ドストエフスキー 謎とちから/亀山郁夫著

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ドストエフスキー・謎とちから

「ドストエフスキー・謎とちから」
亀山郁夫(1949年生)著  文春新書
帯広告:ドストエフスキーの「謎」と「悲劇」の源に近づく

 ロシアを代表する文豪の作品としては「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」「白痴」などがあり、高校時代に作品名の暗記だけはした覚えがある。

 正直にいうと、私はドストエフスキーの著作に触れたことはない。学生時代から、私が勝手に根拠もなく持っていたイメージが「陰鬱」「暗さ」「狂気」「おぞましさ」だったからで、上記したタイトルからもそれは匂ってくる。本書によって、世界文学における巨峰の著作の真実の姿を知ってみたいという欲求が読むことを強いたといってもいい。ロシア人による著作で読んだ記憶のあるのは、辛うじて、ツルゲネーフとチェーホフくらいで、かの有名なトルストイの「戦争と平和」も読んでいない。

 ドストエフスキーは癲癇の持ち主で、強度のヒステリーを起こす人物だったが、少年時代の母をめぐる父親との葛藤が根にあるという。父親は横暴で、ウォッカを飲んで、農奴の娘に手を出し、それが原因で妻が家出をするなどという状況があり、母親への愛情と憧憬から、父親に対し「殺してやりたい」ほどの憎悪が、母親も父親も亡くなった後まで尾を引き、それが作品の根底をなしているらしい。

 さらに、ロシアのキリスト教は10世紀にローマ帝国から受け入れる以前に、土地には太陽や雷などを崇拝する異教、アニミズムが支配していたため、以後、千年以上にわたり、キリスト教と異教との融合体、二重信仰を特色としたという過程がある。作品にも宗教に関しては過剰とも思われるニつの信仰の密接な感覚が、宗教的にタブー視されたものが「性」を含め、執拗について回る。「罪と罰」などは、そうした印象の強烈な作品といえるだろう。

 私は、はっきりいって、宗教には嫌悪感を覚えるほうだし、それは宗教こそが人間同士の殺し合いを増幅してきたという歴史観に基づいている。

 ドストエフスキーは反皇帝の徒党に組していたことで28歳のときに逮捕され、死刑の宣告を受けたが、処刑直前に恩赦があり、シベリアの流刑地に8年を過ごすという経験をしている。

 おぞましさの例としては「白痴」がある。

 主人公は下宿部屋の隣で人形遊びをしていた少女を抱き上げて口づけし、耳元で言葉をささやく。少女は歓喜に震えて彼にキスの雨を降らせる。主人公は少女の行為に激しい嫌悪を感じながら、それでも少女を陵辱し続ける。熱病から覚醒した少女はアパートの中庭の物置小屋に入る。主人公は少女の自死を予感しつつも、止めようともせずに部屋で過ごす。やがて、中庭に降り、板の隙間から娘の縊死死体を覗き見しつつオナ二ズムに耽るという「二重の陵辱」を平然と行なう。作者は「見る快楽に溺れる人間の極限の堕落は現代に生きるすべての人間の原型を見る思いがする」というが、人類の歩みを見るアングルによっては作者の指摘は当を得ている。

 ある研究者は「白痴はロシア文化の衝撃的な多重点だ」と言ったのは、当時のロシア文化の謎の部分、名状しがたい隠された部分を形にした小説であるとの意味が込められている。

 また、「カラマーゾフの兄弟」には少年時代の父親との葛藤がベースをなし、「父親殺し」がテーマになり、ドストエフスキーは生涯、ねじれた願望から逃れられなかったのではないかという気がする。また、そうした家族関係が傑作を世に送り出すよすがとなったとは言えるのではないか。

 1881年に皇帝のアレクサンドルス2世は暗殺されるが、ドストエフスキーはそれまでは生きていなかった。

 彼が生きた時代のロシアという国の実情は、社会主義革命の起こる前夜であり、政治的にも社会的にも混沌の時代、いわば過渡期のただ中にあったことが作品に影響を与えたことも無視できない。ロシア社会の疲弊はトルコにクリミア戦争で敗れたときから始まり(ために、アラスカをアメリカに売って賠償金を支払った)、日露戦役で敗北を喫したことで、さらなる衝撃を受け、レーニンやトルッキーらによるマルキシズムの跳梁が始まりつつあった。

 「人間の救済」がドストエフスキーの著作の目的だとしたら、それはあくまで彼自身の、少年時代に傷ついた心の救済であったかも知れず、人間が基本的にもっている性悪さ、煩悩や業(ごう)といったものとの格闘、というより相克だったといえるのかも知れない。


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One Response to “ドストエフスキー 謎とちから/亀山郁夫著”

  1. ハカセ より:

    こちらは、今日は雨です。
    ブログまた立ち寄らせてください。
    ご迷惑でなければ、よろしくお願いします。

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