巡洋艦インディアナポリス撃沈/リチャード・ニューカム著

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巡洋艦インディアナポリス撃沈

「巡洋艦インディアナポリス撃沈」 
リチャード・ニューカム(Richard Newcomb)著
原題「Abandon Ship」
ヴィレッジブックス刊
原著ピーター・マース(アメリカ人) 平賀秀明訳

 書き手が第三者に徹して全貌を追う見事なドキュメンタリー。

 1.広島に原爆が落とされたのが1945年8月7日。

 2.日本が無条件降伏したのが同年8月15日。

 3.(参考)ソ連が参戦したのが同年8月9日。

 4.巡洋艦がサンフランシスコから原爆用のウランを積み、テニアン島(サイパン島から至近距離に存在する島)に運 んだのが7月26日。12日後、原爆を積んだ爆撃機(B29)はここから長崎に飛んだ。

 5.巡洋艦はウランをテニアンで降ろしたあと7月28日グァムからフィリピンのレイテ島に向かって航行を続け、7月29日深夜、パラオの北北西で日本の潜水艦「伊58潜」の魚雷をくって沈没、1196人の乗員のうち約880人が死亡。一隻の艦船被害としては、米海軍史上、最悪の被害となった。原因は撃沈された事実が伝わるまでに4日余の漂流を余儀なくされたことで、この事実が戦後米社会で大きな問題となった。

 6.「伊58潜」が日本に帰港したときはすでに終戦を迎えていた。

 本書は上記の歴史的事実に触れ、その後の米海軍による軍事法廷の開催、政治的判断による犯人選び、そして50年後の犯人にされた人物の名誉回復にいたる経過を細大漏らさず、きっちり追跡している。ちなみにこの人物は巡洋艦の艦長で、1968年(名誉が回復されるまえ)に拳銃で自殺している。

 おもしろいと思ったこと:

 1.日本人には不徹底がままみられる。(パールハーバー攻撃の実態や、宣戦布告のタイミング。 さらには以降ハワイより東に攻撃する意志をみせなかったことなどを示唆)。パールハーバー攻撃で、民家や民間人を射撃したり、爆撃したりはしなかった事実はもっと喧伝されてよい。

 パールハーバーなどは第三波、第四波と、後続する戦闘機、爆撃機がまだあって計画遂行のために兵士たちは準備、待機していたし、予定通りやっていれば、石油タンクや、まだハーバー上でぐらついていた戦艦も徹底的に潰せたにもかかわらず、その手間を惜しんだ。というより、武器や兵士をできるだけ軽い傷のまま、戦地を離脱して、帰国したいという南雲中将の命令に従ったかららしいが、これなどはかつての「肉を切らして骨を切る」という日本武士のモットーが生きてなかったことを証拠づけている。
 (第一次世界大戦後、「兵士は天皇の赤子であり、兵器は天皇の所有物である」という思想が急速に軍部に蔓延したからともいわれるが、それにしては各戦地への補給すらできず、兵士の死亡率の高かったことには「赤子」であることの面影すらない)。

 2.1945年の東京爆撃ではB-29爆撃機334機によるトータル2千トンの爆弾が使われた。人類史上最大の火災。焼死者は8万3千、広島、長崎よりも被害は大きかった。アメリカ人には(ことにアングロサクソン)、東洋人に対する人種差別が戦時はもとより、いまなお強く存在する事実を知っておいたほうがいい。

 3.原爆を落とされた仇を日本の潜水艦が討ったかのような運命的遭遇。(浮上したところに敵艦がいたという偶然、幸運)。

 4.海域はサメどころとして名があるが、多くの兵員が漂流中にサメにやられ、多くの遺体が骨になっていた。後日、映画「ジョーズ」発想のヒントともなった。

 5.アメリカ海軍はほとんどの遺体に爆弾など重いものをつけて海中に沈めた(水葬)。人間の遺体に対する考え方の違い。

 6.当時、レイテには3000以上のベッドをもつ病院が、パラオには1000以上のベッドをもつ病院があった。簡易ベッドだとしても、このインフラの差はあまりに大きい。日本がアメリカに勝てるわけがなかった。

 7.「伊58潜」の日本人艦長は戦後ワシントンに連行、軍事法廷に証言者として立たされた。風貌について「着用の衣類お粗末、チビ、ガニマタ、終始ペコペコおじぎをして卑屈に見える」「人種としての日本人の正直さに関しては幾多の疑問あり」など、当時のアメリカ人の対日本人観(敗戦直後)が記されている。(チビで、なぜ悪い? お辞儀をするのは日本人の礼儀である。他国の文化をもっとあたりまえに知れ、くそったれが!といいたくなる)。

 8.アメリカは第二次大戦でトータル436隻の戦闘艦を失っているが、単艦ではインディアナポリスの被害が最大。

 ちなみに、日本軍による攻撃で被害を受けた例としては、

 空母フランクリン 1945年 特攻機「神風」による体当たり 772人死亡
 軽巡洋艦ジュノー 1942年 ガダルカナル 潜水艦の魚雷  676人死亡
 空母リスカムベイ 1943年 タラワ 潜水艦の魚雷     644人死亡

 9.日本海軍の開発した魚雷は航跡をひかなかったために発見されにくいうえにスピード、爆発力いずれも出色の出来だった。
日米の戦争についての感想だが、「ズボンの裾にかみついた亀がハンマーで脳天を割られた」といったところだろう。いま、そのアメリカに軍事的にも戦略的にも依存しているのが皮肉というか滑稽というか。

 アメリカが番長、日本は腰巾着とのイメージはいまも消えない。そろそろ、自分の国くらい自分で守るべきでは?


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