あらゆる場所に花束が/中原昌也著

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「あらゆる場所に花束が」 中原昌也著
新潮社  2005年5月文庫化初版

 本書の解説があまりに長いこと、しかも、異端児をかばおうとするあまりの言葉の綾なのか、たとえば「因果律の破綻」だとか「切断的展開」だとか、「起承転結のない流れ」だとかいう修飾語で、内容的にわけのわからない小説を賞賛する姿勢そのものに驚愕した。

 はっきりいって、これは「脈絡を放棄した小説」とでも評すべきで、ワンパラグラフごとに眠気に襲われ、薄っぺらな内容の薄っぺらな小説にも拘わらず読了まで思わぬ時間がとられた。三島賞を受賞した作品だという裏表紙の宣伝に乗ってつい手にしたのが運の尽きというべきか、時間を無駄にしただけに終わった。

 わけの解らない小説を三島賞に選んだ現代文学界の大御所連中の頭の具合に、驚愕、仰天したのは、「内容が奇抜、奇異、奇怪、奇形であれば、過去の作品を越えたと判断するのか」という反発で、読者は小説のなかにピカソの絵を見たいわけではないことを知るべきだ。

 だいたい、初めから「芳香」を「フラグランス」と言ったり、「欲しい品物のリスト」を「ウィッシュ・リスト」と言ったり、「おめぇは英語力をひけらかしてぇのか」と、のっけからむかっとさせられた。登場する人物も軽く、実在感が希薄であり、一般的な生活感覚からはあまりに隔絶した世界が描かれ、単に狂気の男による奇を衒(てら)った作品という印象しかない。その上、言葉遣いにも錬度を感じさせるものがない。

 読後感がほとんど残らないという小説にも初めて接したが、作者本人が「あとがき」で「だれかに褒めてもらおうなんてぜんぜん思っていなかった」と明言しているので、上記したように遠慮のないコメントに終始したが、結局のところ、ある作品に芸術としての価値があるか否かは時間の経過が教えてくれるわけだから、この時点で、私がごちゃごちゃケチをつける必要はないのかも知れない。

 私の見方が間違っているのか、選考委員の見方がおかしいのか、半世紀も経たずして、判定は下されるだろう。


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