黒澤明 vs. ハリウッド/田草川弘著

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「黒澤明 vs. ハリウッド」 田草川弘著
文藝春秋者発行単行本 ¥2,500  2006年4月初版

 

 480ページにおよぶ分厚い本、アメリカの友人宅でビデオで見た15本のモノトーンの黒沢映画を想い起こしながら、なぜか夢中になって本書を手にした。

 黒澤監督といえば、名作の数々が世界に知られ、技術的な手法が注目を浴び、地球上を席巻したといっても過言でないほどの映画づくりの名人であった。間違いなく、日本の生んだ逸材である。

 一つの例だが、ドイツ人には、武田信玄を描いた「影武者」にはまりこみ、鎧、兜、太刀などを手づくりし、数十人のドイツ人がそれらを身に着用、一年に一度、街頭を闊歩するという。

 アメリカでなら、黒澤作品の大部分がすべてがモノトーンの映像ではあるが入手でき、私自身、アメリカ在の友人宅でそれらを堪能し、世界が評価した理由をあらためて認識したという経緯がある。ことに、日本語でのやりとりの英訳の見事さに驚嘆もし勉強にもなった。(ただし、著作権を無視する中国人がつくったものだけに、尻切れトンボになっている作品が多いが)。

 本書は合作契約した映画「トラ・トラ・トラ」の撮影入りの後、黒澤監督が解雇された事件の真相を暴く目的で書かれたもの。

 アメリカの映画会社は「20世紀フォックス」、真珠湾攻撃に焦点を絞った映像づくりを合作することを相互に合意、契約に至る。初めてハリウッド進出の機会が与えられ、金銭的な心配もなく、しかもカラーフィルムを使うことも初めての体験で、黒澤氏がどのくらい興奮し、意気込み、あわせて責務の重大さを感じたとしても、不思議はない。

 しかしながら、英語がみずからはしゃべれないこともあって、米国人側代表のエルモ・ウィリアムズとの会談には常に青柳という通訳兼右腕がついてまわり、かたときもそばを離れなかった。とはいえ、監督みずからは米国人との意志の疎通に円滑を欠いたことは否めず、そのことは「自分が総監督」という勘違いに終始する。契約の実態は「黒澤は日本側の撮影の責任者であり、黒澤プロダクションは20世紀フォックス社にって下請け的な存在でしかない」ことに最後まで気づいていない。

 さらには重責を担うあまり、蒲柳質(ほりゅうしつ)の彼には幼児のころからテンカン体質があり、緊張と責任感とに苛立ち、撮影に入った後も、数々の奇行を演じ、かつ三度も意識を失って卒倒、救急車で運ばれて入院する羽目にも陥った。

 矜持と顕示欲の強い完璧主義者は許容範囲が狭く、柔軟性に欠け、それが周囲との軋轢を生み、本人もストレスをためこむ。結果、癇癪(かんしゃく)を起こし、奇行としか思えぬ言動にしばしば出、そのくりかえしが悪循環を生む。アメリカ側との文化的落差に落ち込む以前に、国内の地元撮影時に収拾のつかぬ事態に陥る。決められた期限もあり、そうしたことからくる圧力もあったであろう。

 最終的に解任されるという結末を招いたのは、脚本を書きはじめて3年目のこと。

 作者はこの時期を含め5年間にスポットライトをあて、何が起こったのか、何が黒澤監督をして映画づくりから手を引かせる結果を導いたのかに迫っていく。そこには未だ世に知られぬ隠れた内実が存在し、読み進むほどに緊迫感に身が痺れる。

 これは世界に冠たる黒澤監督の身に起こった計り知れない屈辱だったはずだ。20世紀フォックス側代表とのやりとりや、この映画に賭けた意気込み、脚本を書き上げるまでの熱意などを想像すれば、重責に押しつぶされた感が否めない。

 相手方のエルモ・ウィリアムズも仲介役として日本に滞在し、常時そばに在って、全力を尽くした。アメリカ人ならクリスマスは必ず休みをとって家族と過ごすのが通常だが、エルモはその期間も日本滞在を継続して、黒沢と周囲との軋轢、スタッフのストライキの仲立ちまで行い、問題を穏便に解決することに注力した。ある意味で、稀有のアメリカ人実務者といえる。

 黒澤監督は敬愛し憧憬する山本五十六(海軍大将)への想いが断ちがたく、会戦を決意する場面と、あっという間に飛行機が撃墜されて死ぬまでの短い一生を、この映像に盛り込むことを主張したという。それがこの監督の感性で、太平洋戦争が日米相互にとって悲劇以外のなにものでもないことを印象づけたかったらしい。

