は弾圧下の当時より、今のほうが守りにくい状態にあると思います。

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