日本人の背中/井形慶子著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本人

「日本人の背中」  井形慶子著
サンマーク出版 単行本 2008年3月初版

 作者は「Hiragana Times」という新聞を出版、日本に住む外国人、留学生を含め、世界の99か国の人が購読し、その新聞の編集長を務め、かたわら「日本外国特派員協会の会長」を務め、これまで渡英した回数は70回を超える。

 そうした経験を踏まえ、「日本人が外国人にどう思われているか」を訴え、あわせて、日本が外国に向かって採るべき姿勢を提言する内容になっている。

 日本人は外国人からどう見られているかには関心が深いが、日本人が外国人をどう見ているかには関心がない。本書もそういう日本人の受身の姿勢を見越しての上梓であろうが、日本人で外国を、外国人を詳細に紹介、説明できる人は少ないだろう。海外に旅行に出る人がいくら増えても、パッケージツアーや団体で行く限り、現地の文化も人間性も理解することは不可能だからだ。

 先進国と発展途上国で仕事をしていた私自身の経験と読書から得た知識からでは、納得できる面と、反発したくなる面とがある。また、イギリスへの固執度が「国家の品格」を書いた藤原氏と同じように濃密で、その事実が多少の偏向を招いているかに感ずるものの、文章はいたって爽やかであり、人格を彷彿させるように、清々としたものがある。

 「オーストラリアのブリスベンでは『日本人以外の学生はホームステイお断り」とし、日本人を歓迎する家庭が増えていることに驚いた」とあるが、概して日本人はおとなしく、とくに白人が主導する外国の地にあってはコンプレックスを避けられず、騒いだり、人のものを盗んだりせず、支払いに問題のある人間も少なく、従順だからではないかと想像される。

 日本の高級ホテルには「オーナーシステム」と呼ばれる、自己申告制の冷蔵庫を置いておく例が多く、飲食した場合、みずから申告書に書いて、チェックアウト時に支払いを行なうのだが、外国人の宿泊の多いホテルほど、それを故意にを怠る例が後を絶たない。日本人しか宿泊しないホテルでは、同じシステムを採用しても9割以上の支払い率であるのに比べ、外国人宿泊者の多いホテルでは7割りがいいところで、そこには明らかに、性悪説と性善説の分かれ目が存在するような気がする。

 また、日本人がおとなしいことをいいことにして、外国のホテルはオーバーブッキングした場合、日本人の団体から他のホテルに振る習慣が長くあった。

 アメリカの押し付け主義に対して、作者は「世界のどこの人間もがマクドナルドが好きなわけじゃないし、映画館ででかいバケツ状の器にごっそり入ったポプコーンをぼりぼり食べながら見るのが習慣になっているわけではない」というのは本当である。むかし、日本に来ていたアメリカ人がその後、数日を中国で過ごし、再び日本に帰ってきたとき、まず所望したのが「マクドナルドはどこにあるか教えてくれ」であった。

 イギリス人が評価する第一は日本のバスルームが洗い場と体を浸す場とが分かれていることで、そこに子共らと一緒に親が入り、洗い場ではお互いに相手の体を石鹸をつけたタオルで拭き、流しあう姿を羨望の眼で見たという。同じことは、日本人が発明したウォッシュトイレにも言え、私の知己のアメリカ婦人は彼女の母親が介護老人の施設に入っていることもあり、すわるだけで、ことがすめば水が出、スイッチを押せば、乾燥機が稼動するトイレに感嘆の声をあげ、「これを買ってアメリカに帰りたい」と言ったが、アメリカにないことに私は驚いた。だいたい、アメリカの家屋やホテルで気に入らないのはシャワーである。ほとんど、必ず、壁に固定され、自分の体を回しつつ、シャワーを浴びるなど、知恵遅れの手法というほかはない。

 日本の地方自治体ごとの「ゴミ分別」と、「回収作業」の手法に、ほとんどの外国人滞在者はクレームを言う。彼らは日本の海岸に流れ着く、中国と韓国のボリバケツやドラム缶や注射針のことを知らない。尤も、ハワイなどには日本の漁具、ポリエステル製品、日本製プラスティック製品などが漂着することも忘れていけない。

 日本食がダイエットにいいとの評価から始まって、今やアメリカには和食レストランが9,000店舗を超え、イギリスでは5年間で3倍増えたという。アメリカ人の肥満は日本でいう「メタボリック症候群」の範囲をはるかに超え、カップルに手をつないで歩かれたら、ラスヴェガスのカジノの移動空間はふさがれてしまう。

 2007年1月に出版された「中国食品現状調査」によると、中国では偽食品が原因とみられる死者は毎年40万人、中国13億(公表数)の人民のうちすでに約3億人が発病しているという。

 方丈記を書いた鴨長明の最後の庵、「方丈庵」を見たイギリス人は、「オー、ワビ、サビ。サビ・スピリット」と、古い佇まいに感動した。日本は「人間対神」ではなく、自然のなかに深い情緒がかもしだされていることを評価すると作者は言う。イギリス人は骨董好きな国民だから、古い佇まいに感動したのであろう。

