カラカウア王のニッポン仰天旅行記/ウィリアム・アームストロング著

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カラカウア王のニッポン仰天旅行記

「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」 ウィリアム・M・アームストロング(1835ー1905/アメリカ人)著
1995年3月 小学館より単行本として刊行
2000年7月1日 小学館より文庫化初版
¥676+税

 ハワイ王朝最後の王、カラカウア王が世界一周の旅行を企てたのは1881年(明治14年)、日程はアメリカ、日本、中国、香港、シャム(タイ)、シンガポール、インド、エジプト、イタリア、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スペイン、ポルトガルなど、トータル10か月をかけた旅である。

 随行して、本書を書き上げたのは上記アメリカ人だが、当時、彼はハワイ王国の国務大臣を務めていたというだけでなく、本書を世に出したのはカラカウア王が没するのを意図的に待ってであった。

 江戸末期や明治期に日本を訪れ、当時の日本の様子を的確に書いた旅行記の類は決して少なくはなく、それぞれに特徴があって、趣きにも富み、刺激的でもあって、学ぶことも僅かではなかった。それらに比較し、本書はそのタイトルとは裏腹に、かなり退屈な一書となっている。理由は、たぶん、王の側近であるアメリカ人が書いたこと、もう一つは、1898年には、ハワイは米国の一州に併呑されるという歴史が流れとして王以外は知っていたのではないかと推量させるものがあったこと、三つ目は日本に絞っての旅行記ではなく、網羅したデスティネーションが多すぎたことではないだろうか。

 カラカウア王が日本の明治天皇との個人的な面談を希望し、その折りに、皇室の男性とハワイ王朝の女性を娶わせる話をカラカウア王が明治天皇に告げたという話は知っていたが、同じような要望を同じ旅の過程で他国の王にも持ちかけたという話は知らなかった。ただ、この逸話はハワイ王が将来にわたってアメリカの後塵を拝するのではなく、ハワイ王朝自体の存続を願うあまりの言動であったことを窺わせるに充分で、王朝として永続することに危惧を抱いていたことを暗示している。

 一行が旅行中、各地で歓迎を受けた背景は、一つにイギリスが背後にあったこと、もう一つはハワイの地理的な位置が太平洋の十字路で、貿易、通商に便利であるとの認識が世界各国にあったからだろう。唯一、清国の皇帝に遭えなかったのは、この時期の清国が滅亡寸前の腐敗と脆弱に在ったことが原因。

 本書から学ぶことがあったとすれば、ハワイに1778年には30万人いた純血のポリネシア人が僅か100年のうちに、白人の持ち込んだ天然痘や梅毒、コレラなどのために、死亡、激減し、4千5百人以下になっていたことで、中央アメリカ、南アメリカと同様の惨禍に見舞われたこと。ただし、梅毒は南米が元々の発生の地。

 作者が、「ポリネシア人は『熟慮』などできるほどの能力をもたない。かれらには明快な理念など何一つない」との辛辣な批評を吐露したことは、国務大臣でいた職責を全うするより王朝に関与することで美味を啜るだけを目的にハワイ王朝にかかわったのではないかという推論に私をこだわらせる原因となった。


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