匂いのエロティシズム/鈴木隆著

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においのエロチシズム

「匂いのエロティシズム」 鈴木隆(1961年生)著
集英社新書  2002年2月初版

 著者はパヒューマーとしての経験があり、4年間をフランスのパリで過ごし、2000年以降はニューヨークに在住。

 私の想像では、著者の海外経験に比較し、日本人があまりにも綺麗好きで、清潔であり、過剰な衛生観念にとらわれている現状から、本書を上梓する気になったのではないかと思われる。かつてナポレオンが愛人のジョセフィーヌに対し、「今日は早く帰宅できるから、シャワーを浴びずに待っていてくれ」と言った話から推量すれば、著者はフランス人、アメリカ人ら、いわゆるコーカソイド(白人)の体臭の強さや、体臭を愛する性癖を知悉しているであろう。

 過日、本ブログで「日本の女性はセックスする前に必ずシャワーを浴びるのはなぜか」という外国人の披瀝した不思議体験の質問について、若干の私見を書き、上記したナポレオンのことにも触れたが、本書の帯広告では「誰かの匂いに興奮したことはありませんか」という疑問符とともに、内容が媚薬、フェロモン、ブルセラ(ブルマーとセーラー服を合わせた造語)の売買、ボンデージなどにあわせ、人間特有の「性」と「匂い」の謎を追うとの言葉が添えられ、「視聴覚教室はあるのに、なぜ嗅覚教室はないのか」との疑問をのっけから出してくる。

 「この国では、身体やセクシュアリティにおける匂いというものの位置づけが曖昧で、そのことを軽視、ひどい場合は蔑視する傾向が強く存在する。日本では、匂いがエロスに果たす役割をまともに理解したり、意味づけしたりすることを怠ってきた、というより避けてきた。性教育のなかでも、匂いの要素は無視され、少なくとも、第二次性徴期の特徴として、腋毛や陰毛といった体毛の増加や、女子での乳房のふくらみ、男子での変声については触れられても、腋の下やヴァギナからの匂いが劇的に変化することには全く触れようとしない。そうした現象に、日本人は意味を見出していないかのような印象さえ受ける」

 「ために、性行為の渦中で、過剰なまでに匂いに耽溺する人が相手になった場合、相手を変態的とか動物的とかいうイメージが抱かれやすい土壌ができてしまっている。人間の嗅覚は他の動物に比べ、著しく退化したとはいえ、セクシュアリティと全く関係がなくなってしまったというわけではない」(嗅覚が欠落したら、どんなに美味なものを食べても、美味とは感じなくなりもする)。

 「日本人は一般的に体臭を嫌い、体臭を消すことに腐心するが、体臭を嫌悪しない社会は世界に幾らでもある。とくに未開社会のなかには、個人の体臭より部族や性による体臭の違いに基づく価値体系のようなものさえ存在する」

 「元々、体臭そのものが男女相互間における媚薬としての効果をもっていたと考えるのが妥当で、パヒュームに代表される薬品、化粧品はそれを強調したに過ぎない。現代の日本人がこれを嫌悪し、匂いを消すことに躍起になっている現実は、性的魅力の欠落を意味することにならないか」

 「なぜ無毛に進化してきた人間の腋の下だけには毛が残っているのか。髪の毛はヘアースタイルを気にして美容院や理髪店に定期的に行って世話をするが、陰毛は男女とも、女子がビキニ(とくにハイレグ)の水着を着るときを例外として、野放しにするのに、腋毛だけは現代女性はムダ毛と称して剃ってしまう」

 (昭和40年代までは、日本女性も腋毛を野放し状態で通勤していたから、夏など東京の旧国鉄の山手線などでも吊り革に掴まっている女性の腋毛が見えたものだし、なかには赤子に授乳するため車内で堂々と乳房を出していた女性も頻繁に目にした)

 「腋毛が腋臭(わきが)を臭い立たせるのは、なくてはならないものであり、腋の下から出る汗として出た水分が湿り気を帯び、さまざまな成分を分解してつくった匂いの物質が腋毛の広い表面積に拡がり、その匂いが体を動かすたびに、効果的に拡散する。これを剃ってしまわなければならないという必然性はない」

 (日本女性が腋毛を剃るようになったのは西欧人の女性を真似ただけのことであろう。米ソの冷戦が続いていた頃の水泳の世界大会では、ソ連邦に所属している国(東ドイツなど)の女性選手が腋毛を剃っていないことに、テレビを見ていて驚いた経験を思いだす。また、容姿、容貌ともに優れた女性なのに、脇臭がひどくて、そばに座っていられないというケースもなくはない。日本では概して暑い土地に腋臭(わきが)の女性が多かったという経験がある。

