悪魔のパス・天使のゴール/村上龍著

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「悪魔のパス・天使のゴール」
村上龍(1952年生/芥川賞選考委員会委員)著
幻冬舎  2002年5月初版 単行本

 イタリアのサッカーを中心に、欧州、カリブ海にまで舞台を広げ、地理的なスケールを意図しつつ、サッカーの魅力、迫力、凄絶さを映像ではなく、文字で表現しようとした作者の試みは初のトライアルとして、賞賛に値する。

 ちょうど、中田英寿がイタリアのチームに渡ったときから、作者はイタリアサッカーを追い、資料を集め、必要なインタビューをときに中田を介在させて行い、イタリア人のサッカーに対する日本人とはおよそ異なる熱狂度を精密な筆致で描く。イタリア人にとってサッカーは単なる趣味ではない。熱狂度が日本人サポーターのそれとは比べものにならぬほど烈しく、そういうサポーターに選手たちも鼓舞され、自分の能力を誇示、認めさせようとする意欲も信じられないほど強い。

(南米でも、ブラジル、アルゼンチンなどは、アウェイで負けると、帰国時には身に危険があると聞く)。

 さらに、たかがサッカーの試合に乱闘が起こり、火が放たれ、フアンが機動隊の壁を突破してピッチに乱入する場面は、サッカーが戦争の代替といった印象すらある。観客がサッカーの観戦をすると人格までが変容をきたす。

 また、サッカーの醍醐味がゴールゲットよりも、デリケートなピン・ポイントでボールを蹴り、ゴールゲットする同チームの選手に絶妙のパスをする技術を要求されるところに魅力を感じ、その部分を強調することを含め、サッカーのなんたるかを存分に物語っている。

 正直いって、私個人はこの作家の文体、文章は乾燥度が強く、しっとり感、潤い感が欠落しているように感じ、相性が悪いというべきか、多くを読んでみたいとは思わない作家だが、サッカーフアンで、かつ中田英寿のフアンでもある知己から「ぜひ読んでみて」と言われて手にとった。

 380ページにおよぶ分厚い単行本はちょっと読んでは眠気をもよおし、さいごの起承転結の「結」の部分にあたる「天使のゴール」が始まるPage278から100ページだけは、息を呑むシーンが連続、壮絶さ、迫力、熱狂の波が渦となって描写され、表現が著しく美しく、一気読みを強いられた。この部分が、一般読者にサッカーの知られざるエキス、エレメントを顕著に示唆、脳裡にインプットさせることに成功している。

 また、サッカーの面白さでもあり、恐ろしさはバスケットよりプレイフィールドが広大で、アメフトや野球のように攻守がはっきり分かれていないため、選手間の距離が自由でフォーメーションが複雑なこと。たった一人の選手の運動量がわずかに落ちるだけで全体が機能低下をきたし、機動力が減殺することなど記しているが、比較が当を得ていて理解しやすい。

 読み始めてから読了するまで、7月10日の「ミューズ」以来、5日間がかかったというケースは過去に「レイテ戦記・上中下」の6日間と、「ユダヤ人の歴史・上下巻」に1か月ほどかかったという稀なケースがあっただけで、正直なところ、はじめの部分は私にとって睡眠薬の効果をもってしまった。

 ドーピングの問題を物語にからませることで全体を面白く展開させようと捻り出した意図は理解できるが、現実味にも信憑性にも乏しく、ためにカリブ海のキューバまで舞台を広げているが、その必然性には疑問を感ずる。さらに、サッカーとは関係のないカリブを中心とする音楽の話は余計な気がする。

 とはいえ、本書によって、サッカーとはあまり関係のないところで学ぶ機会のあったことは喜びたい。以下にそれを記すが、(  )内は私の個人的意見。

1.フランスには国民性などというものはない。右向けといったら全員が一斉に右を向くような日本とは違い、徹頭徹尾個人主義である。(フランスは植民地だったヴェトナムさえ単独で支配を継続できず、赤化の脅威があるにもかかわらず、戦争をアメリカに全面的に託して逃げてしまったという史実があるが、逃げたことは明らかに正解だった)。

2.中南米やラテン諸国(イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル)で教養の域を超えて英語を流暢に話す人間は信用できない。

3.セックスより気持ちの良い瞬間を持ち得るか否かが男の価値を決める。

4.ベルギーは南部はフランス語に似たワロン語を話し、北部はフラマン語が話されているがオランダ語にそっくり、つまりベルギーはフランスとオランダの領土を一部ずつ分けあってつくった国というイメージだが、二つの民族が南北に別れて住んでいるから、軍隊配備が難しく、ためにベルギー全軍は自国領土に置かず、NATOに預けてしまっている。(ベルギーは人の名前が源語)。

5.黒人奴隷が輸入されたのはアメリカ合衆国のほかにはブラジルとカリブ海の島々で、メキシコにはほとんど入っていない。メキシコではスペインの数百人規模の軍隊がマヤ、アステカなどの大帝国を簡単に征服できたのは新大陸にない天然痘ウィルスを使ったこと、メキシコにはなかった馬を使役できたことで、効率的に全土を支配できた。
 (いずれも、私にとって初めて知った歴史である。当時の白人たち、植民地獲得への貪欲さ、現地人を人間とは思っていない姿勢がよくわかる。ちなみに、マヤ文明などでは各地方文明が内部抗争に至ったときも互いに相手の王を殺さず、都市を破壊しないという不文律があり、おかげで、各文明が互いに多様性を認めあって、2000年という長期にわたる文明を維持できたという。アメリカのように「民主主義」と「自由市場」だけを金科玉条のようにして他国に押し付ける手法は歴史に学んでいない証拠、多様性のなかに人類生き残りの鍵があることを理解していない)。

6.日本人はイタリアのファッションとイギリスの王室と狂牛病以外、EUにはあまり興味がない。
 (これはちょっと言いすぎではないか。日本人はドイツのメルセデス・ベンツやイタリアのフェラーリを高く評価しているし、オランダの風車や窓の女、イギリスの大英博物館、フランスのルーブル博物館、エッフェル塔、ワイン、コニャック、スイスの緑溢れる高原地帯とマッターホルン、アルプスのモンブラン、イタリアのローマとその数々の遺跡群、ギリシャ神殿、スペインの情熱的な舞踏にも関心が深い)。

7.アメリカ人はTシャツを着るが、ヨーロッパ人は夏でもTシャツを着ない。

8.世界的なスポーツという点で、人口比の点でも、アメリカのフットボールもバスケットも野球もアイスホッケーもサッカーの敵ではない。
 (アメリカのサッカーチームは決して弱くはないのだから、勿体ない話)。

 私が通っていた中学はサッカーでは抜群に強い学校だった。だから、昼休みになると、だれもかれもがボールを持ち出し、何組ものサッカー試合が同じグラウンドで入り乱れて行なわれたものだが、私が所属するチームにスタンドプレイばかりする男がいて、絶対にパスをせず、一人で相手チームのディフェンスをかわし、ゴールしてしまって悦に入っている図に嫌気が差し、以来、私はサッカーを忌避、一対一の勝負事の方が好きになってしまった。

 本書はサッカーの魅力や迫力を充分に示唆、暗示している。


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