O脚だったかもしれない縄文人/谷畑美帆著

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「O脚だったかもしれない縄文人」
副題:人骨は語る
谷畑美帆(明治大学大学院日本古代学教育研究センター研究員)著
2010年4月1日 吉川弘文館 単行本初版 ¥1700+税

 

 本書の面白さは古代人の骨をチェックすることがいかに重要かを強調している点にあり、女性が考古学者であるがゆえの従来にないアプローチはもちろん、ジェンダーにまで触れている点も面白い。

 「縄文人の平均寿命は30年前後と推定されるが、縄文時代の中期を境に人骨が男女ともに逞しくなり、注意して鑑定しないと、女性の骨を男性の骨と間違えてしまう」という話からはその当時の生活のありようが想像され、納得させられる。

 また、「アイヌ人との相似性では、二重まぶた、彫りの深い顔、濃い眉や髭」などにも触れているが、同じ相似性をもつ沖縄県人にも、肯定、否定を含め、触れて欲しかった。なぜなら、「渡来したわれわれの弥生人先祖が先住民であった縄文人を北と南に押し込んでしまった」と考えるアマチュアが多いからだ。尤も、沖縄人のDMAをチェックすると、系統的には限りなく本土の平均的日本人と相似だというが。

 「縄文人の主食はクリ、クルミ、、ドングリなどの堅果類であり、補完食として貝類、魚肉、獣肉だった」理由は居住地の立地条件にも左右されはしたが、おおむね堅果類は保存がきき、どこででも入手できたから。と同時に、固いものを噛む習慣が顎を丈夫にし、容貌を縦長よりも横に張った形にした。

 「縄文時代の人口分布は圧倒的に東高西低で、東北、関東に偏っている。また、縄文時代後期に人口減がみられるのは寒冷化の影響。同じ時期、インドのインダス文明の崩壊も冷涼化、乾燥化によるものだろうと、アメリカの人類学者が指摘している」

 「縄文時代前期中葉、6千年前から5千年前にかけては、地球温暖化がピークに達し、名古屋あたりで台湾並みの気温になり、並行して海食、海浸が進んだ。海面は現在よりプラス3メートルのレベル。東北で温暖海でしか獲れない貝が貝塚に在ったことから判明した」という話からは、現在われわれが直面している環境変化の問題をあわせて考えざるを得なかった。東北の白神山地にも、現在、従来は生息していない温かい地域の動植物が見られるようになり、ブナ林がいつまでもつか問題だという報道を聞いたばかりでもある。

 「貝塚から出土した人骨の調査によれば、現代日本人の大半は日本列島の外部からやってきた16のグループに分類される」

 「蹲踞(そんきょ)の姿勢、しゃがむ姿勢をとることは日本の現代社会でもしばしば見られるが、縄文人の足首には著しい変形がみられることから、しゃがむ行為や作業が多かったことが察せられる。また、正座が生活習慣となった日本では戦前まで一貫して関節面の変形が増え続けている」

 正座の習慣こそが同じモンゴロイドである中国人や朝鮮半島の人々とは異なる生活習慣の大きな違いで、その事実が日本人の脚の成長を長期にわたり阻害し、「倭人」をつくったと考えられる。

 「現代日本人の脚にもO脚が少なくないが、縄文時代の人にも多く見出されることが判っている。そのことはかれらの労働の過酷さを暗示している。イギリスの中部、ノートン墓地から出土する人骨資料の場合、変形性関節症の出現頻度は低い」

 ふくらはぎがO型気味に湾曲しているのは日本人に多く見られる脚であり、そうでなくとも、ふくらはぎ部分がボトルのような形状をしているところから、外国人に「ボトルレッグ」と呼ばれてもいる。

 O脚、いわゆる「ガニマタ」が現代の若年層に減っていることは事実で、これが相撲を弱くさせている大きな原因であろうか。

 「今のところ世界で最も古いとされる土器は1万6千5百年前の青森県の外ヶ浜町の遺跡から出土した土器」

 「縄文時代から弥生時代への移行を明確に映す遺跡は存在しない。弥生時代を形成した渡来人が稲作文化を持ち込んだにせよ、そのときを境に日本全国で稲作文化が一斉に花開いたわけではない。先住していた縄文人ならば、100%稲作に依存せず、従来の食生活を温存しつつ、時間をかけて移行していったであろう」

 「渡来人と縄文人との抗争の有無は確認されていないが、渡来者が結核菌を持ち込み、先住民の多くが羅患して死に至ったとは考えられる。縄文人の骨に結核菌による病変がないことは確かだが、だからといって結核疾患者がゼロだったという証拠にはならない。病変が骨に残るにはある程度の免疫レベルに達していることが必要で、免疫のない人は病変が骨に残る前に死を迎えてしまうからだ」

 「福岡県の糸島市に在る遺跡のなかに明らかに朝鮮半島から伝播したとされる支石墓があり、初め渡来人の墓だと短絡したが、同じ遺跡から出土した人骨を調べてみると、縄文人の骨であることが判明した」

 著者は最後の記述を強調しつつ、人骨調査による考古学的アプローチが日本の学界に欠けていた点を指摘している。また、考古学の世界に女性の研究者が少ないことも指摘している。

 総じて、楽しく読むことができた。


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