クライマーズ・ハイ/横山秀夫著

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クライマーズハイ

「クライマーズ・ハイ」  横山秀夫(1957年生)著
2003年 単行本として初版
2006年6月 文春文庫初版

 本書は限りなくノンフィクションに近い小説というべきだろう。

 29年前に起こった御巣鷹山での飛行機事故を背景とし、「魔の山」といわれる谷川岳の、中でも最高に難度の高い「衝立山」へのロッククライミングをストーリーに重ね、人間としての、記者としての、生き方を示した傑作だと評価したい。

 久しぶりに、硬質で、しっかりした文章に出遭った気がする。

 飛行機事故に関する著作としては、柳田邦男の「マッハの恐怖」をむかし読んだことがあるが、事故の原因を調査する面を強調して書かれた作品だったと記憶している。

 タイトルの「クライマーズ・ハイ」とは、「クライマーは絶壁を登攀するうちにアドレナリンに押され脇目も振らずに高度を稼いでいく。興奮状態が極限にまで達し、恐怖感が麻痺すること」を言う。しかし、「登攀の途中で、これが解けると、恐怖心が一気に噴出し、その場から一歩も動けなくなる精神状態」に陥ることもある。

 谷川岳が「魔の山」と呼ばれ、「人喰い山」とも呼ばれるのは、山自体は2千メートル級でたいした山ではないが、ロッククライマーにはそこにある絶壁(約300メートル)が魅力で、2003年8月の時点で、779人ものクライマーが落下や落石で死んでいるという事実にある。著者によれば、このような例は世界中どこを探してもこれほどの人命を奪った崖はないという。

 (断崖の高さだけでいえば、300メートルを超える壁は世界にいくらでもあるのだから、衝立岩には独特の難しさが秘んでいるとしか考えられない。たとえば、岩が崩れやすい、オーバーハング(庇)が多い、ハーケンが打ちにくいなど)。

 登場する男たちは今時こんな男がいるのかと思うほど男らしい所作で貫かれている。男たちがぶつかり合う様はエキサイティングで、「男はこうでなくっては」と思わせるものがある。ただ、新聞が売れなくなっている時代、この種の記者や記事を中心とした著作が売れるのかどうかまでは、私には判らない。

 著者は当時、御巣鷹山が存在する群馬県の上毛新聞という地方紙の記者をしており、当然ながら規模的には全国新聞に比べ小さく、そういう新聞社で働く男たちが大手に負けまいと喧嘩腰でぶつかりあう様は圧倒的な迫力をもって迫ってくるが、一方で陰湿な葛藤があり、セクショナリズムがあり、人間の性(さが)というものは、所属する組織の規模に関係のないことがよく解る。

 読書中に感銘を受けた言葉は:

1.「無我を貪る」

2.本音を言わない人を信じてはいけない。そういう人は本当の人生を生きていないから。

3.ある老婆がテレビで御巣鷹山を放映する画面を見つつ、「自分が死んでも、あれほどに扱われることはないし、あれほど多くの人が悲しんでくれることもない」と呟いた。

4.人間の死には、大中小はなく、等級もなく、上中下もないはずが、実際の社会的な扱われ方には厳然とした違いがある。(死んだ本人にとっては死後にどう扱われようが同じことではあるが)

 「贅肉のない、彫琢された文体は際立っている」とは、解説者の言葉であり、私も同感。


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