日々の非常口/アーサー・ビナード著

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「日々の非常口」 アーサー・ビナード(Arthur Binard/在日アメリカ人/1967年生)著
帯広告:アーサー氏のフツーの日々はこんなにも刺激的
2005年8月 朝日新聞社より単行本
2009年8月1日 新潮社より文庫化初版  ¥438+税

 現代のラフカディオ・ハーンというべきか、著者の日本に関する知識も、日本語に関しても、平均的な日本人、むろん私を含めて、は到底及ばない。物事、事象を見る目が鋭く、かつユニークというだけでなく、いちいち捻りが効いている。当然ながら、作品は著者が自ら日本語で書いたものである。

 内容は何十というタイトルのエッセイだが、日米を行き来する目が両国の際立つ特徴をあらためてフェアな立場から認識させてくれるし、賢さに唸ってしまう箇所もあるし、深く感銘する箇所もあるのだが、不思議なことに、何に唸ってしまい何に感銘を受けたのかを読み進めば進むほど、どんどん忘れてしまう。おそらく見出し(目次)が多すぎることに原因があるからだろう。

 そうした読者としての不徹底なスタンスを前提に、辛うじて記憶に残ったところを以下に記せば:

 「携帯電話は『歩きしゃべり器』」、日本人の携帯との繋がりを風景として的確に表現している。

 「バキュームは真空という意味だが、英語を母国語とする国に『バキューム・カー』という言葉は存在しない」

 「ニュージーランドのマオリ族は刺青の言葉が70を超える。それにひきかえ、英米語には酔っ払うことに関する言葉がやたら多い。言葉の多寡はその民族の本質のようなものを暗示している」

(マオリ族は顎にも頬にも口にも肩にも背中にも、といった具合に体中に刺青をほどこすことに起因し、そのうえ同じ刺青でも男女で言葉が異なるため、表現するうえで膨大な言葉を必要とするようになったらしい。エスキモー(イヌイット)の「白色」のバラエティーとも、日本の「魚の名前」の多さとも同列のもの)。

 「聖書のオリジナルは1千8百年前のギリシャ語で書かれていて、文章にはまったくスペースというものがなく、句読点も一切打たれていず、章立てさえなく、文字がズルズルと続くから、翻訳者がどこで切るかによって、まるっきり意味が違ってくる。英語で例えれば、「GODISNOWHERE」を「God is now here」と切れば、『神はいまここにおわす』になるし、「God is nowhere」と切れば、『神はどこにもいない』になってしまう」

 エッセイの一つに「雷」のことを書いたものがあり、「ピカッと光る放電を英語では『lightning』と言い、おっつけ鳴る雷を『Thunder』といい、両者は明らかに別のものだが、日本語の雷は両方を孕(はら)み得るので解剖したくなる」とあるが、私個人の理解では、雷は「ゴロゴロという音」であり、ピカッと光る放電は「稲妻」であって、英語と同様に、両者に対応する言葉が日本語にも別々にあると私は思っているのだが。

 著者が自転車を愛し、エコロジー的移動手段に徹していることには敬意を表したいし、解説者同様賛美したいところだが、一方で、車を運転する私の目には、無謀、横暴を絵に描いたような自転車乗りが僅かではなく、信号は無視するわ、道路に前輪を突き出しているわ、唐突に曲がるわ、といった我慢ならない姿ばかりが彷彿して、作者の自転車賛美をそのままには受け容れがたい。

 作者は日本を、とくに東京を中心に自転車を駆使して移動しつつ、これまで何度か財布を拾った経験があるという。さすがに、日本が好きで、日本女性と結婚するくらいだから、拾得物は警察に届けたようだが、財布を落としても帰ってくる可能性のある国は世界広しといえども日本くらいであることを強調して欲しかった。

 本書はいずれ近いうちに、再読して、記憶を確かめようと思っている。最近出遭った本のなかでも、かなり面白く、魅力のある本であることを保証する。


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