国家の品格/藤原正彦著(その2)

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国家の品格

「国家の品格」 藤原正彦著  新潮新書

 2006年8月4日の書評に書き足りなかった部分だけ、ここに記す。

 その部分とは、「いまやアメリカのニューヨークで生まれる子供が一歳に達することができる数は中国の北京で生まれる子供より劣っている。これこそが成果主義、民主主義の成果なのか」という部分に対してである。

 公表13億人だが、実際には15億人に近い人口を抱える国では常識を超え、先進国では考えられない、一般的な思慮の範疇に入らないことも現実に平然と行われ、そのことの罪の意識など一片もないという状況も存在する。

 たとえば、「一人っ子政策」が採られたとき、庶民は次のように対応したと聞く。

1.女の子が生まれた場合、男の子が欲しい家庭では即座に窒息死させて間引いた、あるいは子供の誕生を登録せず放置し、これが中国の人口を確実に把握するうえで隘路になった。当局に子供が二人いることを発見された場合には、一人強制的に孤児院に入れられた。

2.胎内の子が女の子の場合、堕胎が大量に発生した。 この処理をめぐっては一種のシンジケートが介在し、引き取り手に胎盤とまだ形をなしていない子とを卸す。用途の一つは、コラーゲンを多量に含むことから化粧品の素材とする、もう一つは細胞の活性化が図れるとの思いで胎児を食材とした。

 以上は、中国通の筋から聞いた話で、確証はない。が、牛にしても、子牛のソテーを珍味にしたり、フィリピンのように卵のなかの鳥が形をなしたばかりのタイミングで殻を意図的に壊して柔らかい肉を食するという習慣があり、あながち荒唐無稽とは思えない。なにせ、ついこのあいだまで、猿の脳を鋸で切断し、脳みを生きたまま美味として食していた民族だから。

3.さらにいえば、一人っ子政策が生んだデメリットとして、過保護に育てられたため極めてわがままで、社会的に使いものにらないという弊害である。かれらはそういう子供を「小皇帝」と呼んでいる。

 北京とニューヨークの比較だけで、両国の事情を論ずるのではなく、両国全体で比較すれば、もし正しい統計が得られのならばという前提つきだが、結果として出てくる数字は相当異なったものになるだろう。

 中国には隠れた裏面が色々と存在することを明記しておきたい。15億人もいたら、人権などというものはないし、人の命は石鹸の泡よりも軽い。そして、市場開放後の発展によって生まれた新しい経済状態と社会形態とは、この国が創り上げた階級社会のトップに立つ為政者、管理者らに多量の賄賂や癒着の機会が提供されるという、願ってもない時代が訪れていることが想像される。

 さらに、現今盛んに議論されている二酸化炭素の大気放出を抑制する案にアメリカだけでなく、中国などは「サインする気はない」ことを明言している。先進国が過去にやってきたツケをなぜ自分たちが払わなければいけないのかという理屈であろう。とはいえ、産業廃棄部、鉱山の有毒物質が撒き散らされ、廃棄されている現状は、国土の砂漠化とともに、自滅への道を歩んでいるという気がしてならない。

 「自然に唾する者を天は許さない」という言葉を噛み締めよう。


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One Response to “国家の品格/藤原正彦著(その2)”

  1. aki777 より:

    |ω・´)いたらブログ(・∀・)カコイイ!!ですね大変参考になります

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