 日米開戦に踏み切った日本軍部とアメリカリ軍部間にあった誤解と、誤認がそっくりそのまま日本文化とアメリカ文化との相違を具現したように、この問題も黒澤監督とハリウッドとの相互間の誤解、誤認にも通ずると作者は強調する。アメリカ社会のもつ、がちがちの契約社会と、天真爛漫で、経営者でありながらコストに無頓着、期日は守らぬながら身を粉にして働き、独善的で強引な手法、ときに叱責し、怒鳴り、なんどもやり直しを命ずる黒澤のキャラクターは、最終的にエルモの理解を超えた。

 監督の必死さ、責任感、緊張、苦悩、苦渋、いずれもが巨大な重圧になっていたため撮影に従事しながら入退院をくりかえした。

 エルモは本社の経営陣と相談の上、黒澤は発作を起こして入退院をくりかえすばかりでなく、周囲との友好的な連携がとれず、常軌を逸しているため、撮影を期限までに終了することは不可能という理由で、馘首に踏み切る。黒澤は脚本、演出、編集を単独で行う映画づくりが身についており、この映像に関しても200枚の絵コンテをみずから描き、エルモを驚かせている。だからこそ良い写真がとれるのだが、アメリカでは監督とは職人に過ぎず、一人が三役をこなすなどという認識も理解もなかった。そのことを日本側は知らなかった。(と同時に、だからこそ黒澤作品がアメリカ映画界が憧れるような作品にも昇華したのではないか)。

 1ドルが360円という時代である(1960年代)。輸出入にかかわる日本企業の社員がようやくアメリカ式の契約概念や訴訟態勢、合理主義に慣れ、ドルを稼ぐことが花形ともいわれた時代、交わされた契約書が英文だったとはいえ、全く目を通さなかったという黒澤監督の姿勢は腹心の部下、青柳に全幅の信頼を置いていたからであろう。現時点でも、米国社会の契約や訴訟に翻弄される日本企業は依然として存在する。

 救われるのは、解任後、「影武者」を世に出し、多くのフアンを魅了したことだ。

 むかしから芸術的に卓越した仕事をしてきた人間には得てしてテンカン体質の人間や、些細なことにこだわり執着する人間がいるもので、ロシアの文豪、ドストイエフスキーにしても、「糸杉」と「ひまわり」で有名な画家、ゴッホにしても、ローマ帝国を巨大化することに功のあった天才的軍事家、ジュリアス・シーザーにしても同じ病気をもっていたという。

 監督の愛読書は、シェークスピア、ドストイエフスキー、ギリシャ神話、平家物語、トルストイの「戦争と平和」、阿川弘之の「山本五十六」であり、敬愛する画家はゴッホだったという。

 他方、この監督は終生、男と女のことを題材に考えることはなく、男女のことをテーマとしなくても、世界を驚嘆させる映画作りができたことを身をもって示したことは、映画づくりの要諦がテーマではなくて、絵であり画面であること、そして、撮影の手法いかんにかかわっていることを如実に示した逸材だったことを雄弁にものがたっている。言葉を換えれば、絵というものが、映像というものが、人間の眼にどう映るかについて、凡人の思いもおよばぬ感性を秘めた鬼才といっていいだろう。

 かつて浮世絵が西欧を席巻し、多くの画家に斬新なヒントを与え影響したように、黒澤監督の創る映像にせよアイデアにせよ、さらにはカメラのアングル上の技法にしても、西欧に多大な影響をおよぼしている。「その事実をもって瞑すべし」といっては、黒澤監督に失礼だろうか。

 1970年に公開された黒澤監督抜きの「トラ、トラ、トラ」を黒澤監督自身は見ていないという。そして、日本、ヨーロッパではまずまずの評判だったが、アメリカでは不評で、経営上ペイしない作品に終わった。

 優秀な能力とエネルギーがありながら、相互にこれらを融合して、壮大な、且つ、人間の心情に訴えてやまない撮影が出来なかったのは浪費以外のなにものでもなかったが、黒澤の頭脳に明滅する描写をこの映画のなかに挿入することができていたら、トラトラトラも成功裏に終わったかも知れない。

 本書は長いあいだ謎だった黒澤監督解任の真相を細大漏らさず調べあげ、それをまとめた一書、労作である。


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One Response to “黒澤明 vs. ハリウッド/田草川弘著”

  1. タウム より:

    伝説化しつつある巨匠、黒澤の人間的な部分に触れられて、見方が変わりました。

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