麻雀放浪記(一) 青春編/阿佐田哲也著

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麻雀放浪記

「麻雀放浪記(一) 青春編」  阿佐田哲也著
 角川文庫  1979年9月初版
 2007年までに53回重版

 
 中年以上の人なら、誰もが本書を知っているし、なかには耽溺した人、忌避した人といただろう。幸か不幸か、私はこの作品に接することなく今日に至り、唐突に、懐かしさも手伝って、読んでみたいという気になった。また、本書は第四巻まで連続した人気作品だった。

 二昔前の麻雀であるから、現在の麻雀とは相当に違っている。まず第一に、雀荘は機械化され、インチキ、ことに本書にしきりに説明される「積み込み」が不可能で、今この作品を読んでも麻雀をゲームとして愉しむ手合いには学ぶこと、教えられることはあまりない。ちょうどパチンコが一個一個の玉を手で穴に入れていた手動式の時代から機械化され現代に至ったのに似ている。

 現実問題として、インチキ麻雀に命を賭けて、なけなしの金を奪い合うスタイル、積み込みの手法を研究し、手練の技を磨くなどという、文字通リ「詐欺」的なゲームでは現代人はついていけないだろうし、戦後のどさくさ時代に存在した一つの風景以外のものではない。それは、掏(す)りや詐欺師が手口を変え、研究するのにそっくりであり、麻雀を下品で下劣なゲームというイメージに貶めた結果を導いただけだった。私自身も積み込みをされ、「清一」という手を面前聴牌され、打ち込まされた経験があるが、自分の配牌と三人の敵が場に棄てる牌を観察しつつ、敵の手配を的確に想像し、読むというような知的な麻雀を想像していた私には、雀荘はただのみすぼらしい賭け場に一変、以後、麻雀とはきっぱり縁を切った。

 解説者の畑正憲氏は「人はきれいな存在ではあり得ず、どっちみちうす汚い存在。登場するバクチに憑かれた人間の綾なすドラマは比類なく怪しい。本作品は10年に一度という名作」といって憚らないが、翻って、本書から得るもの、学ぶものという観点からいえば、そんなものはカケラもない。ただ、ストーリーを紡ぐ力量はさすがで、内容は面白く、読み手を飽きさせない。

 本書に比べたら、アメリカの青年がポーカー一本に絞って、研鑽を重ね、やがて強者を打ち負かし、恋人とも別れ、ラスヴェガスの大会へと向かう映画のほうが清々しさと希望とが窺え、その点を私は評価する。

 あえて言えば、本書を読む機会を逸し、時期をたがえて読んだことが敗因かという気がする。面白くない著作というわけではないので、第二巻以降も手元にあるが、読む気力が蘇れば、いずれ読んでみようかとは思っている。


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