鬼の冠/津本陽著

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書評:ためいき色のブックレビュー-鬼

  「鬼の冠」  津本陽(1929年生)

  副題:武田惣角伝

  帯広告: 痩身に漲る烈気、神宿る天才武術家

  1991年 新潮文庫より刊行

  2010年1月10日 双葉文庫より加筆、訂正を加え再版

 明治期に生きた武術家の漂泊の修業と、達成した神業と、生き様を描いたもの。主人公、惣角は「合気柔術」を得意とするが、剣術はおろか、棒術にも、槍術にも並みの達人のレベルを越えた腕前に達していたという。

 正直いって、武術に関する書は、主人公が天才的であればあるほど、その技巧、立ち回り、格闘場面などを描くことは難しい。描写が巧みであればあるほど、内容に嘘くさいものが匂ってくるというパラドックスがある。そのことは、古今の名人、達人といわれた、あらゆる武芸家を表現することに当てはまる。

 だいたい、いにしえに活躍し、その人ありと知られた武術家を著作の対象にすれば、文献や資料、あるいは伝記、伝説に依存し、それらにベースして想像を逞しくしつつ書くしかなく、そこには当然ながら過度の強調や誇張が避けられない。本書の主人公は明治期に生きた人物だから、江戸期以前に生きた人物よりは文献も資料も多いだろうと思われはするが、だからといって、それらがすべて真実だという保証はない。

 ことに最近では、「K-1」という格闘技が世人の目に触れる機会が増え、極真空手の世界チャンピオンがリングに上がって勝つことはあっても、K-1のチャンピオンになれたためしががないことからも、空手道というものの格闘技としての価値を疑われるようになっている。ために、実際に目にしたことのない昔の武術家の強さに関する伝記ものに対しては、講談本なら脚色、虚飾を前提としていることを認識して読むが、一般的な著作だと半信半疑の気分に落ち込む。

 武術で名をなした人物の伝記は総じて信頼に値しないと、私は思っているし、「気合で野鳥を樹上から落とした」とか、「気合で獣でも人でも死にいたらしむことが可能」とかいう誇大な表現を目にすると、そういうものを目撃したことのない私は「嘘も休み休み言え」と舌を鳴らしたくなる。「神業」だ、「魔法」だ、と強調されればされるほど、白けてしまう。もしそういうことが可能ならば、どんな格闘技でも負けることはないし、ひょっとしたら戦争時ですら技を使って戦闘機を落とせるのではないか。

 この著者の作品に「明治撃剣会」というのがあり、かつて本ブログに書評もしたが、その作品が真実味があって、読後感が良かったために、本書を入手することになったのだが、残念ながら、読んでよかったと思える作品ではなかった。


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2 Responses to “鬼の冠/津本陽著”

  1. 池月映 より:

    「会津の武田惣角」「合気の発見」の著者です。
    真言密教には、金縛り法(気合術)があって、修行の邪魔をする生き物を退治する術が伝えられています。足止め術は念力で相手をコントロールし、カラスも落せるとあります。
     実際に、やさしいのは、奇術のハト、ニワトリを動けなくした中村天風(ヨガの心身統一法)、藤平光一(合気道)がおります。
     僧侶で百万枚の護摩を焚いた池口恵観さんは、子供の頃、木に止まっている20羽の雀に気合をかけると2,3羽が地面に落ちたそうです。
     武田惣角の前半生は、密教を修行したため消されていいましたので、調査したら、占い師(真言密教)が教えたことを突き止めたのが最近作です。双方とも足止め術が子孫に伝えられており、
    不可能ではないと思います。
     密教は超能力開発の側面があり、1000年間一般には公開されておりません。最近、武田惣角子孫の遺稿集が公開され、気合術、九字護身法、四神足、ヨガ密教という最も高度な修行をしたことが、書かれておりました。
     確かに、一般の方には信じられないことかもしれませんが、時間と空間を超越して、過去・現在・未来を当てることができる、易「気と念力」と同じかもしれません。

  2. hustler より:

    池月映さんへ
     コメントを消却することなく、ここに掲載しますが、そのことは池月さんの主張を「涼」として受け止めたという意味です。

現在はコメントを受け付けておりません。

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