黄金郷伝説/大貫良夫著

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黄金郷伝説

「黄金郷伝説」 大貫良夫(1937年生/文化人類学者)
講談社現代新書  1992年1月初版
副題:エル・ドラードの幻 

 エル・ドラードはあくまで伝説であるが、舞台となったのは南米のグァタビタ湖だった。

 スペイン人がアンデス文明のゴールドに遭遇し、驚喜したのは、約500年前の1500年頃。南米への侵害を開始してすぐに、ほとんど手当たり次第にインディオたちが持っていた金や宝飾品を奪いとり、本国に持ち帰った。

 一方、遺跡や墳墓の盗掘は地元でも盛んに行なわれ、貴重な文化遺産が散逸したのみならず、考古学的調査の対象になりえず、文明の在り様、遺産が出土した地域、年代測定への推定を困難にした。

 作者はペルー考古学史上初の発見で、金製の「五面ジャガー金冠」や「大量のビーズ」発掘に成功し、標高2,300メートルの高地「クントゥル・ワシ」では1989年に「14面金冠」の発見をした。

南米地図

 16世紀半ばにインカ帝国の首都がクスコにあった頃は、南北4000キロを支配する大帝国だった。スペイン人がチリー、ボリビア、アルゼンチン、エクアドル、コロンビアへと征服の兵を進め、掠奪と殺戮の歴史が展開される。内戦を起こさせ、インカ帝国は二分される。金銀を欲しがったのはスペイン人だけでなく、同行の聖職者も同じ。スペイン人は奪った金の装飾品はすべて溶かしてインゴットにした。この軍隊を指揮したフランシスコ・ピサロ一行は金を5トン、銀10トンを入手。

クスコ
(写真はクスコ)

 コロンブスがカリブ海に達したとき以来、だもれもがアジアに到着したものと思い込んでいたが、それが間違いで、南北ともアメリカ大陸であり、新しい世界であると主張したのが、アメリゴ・ベスプッチであったため、以後、彼の名にちなんで新大陸はアメリカと呼ばれるようになった。(とはいえ、初めて南北アメリカへ足を踏み込んだのはシベリア東部に住んでいたモンゴロイド系の民族であり、コロンブスでもなければ、アメリゴでもなかった)。

 本書には幾多のスペイン人が多方面から南米に侵入し、現地人を殺したり、アフリカから黒人奴隷をつれてきて労働させたり、密林に覆われた土地で食糧難に襲われ、多くの侵入者側にも死者が出た経緯が詳細に記されているばかりでなく、ポルトガル人によるブラジル制覇がどのようにしてなされたかについても細大漏らさず記述されている。

 スペインがカリブ海、メキシコ、中米、南米、太平洋側植民地経営に忙しかった時代、ポルトガルは次第に内陸に侵入を開始、17世紀後半にはほぼ今日のブラジルの範囲をポルトガル領とした。

アンデス山脈
(写真は衛星からの冠雪したアンデス山脈)

冠雪のアンデス
(冠雪のアンデスをはるかに望む)

 白人らが新大陸に侵入することによって、現地人には抵抗力のない天然痘、はしか、インフルエンザ、チフス、結核などの伝染病がもたらされ、多くの死者が出た。当時、こうした伝染病に関して、誰もが無知だった。

アマゾンの森林地帯
(アマゾンの森林地帯)

 17世紀の終わり頃、ポルトガル人はブラジルの東部、サンフランシスコ川上流地帯に待望の金鉱脈を発見。1694年、1700年、1701年と次々に見つかり、今日のミナス・ジェライスにゴールドラッシュが起こった。そのため、ヴェリヤス川沿いの住民は全滅に追い込まれ、ポルトガル国王のジョアン5世は欧州一の金持ちになった。

 ゴールドラッシュは今日でも続いているが、砂金を採るために水銀が使われ、水や大気を汚染し、人間は中毒で死んでゆくという地獄の様相を呈している。

ガラパゴス
(写真はガラパゴス/現今では草がほとんど生えていず、生物に甚大な被害が広がっている)

 以後、エル・ドラードであり続けたのは、南米の土地がもつ動植物や遺跡などで、多くの博物学者、動物学者、植物学者、考古学者を呼び寄せることになる。そのなかに、イギリス人のチャールス・ダーウィンもおり、ヴィーグル号による南米沿岸の調査に加え、内陸にも入り、最後にエクアドル領のガラパゴス島に寄り、帰国している。

 ときを同じくして、ヘンリー・ウォルターという学者も南米を訪れ、1855年に「種の変遷に関する論文」をイギリス学会誌に発表し、1858年には「変種がもとのタイプから無限に遠ざかる傾向について」という論文を発表、いずれの論文も友人であるダーウィンに送っている。ダーウィンが「種の起源」を書いたのは1859年で、ウォルターがインドネシアに出かけていたときであり、ウォルターの論文を読んでヒントとしていなかったら、「種の起源」も「自然淘汰」も生まれなかっただろうと言われている。(本書から得た知識で最も驚愕的なのがこの部分)。

 植物学者はブラジル原産のゴムの木を発見、これの若木を育て、イギリスに送ったところ、イギリスは若木をさらに気候的に合致するマレーとインドに送って、育て、ゴムのプランテーションを発展させた。また、同じ学者はマラリアの特効薬であるキニーネの原料となるキナの木を入手し、インドに送ったという。

 「エル・ドラード」という名に心躍らせて読んでみたが、それが伝説であり、幻であることを知り、長年の夢が壊れたという思いが残った。とはいえ、多くを学ばせてもらったという思いが強い。


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