世界の歴史がわかる本(ルネッサンスと大航海時代~明、清帝国篇)/綿引弘著(パート3)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「世界の歴史がわかる本」 綿引弘(1936年生)著
その2「ルネッサンスと大航海時代~明、清帝国篇」
副題:欧州世界の繁栄が生んだ歴史的大転換
三笠書房  ¥533+税

書評・パート3

1.地球の「球体説」に基づき「大西洋を西に航行すれば、インドに達する」と説いたのは、イタリアのトスカネリ。14世紀以降、羅針盤の発明や造船技術、武器などの改良によって、航海術も向上、新航路開拓の推進力となった。

2.胡椒、香料は防腐剤を兼ねる意味で、肉食の西洋人にとっては必需品だったことが、東方への航海熱意を喚起。

3.まずは、ポルトガル、スペインが先駆して、大航海時代が始まる。バスコ・ダ・ガマがアフリカ喜望峰経由のインドへの航路を発見。一方、スペインはコロンブスの大西洋を西航行する計画を支援、3隻の船で70日余の航海の末にカリブ海に達し、ハイチ、キューバに到着。

4.帰路、コロンブスはスペイン王に援助を受けながら、ポルトガルに寄って情報を提供したため、スペイン、ポルトガル間に一触即発の危機的状況が発生。(このコロンブスの行動が不可解)。

5.教皇による洋上の領有権が子午線を軸に決められたため、中南米の領有に関し、ポルトガルの支配権が認められたのは南米のブラジルだけで、あとはスペインの領有となった。(これも今ひとつ解らない)。

6.コロンブスの二回目の遠征は17隻の船と1,500名の船員を従えての船出だったが、このときのコロンブスの現地での征服と支配がいかに残酷だったか、1493年~1496年までの3年間に、300~400人いたエスパニョーラ島の人口のうち3分の2が命を奪われている。また、500名のインディオを奴隷として本国に送っている。

 (これがキリスト教徒の仕業であり、「汝の敵を愛せ。ただしキリスト教徒だけにとどめよ」という経典に従った手法?)。

 コロンブスの遠征にかかわる成果がよく解らず、1502年から4年にかけての航海を最後に、失意のうちに死んだ。

7.1500年頃、マヤ文明は中米、メキシコの南部に農耕文化の基礎を築き、驚くほど正確な天文と暦学を発達させていたが、16世紀に侵入したスペイン人により、そのほとんどが焼き尽くされ、絵文字の解説はほとんど不可能になっている。

 (文明国からの使者が他国の文明を軽んずるという低脳をベースとした「お粗末」がこの時期も蔓延していた)。

8.南米の海抜4千メートルのアンデス高原にも紀元前84年頃から新石器時代に属する人々が住み、前10世紀以降、巨大なインカ帝国に発展した。長いあいだ他文明と接触のなかった、この二つの文明(マヤとインカ)は他文明との接触によって破壊の憂き目に遭った。馬を駆使し、火器に勝るスペインにとって、これらの地を支配下に置くことは容易だった。

 (西洋人が持ち込んだ天然痘で死亡した現地人も少なくない)。

 1521年~1660年までに新大陸からスペインに運び込まれた金、銀は公的なものだけで、金が2千トン、銀が1万8千トン。この当時、貧乏スペインが「世界一の富裕国になった」と言われた。むろん、スペインだけでなく、植民地拡大を目指した欧州全体が似たような恩恵にあずかったが、すべて植民地の犠牲を前提としている。

9.1494年、フランスのシャルル8世がイタリアに遠征軍を派遣し、フランス軍はたちまち、ミラノ、フィレンツェ、ローマを占領、ナポリを包囲した。このナポリ包囲軍に突如として梅毒が蔓延し、全滅する部隊も出た。フランス軍はナポリ攻略をあきらめ、アルプスを越えて逃げ帰った。梅毒はスペインの兵士がインカからもち帰った、新しいタイプの性病だった。

 (私は梅毒は元々、欧州が原産地だと誤解していた。が、このしっぺ返しは「ザマァみろ」という気持ちにさせる。むろん、欧州が南米から持ち帰ったものは数多い。ジャガイモやトマト、コカイン、ココアなどもそのうちに入っているだろう)。

10.ルネッサンスとは、いわば「温故知新の精神」であり、ギリシャ、ローマ時代の因習に捉われない、封建的な秩序の歪みから人間性を解放し、神の存在を否定せず、人間の個性を自由に発揮し、合理的なものの考えをすることで、カトリック教会の権威と封建領主からの抑圧から抜けだそうとする思考に基づくものだった。自然は神が創造し、神の意志で動かされるという一方的な考え方を乗り越え、自然を正しく認識し、自然の法則を発見、その法則に沿って自然を利用していこうという科学的な思考を生みだすものだった。(いわば妥協策。現実として、自然は破壊の対象となったに過ぎない。あらゆる宗教は自然に対する驚異から誕生したオタメゴカシである)。