 「日本人は日本音痴で、日本を知らない。欧米人は日本人を精神的で深い魅力がると賞賛するが、それはたぶん日本人の内側に「日本的」系譜が秘められていて、それを彼らは感受するからではないのか。それは日本人以上に、理詰めで生きてきた欧米人にとっては永遠の謎であり、羨ましい領域なのだ。(それは外国人がみせる一部であって全部ではない)。

 「アメリカは大型と豪華主義で、ドイツは頑丈さで、日本は機能性で、それぞれのブランドを際立たせた」。日本人の最大の欠点はYes, Noがはっきりせず、なにかというと合議制に走り、意志決定の遅さにある。誰もが責任をとろうとしない体性づくりに腐心するところが昔からこの国にはある。海外に支店をつくっても、本社の意見を聞かずに回答はできないなどという、幼稚な企業を海外の人間は信頼しない。日本企業にあってはYesmanを評価し、個性的な人間を排除する傾向がある。農耕民族としてのDNAは依然として強く日本人の頭脳を支配しているのではなかろうか。

 「YesとNoのはざま、受容と拒否の同時進行、建前と本音の使い分け、将来拒否する可能性を見越して、「If」を使ってそれとなく暗示する、ハードルの高い日本的な高等会話、それらは西欧人を混乱させるだけで、世界でも最も解りにくい国民だとされる所以である。かれら外国人には日本人の真意、本音が判断できないのだ」。だから、単純に「日本人は狡猾だ」との一言で感想を打ち切られる。

 日本人は何事か起こると、とりあえず、「すみません」から会話をスタートさせるが、これは「I’m sorry」と訳されように、「I’m to blame」(私に責任があります)と言ったも同然で、最初から自らの非を認めたことになってしまい、かつてアメリカ社会に進出を始めた頃、日本企業のスタッフ連中はこの文化的差異に驚嘆したものである。

 とはいえ、私の経験からすれば、大都会ほど人間がすれており、責任転嫁に走る例も多く、だからといって、その事実を意識するあまりデンバーやカンサスシティなどの田舎でニューヨーカー並みの言句を吐いたら、市民に嫌悪の表情で見られること必至であり、アメリカ全体を大都会の人間を見て決め付けると失敗する。

 「アメリカ人の一部は自分の主張を口角泡を飛ばして言いつのるが、イギリス人は他人の意見に耳を傾ける余裕をもっている」(その代わり、意地の悪い質問もするし嘲笑もする)。

 「日本の親が子共に向かって最も頻繁に言うのは、人に迷惑をかけるな」という言葉だそうだが、作者は「個性と個性がぶつかることで新しい道筋が見えてくることもある」と強調し、人に迷惑をかけないだけで世間を渡る愚を指摘している。外国人の目に映る日本人は誰も彼もが同一色で、個性がない。日本人は均一化されていて、Unique(ユニーク)な人も、unusual(変わった)人もいない」(ちょっと言いすぎではないかな)

 「日本では一匹狼は必ず嫌われるし、上司対部下という関係を守る姿勢がないと、出世は不可能」というのは真実かも知れないが、私は上司ヅラをして威張る男には徹底してたてついたし、威嚇さえした。私にとって上司であれ、部下であれ、互いに基本的には一対一の人格であるとの信念があったからだ。とはいえ、出世しなかったのは事実でる。

 「国連で摩擦を避けたい一心で、日本代表は言うべきことも腹に収める」のは、偏に、核武装のない軍事力では、発言力に限度があることを知ればこそではないかと、私は思っている。イギリスの雑誌社は「政治力のない経済大国」と辛辣な批判をしたとあるが、日本が核武装しはじめたら、かれらは間違いなく日本を恐怖するだろう。

 私は外国人に「武士道とはなにか」との問いに、「If you don’t stick to your own life, you don’t have to be worried about anything」(自分の命に固執しなければ、何事にも不安は消える)とか、「If you are ready to die at any time, you’ll not be feared for anything」(いつでも死ねる覚悟があれば、恐れるものはない)とか、言ったものだが、むろん、これは私の「武士道」であって、新渡戸稲造の書いた「武士道」に、そんなことが書いてないことは知った上でのことだった。

 作者が「欧米」と一口に言うけれども、イギリスとアメリカとカナダとオーストラリアといった英語圏を言っているかに感ずる。なぜなら、フランス、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダ、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、チェコ、スロバキア、バルカン半島、オーストリア、ポルトガルなどそれぞれに個性的なものがあり、ひとくくりにして話すには無理があるからだ。国際社会には色々な人種がいる。たとえ異質でも、それを理解しようと努力することなしに、地球上に平和は訪れない。この点で、最も遅れている先進国はアメリカ人、次いで日本人。

 「日本のテレビニュースの大半は国内のことばかり、だから、日本に滞在する外国人は一年も経つと、帰国したとき浦島太郎になってしまう」。世界のニュースが少ないことは全く著者の言う通りである。チャンネルが多いのだから、初めにチャンネルの一つくらいは国際ニュースに絞るべきだった。