 「古代の女性は陰部からフェロモンを強く放出していたと思われるが、自分に迫ってくる男のなかから、好きな男を選んでいただろう。そして、その男の子を生んだであろう。そうなると、集団生活のなかで、夫はおちおち狩猟に出かけられなくなる。とくに子育てに父親の狩猟による食料の供給と手助けが必要不可欠になると、それまでの乱婚状態を継続すれば家族崩壊の危機にさらされる。そういう過程で、家族の基盤が安定した集団生活として成立することが必須となり、そこで社会の無言のプレッシャーが必然的に働いて、時間の経過とともに性的な匂いに対するセンサーが次第に鈍化し、互いに自分のパートナーを大切にする習慣がはぐくまれ、この禁忌を破れば、集団から放擲されたり殺されたりしたであろう。その結果、男たちは女性の陰部から撒き散らされるフェロモンを嗅ぎ出す能力が低下、さらには女性の陰部からのフェロモンも減退し、それが腋の下に移ったのだと考えられる」

 「人間の脳の大型化は、社会関係の複雑化や食性の変化によるところが大きい。一方、性関係の複雑化も脳を大きくした要因の一つで、本能的な性から視覚刺激を性的興奮に結びつけるには、何回ものステップを経過する多種多様な脳内の処理が必要となり、『視覚エロス』を選びとることによって大脳化が進んだこともあり得たであろう。男はコミュニケーションの道具を総動員し、それらを統合し、相手の仕草や容姿などを観察、セクシーな刺激を受ければ欲情するというケースが増えた。これがあらゆる人間の行動パターンの原型かも知れない。匂い以外のあらゆるものをエロスのなかに取り込む過程で、匂いの相対的な地位の低下は免れ得ない運命にあっただろう」

 「とはいえ、なぜ男は女の性器を見たがるのであろうか。性器にベールをかぶせたために下着を剥ぐ欲望が生まれたと考えるのが普通だが、隠すようになったのは羞恥という感情が生まれる前から、ヒトは性器を葉やその他の植物を使って隠してきたわけで、男が女の性器を見たがる裏には見ることと同時に匂いを嗅ぎたい欲望が付随しているのではないか」

 (性器を隠す習慣が長期にわたって続いたため、下着を剥がすことで相手の女性が恥ずかしがる様子や言動に性的興奮を覚えることも否定できない。とくに、日本人の男性は羞恥心の欠落した女性を積極的には抱きたがらない傾向があるような気がする。また、どんなに体臭を消したつもりでも、女性には男性にない匂いが髪にも、体表の肌にも、性器にもあり、そうした匂いに包まれ、接触することに快感もあり、かつ興奮もするだろう。ただ、性器から発散する匂いの濃淡は体質によって異なる)。

 「嗅覚には人種による違いがある。東洋人なら判る匂いが西欧人には判らないということは、西欧人が渋みを感ずる味蕾(みらい)をもっていないことに相似している。また、同じ人種でも、嗅覚が繊細で敏感な人もいれば、そうでない人もいる」

 「フェティシズムをどう理解し、人間社会やセクシュアリティのなかにどのように位置づけていくかが、現代思想の一つの重要なテーマではなかろうか」

 「フェティシズムを示す専門用語は、淫臭症をオゾラグニア、異臭症をオルファクショイズム、異性の下着や生理用品やブラジャーや枕を顔や鼻に押しつけ、こすりつけて性的に興奮するのをミゾフィリア、死体愛好をネクロフィアという」

 以上は私が重要だと思った点だけを、言葉を若干換えたり加えたして書き出し、(  )内には私の個人的な意見、考え、思いつきを書いたが、本書は全編にわたって極めて真面目にテーマをまとめている。

 むかし、徳川家康が老人となったとき、荒淫で早死にした秀吉を見ていたため、若い女を添い寝させ、性的な関係を持たずに一夜を過ごすことに徹したという話があるが、そうした回春目的の外国での例にも触れている。と同時に、媚薬としての麝香(じゃこう/鹿から採取する)や龍涎香(りゅうぜんこう/鯨の腸結石)、各種パヒュームなども懇切に説明している。

 また、自分の金を百万円使い、通販で女性の使用済みパンティを14年間で数百枚買いこみ、それぞれの匂いを嗅いで興奮する男の話が出くるが、数百枚すべてにそれぞれ異なる匂いがあり、その男はそれだけ繊細な嗅覚に恵まれているわけで、誰もが同じように嗅ぎ分けられるわけではなく、男は「それが自分にとってエクスタシーなんです」と明言する。そのうえ、時間が経過してパンティの匂いが薄れてくると、ラップに包んでチンすれば、元々の匂いが立ち昇るという。


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