 舞台となったのが皇帝派と教皇派が激しく抗争するイタリアだったのは、ギリシャ、ローマ時代の文化的遺産が多く残され、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の滅亡前後から(1453年)ビザンツ帝国の学者が多数イタリアに移住し、古典文化を伝えたこと、さらには東方文化の刺激を受けていたことで広い視野をもっていたことが挙げられる。そのうえ、当時の欧州世界では、イタリアに都市の発達が著しかったものの分裂し、混乱していたことがかえって学問、思想、芸術には自由で柔軟性のある思考が許されていたという好条件があった。

 当時の高名な人物としては、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオら文学者、ジオット、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらの芸術家、マキャベリら学者がみなフィレンツェ出身だったのはメディチ家のような大富豪が存在し、しかも民衆を保護し、学者や芸術家を優遇、教育に力を入れたため、自由な雰囲気がルネッサンスを生む土壌となった。

 また、この時期、東西貿易の航路が開けたことで、遠くは中国、インド、中近東の文化との接触も科学や技術の発達を刺激。とくに、中国から伝わった羅針盤の原型、活版印刷術、火薬は欧州社会の発展に大きく寄与した。印刷はグーテンベルグの手が加わり、洗練された利器として完成。

 16世紀半ばの、ポーランドのコペルニクスによる地動説、トスカネリの地球球体説、フランドルのメルカトル図法などを生み出すきっかけともなった。

 ただ、コペルニクスの地動説を支持したイタリアのジョルダーノ・プルーノが教皇の怒りに触れ、火刑に処せられたり、イタリアのガリレオ・ガリレイが望遠鏡による観測で地動説を確かめたが、教会の裁判にかけられたりもしたが、その後、ドイツのケプラーは遊星の運行に関する数理的法則を発見して、地動説の正しさを証明。後に、ニュートンの天文学に大きな影響を与えた。こうして、科学的な真理は次第に人々の信頼を勝ち得、教会の権威と古い世界観は大きな打撃をこうむるようになり、より自由なプロテスタントを生み出した。

11.16世紀~18世紀の「絶対主義国家」の誕生:

 1)スペインのフィリペ2世
 2)イギリスのチューダー朝、とくにヘンリー8世とエリザベス1世
 3)フランスのブルボン朝、ルイ14世
 4)プロシアのフリードリッヒ2世
 5)オーストリアのマリア・テレジア
 6)ロシアのピョートル1世、エカテリーナ2世

 この時代、近代的な体裁を整えた封建社会の再編成が進んだ。

 度量衡や貨幣制度の統一、国内市場の形成、租税制度の一貫性、国民としての連帯感の醸成、国家ごとの国語の統一などが挙げられる。
 (中国の秦はこれと同じことを紀元前に行なった)。

12.海外覇権の争奪戦は母国の産業の裏づけがない限り、その目的を長期にわたり掌握できなかったため、スペイン、ポルトガルの没落は早かった。代わって、オランダ、イギリス、フランスが覇権を握ることになる。その後、スペインが復活したのはオーストリアのハブスブルグ家の支援と、スペインのフィリプ2世がイギリスの女王メアリ1世と結婚し、地中海の制海権を握っていたオスマン・トルコをレパント沖の海戦で破り(1571年)、1580年には王統の尽きたポルトガルの王位も継承と幸運が重なり、広大な海外植民地を併呑、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるほどの隆盛をきわめた。(航海時代にドイツは完全に乗り遅れた。そのことも大戦を起こした原因の一つであろう)。

 ただ、16世紀から17世紀にかけては欧州内での戦争が絶えなかった時期でもあった。

 1567年~1581年 オランダvsスペイン
 1588年 スペイン無敵艦隊vsイギリス海軍
 1618年~1648年 ドイツ国内で、スペインvsデンマーク、スウェーデン、フランス
 1623年~1653年 フランスvsオーストリア、スペイン
 1652年 イギリスのアイルランド侵略
 1652年~1654年 イギリスvsオランダ
 1664年~1667年 イギリスvsオランダ(これにより、海上の制海権をイギリスに奪われる)
 その他:フランスvsドイツ、イギリス、オランダ、スペイン
 1701年~1713年 フランスvsオーストリア、プロシア、オランダ

 戦争の都度、欧州内の国境線は変化した。

13.17世紀は科学の世紀でもあった。

 1)ニュートンの「万有引力の法則」
 2)ボイルの「化学元素の概念」の確立
 3)ハーベイの「血液循環の発見」と「近代生理学」

14.18世紀

 1)フランスのラボアジェの「燃焼理論」
 2)ラブラースの「太陽系生成理論」
 3)スウェーデン、リンネの「植物分類学」
 4)イギリス、ジェンナーの「種痘法の発明」
 5)アメリカ、フランクリンの「避雷針」の発明
 6)イギリス、ボルダの「電池の発明」

 哲学の分野では:

 1)イギリス、フランシス・ベーコンの「帰納法」
 2)フランス、デカルトの「演繹法」
 3)オランダ、スピノザの「没神論」
 4)ドイツ、ライプニッツの「単子論」
 5)フランス、パスカルの「瞑想録パンセ」
 6)モンテスキューの「法の精神」「三権分立」
 7)ボルテールの「理性にかなう合理主義の提唱」
 8)ルソーの「自然に帰れ」「民約論」
 9)ティドロ&ダランベールの「百科全書の編纂」


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