黒いスイス/福原直樹著

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黒いスイス

「黒いスイス」 福原直樹著  新潮新書

 記者として6年現地に居住した経験をもとに本書をまとめたということだが、全般的に上っ面を撫でている印象と突っ込み不足が否めない。ただ、スイスの歴史(全部ではないが)を知ることができた。

 ジプシーの生活態度や生活様式に困っているのはスイスだけではく、西欧一般(とくに南西部)に共通したことで、「ジプシー(ロマ族)迫害」が即「スイスは黒い」ということにはならないだろう。

 ジプシーの起源から説き起こし、中近東、トルコから西欧にまで広がっていった歴史と、それぞれの国がジプシーをどう扱ったか、そしてジプシーはいまどこでどうしているのかが判るともっとよかった。

 日本人がかつて強制的に連行、あるいは拉致してきた朝鮮人を迫害(たとえば関東大震災時の朝鮮人が井戸に毒を放り込んだというデマで住民が朝鮮人の殺害におよんだ)例もあり、このようなレベルの迫害はかつて世界中で起こっていた。ペストのときの西欧人のユダヤ人迫害も同様。

 国益を優先して、外国人の大量移入を阻もうとするのは、日本が外国人、(とくに発展途上国の人間)に国籍を与えまいとする姿勢と同じである。(スイス政府がナチスドイツに対しユダヤ人のパスポートには「J」のマークを押すよう依頼したにせよ)。 スイスは日本の九州くらいのサイズで、しかも国境はすべて地続きという国、あちこちから逃げてくる難民をすべて受け容れることは物理的にできなかったであろう。

 そのことは、たとえば、北朝鮮からの脱北者を積極的に受け容れようとしない中国や韓国のこともあるし、かといって我国が受け容れるとはとうてい思えない。人道、人道というが、「人道的であろうとする」ことには副作用が伴う。「外国人が増えれば犯罪が増える」のは西欧も日本も同じだろう。

 ただ、将来の課題として、K仕事を嫌う以上、K仕事を積極的にやってくれる外国人を受け入れる方向が検討されるのは歴史の必然で、その結果、日本で労働する人に子供ができ、親は外国人だが子供は日本語しかしゃべれない、親の本国をまるで知らないという状況が生まれる。そういう子供がいたいけな表情をして国籍やビザの取得を懇願する姿勢に「可哀想だ」と思わない日本人は少なくない。その心情は理解できるが、ドイツでも、フランスでも、ベルギーでも、イギリスでも、同じような外国人労働者の活用から、子供の出産に次ぐ「出生地主義」から国籍が取得できるというケースも一挙に増える。我国がどう対応すべきか、今後にシリアスな課題を残していることは現時点でも推量できる。

 第二次大戦中に日本の領事が本国の反対を押し切ってユダヤ人にビザを発給した記録があるし、ユダヤ人はそのことを恩に着ているようだが、かれらのほとんどは結局アメリカに永住している。決して、日本ではない。反ユダヤ主義は、当時、ソ連をはじめ西欧のどこの国にもあった。むろん、ナチスの大量殺人を是認するものではないが。

 現在、スイスの人口の20%が外国人(おそらくフランス、ドイツ、イギリスでも同じレベルであろう)。こうした現状を踏まえれば、トルコや東欧諸国から労働を求めてくる対応として、これを極力拒否するというのも、仕事を奪われまいとする市民の抵抗で、これも当然なことに思える。

 2005年に入って、まずはフランスが、次いでオランダが人民投票でEUへの加盟を拒否した裏には、低賃金労働者による浸食への懸念があるからで、今後、貧しい国ほどEUに加盟したがるのは必定だから、それゆえに惹起される労働の再配分が自国の労働者に不利に働くか否かが鍵となるだろう。

 外国人による犯罪が増えれば、一層、外国人へビザを与えたり、いわんや国籍を与えることには逡巡がみられるようになるだろう。EUは加盟国が増えれば増えるほど、収拾がつかなくなり、本来期待された機能を失うような気がする。(宗教的に異質な外国人の流入には、さすがの西欧人もアメリカでのテロ以降、神経質なのだ)。ことに、旧ソ連邦に属していた貧乏人たちがEU圏内に入れるようになれば、貧から発する動機は犯罪を喚起する。だからこそ、ユーロ圏では一定の条件を設け、ユーロ圏に入ることの障壁を設けている。

 スイスが一時、核武装を一応の目的にしていた時期があったとはいうものの、そうすることが自国の安全に資するからそうしたのに違いない。核三原則を金科玉条のようにしてきた日本は、いま核をもっているぞと威嚇する北朝鮮にびびっているではないか。平和は欲しいが、「我国は平和一本でいく」と宣言することで、外交がうまく運ぶなんてことはあり得ない。「平和が好き」などという、おちゃらけたプロパガンダは、この国の低脳にしか伝わらないし、いやんや外交には使えない。平和外交、話せばわかる、貧しい国には経済的な支援で、というこれまでの日本外交は悉く失敗に帰していることを、この際、認識しておこう。

 世界はいまなお「小学生」並みで、腕力のある生徒が番長になる。この図式は人類に英知というものがいまなお欠落していることを雄弁に物語っている。

 学んだこと:

1.ソ連がアフガニスタンから撤退したことは「ソ連の軍事力は絶大無比である」との世界的な評価が幻想だったことを認識させた。(米国のヴェトナム撤退と同じこと。とはいえ、遠くない将来、国を挙げて復活を期することはあるだろうし、ロシア人にはむかしから大国意識が根づいている。中国も例外ではない。アメリカを仮想敵国とした軍備の拡張、武器の近代化と輸出、とくに海洋へのこだわりが今後は目を見張らせるものとなるだろう。

2.スイスでの女性による参政権は1971年と民主国家としては非常に遅かった。これをもって「だから、スイスの国政は世界に冠たるものがあった。女性の参政権は必ずしも政治をよくしない」といった人物がいた。これには、当然ながら、賛否両論がある。

 本書を読み終えて感ずるのは、「日本はスイスを非難する立場にないし、資格もない」ということだ。

 よしんばスイスが黒いにせよ、その「黒さ」はイギリス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、ロシアには到底およばない。

 西欧でこの程度の黒さに驚いていたら、外交戦術そのものについていけなくなる。 所詮、人間は性悪なもの。

 きつい論評になったが、著者の「スイスは必ずしも日本人一般が思うほど美しい国ではないんだよ」という著作動機は、もちろん、了解している。が、日本人がスイスは美しい国だと思っているのは、スイス人に対する評価ではなく、単純にスイスの山岳風景に対する評価であると、私は思っている。


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