 「物真似からスタートしたことは事実だが、日本人は必ず、それを日本式に改良、改善を加え、付加価値を生んできた。極東の島国に生きてきた以上、ギリシャやローマを紀元前に持つ西欧諸国のように相互に切磋琢磨するチャンスがなかったのは仕方のないことで、明治以降、コピーで始まらざるを得なかったのは当然だった。しかし、真似をしても改良を加える特技を失ったら、日本人の本質が問われることになるだろう。

 「日本人には I think と言って、会話をスタートさせる癖があるが、thの発音が出来ないため、I sink と聞こえてしまい、「日本人は沈むのが好きだな」と揶揄される。イギリスでは、気まぐれの日本人を Instant Sunshine と言うらしい。

 「イギリス人は世界中で植民地政策を進めた歴史の名残か、どんな国に行っても、その国の生活、文化に関心を示し、現地の人々と対等に語り合う楽しさを知っている」という言葉に納得しないわけではないが、作者はイギリスの歴史に通暁した上でそう言っているのかどうか、疑念に終始せざるを得なかった。

 イギリスは12世紀からはアイルランドをいじめ、植民地時代には、アフリカ(ケニア、南ア)ではオランダを駆逐しつつ現地人をいじめ、米大陸のインディアンをいじめ、オーストラリア、ニュージーランドでは先住民族のアボリジニ人やマオリ人をいじめ、タスマニア島ではほぼ先住民の百パーセントを殺戮し、インド大陸では阿片を栽培させ、それを中国に持ち込み、中国の都会の至るところに阿片窟をつくり、衰微している清国相手に二度も戦争をしかけ、香港を割譲させ、長期にわたって租借した。

 世界に雄飛したことは歴史上特筆すべきことだが、私が知りたいのは、この時期、イギリス人が全部でどのくらいの異国人を殺したかである。作者がイギリスを好きなのは作者の勝手だが、アフリカにしろ、中近東にしろ、東南アジアにしろ、フランスと一緒になって国境の線引きまで出しゃばってやり、まるで鍋のなかの具を引っ掻き回すようなことをしてきたのも史的事実である。

 日本人がチップをつい忘れるのは、そういう習慣がないのだから、仕方のないことである。ただ、パッケージツアーや団体ツアーならば、コンダクターがまとめて払ってやれば解決する問題で、個人旅行できるくらいの人はチップの習慣を忘れることはないだろう。

 「Hesitance & humbleness are not virtue」とは別の言葉で言えば「Shyness & Modesty are not apprreciated」となり、「恥じらいと遠慮は美徳にならない」という意味である。これは明らかに日本人に対する揶揄である。欧米における個人主義が日本で育たないのは、日本人社会に基本的にある社会主義的精神ではないか。

 「日本人が質問されて一番困るのは日本の近代史である。教育界でも、古事記からはじまって、平安、鎌倉、戦国、江戸は教えられても、近代に入ってからの日本が犯した横暴、侵略に関して、学者間に一致した意見がないから、近代史をしっかり教えることができないという事情がある」。だから、「なぜ、日本人は死ぬとわかっているカミカゼに平気で乗れたのか」とか、「日本人は原子爆弾を落とされた事実をどう考えているのか」と言った質問に応えられず、西欧で顰蹙をかう背景となっている。私なら「日本人は死を恐れないからだし、いずれ原爆を落とした米国には報復する」と声を大にして言うだろう。

 「日本人の欠点は、自意識の欠落、コーカソイドへの劣等感、発展途上国民への優越感、歴史認識の不足だ」との指摘には異論はない。もうひとつは、自分が戦争しないと宣言すれば、戦争とは未来永劫関係なく生きられると思っている甘さで、「自衛隊は先制攻撃は決してしない」という束縛のなかにあることから、近隣諸国、北朝鮮も中国も日本を舐めている。どうせ自衛隊をもつのなら、これを国軍というまともな形に変え、場合によっては先制攻撃もあり得ることをを宣言しておけば、日本の対外発言力は間違いなく上向くだろう。

 「アメリカのイラクに対する態度は、まるで日本が中国にいちゃもんをつけ、中国を侵略した満州国のようなものだと中国人記者は言った」とあるが、私なら「これはちょうど日本人が満鉄をつくって満州国をつくろうとしたように、中国はチベットを確実に領土とすべく、高原への鉄道をつくり、チベットで殺戮をくりかえしているのに酷似している」と言い返すだろう。

 作者が最終的に推奨する日本人の特質として、「和」の精神を言う。日本人は「和」でまとまり、「和」を海外に持ち出すことによって、日本を理解してもらい、海外にも「和の精神」を普及させようではないかというのが本音のようだ。はたして、やつらが日本人のいう「和」を理解するだろうか?

 と同時に、海外に散った日本人がなお和の精神で互いに協力しあっているだろうか?アメリカにいる中国人や韓国人の移民らは相互に援けあっている姿をしばしば目にするが、日本人同士のそうした姿は日系移民の古い世代にはあったが、新しい移民同士には必ずしもあるとは思えない。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