漂泊の牙/熊谷達也著

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ひょうはくのきば

「漂泊の牙」  熊谷達也(1958年生)著
1999年 集英社より単行本初版
2002年11月25日 同社より文庫化初版  ¥724+税

 この作者の作品を読むのは初体験、書店で目に入ったタイトルと狼の写真に惹かれ、内容を見ずに入手。

 きわめてエキサイティングな小説であることをまず告知したい。

 登場人物の多いのがやや難点だが:

 (1)主人公の男性は大学の非常勤講師で、狼の生態を追って、世界各地をフィールドワークすることを仕事とする狼の専門家だが、幼児の頃、孤児院で育てられたときに知り合った女性と結婚、娘が一人いるという設定。 

 (2)東北の或る山系に絶滅したはずの狼か、あるいは野犬が徘徊し、牧場やスキー場に侵入、家畜や人間を襲う。内臓から肉まで喰らう対象は人間だけというむごたらしさで、主人公の妻は自宅で襲われ、犠牲者の一人となる。

 (3)狼が日本の山から姿を消したのは、社会の近代化によって、彼らの食料となる他の動物が激減したためだが、狼を存続させるために、食料を補給し、狼を手なづける男がいた。その男は最後に明らかになるが、主人公が幼児のときに別れた実の兄だった。

 (4)主人公が人間を襲う獣がニホンオオカミなのか、犬との交配による雑種なのか突き止めるために雪深い山に入るが、現地をパニックに陥れた元凶を追う主人公にテレビ会社のクルーが質の高いドキュメンタリーづくりを目指して主人公に追随する。

 (5)現地の警察も、メディアによる「オオカミによる惨事」との決めつけのために、スキー場にも、温泉にも観光客からのキャンセルが相次ぎ、数百人で山狩りを行なうが、獣の捕獲はおろか、発見にも結果しない。刑事の一人が事件の背景に不審を感じ、調査に動く。

 といったところがストーリーの骨子であり背景としての設定だが、なによりも主人公の男性が魅力的な存在。

 本書は新田次郎文学賞をもらっただけのことはあり、モチーフも悪くないし、展開にも独特の迫力と勢いがあり、一気に読ませる魅力を秘めている。

 腑に落ちない部分があるとすれば、「サンカ」(山の民、一般には山家と書く)の説明にページを割きすぎていることと併せ、説明に必ずしも正鵠を得ていない部分があるような気がすること。

 また、主人公が職業柄、世界を股にかけてフィールドワークするため、ほとんど家族と共にいる時間がないにも拘わらず、妻と娘の二人だけが住む家を人里はなれた山林に建築したという筋書きに無理があることで、狼が存在するしないとは関係なく、妻子に常時リスクを負わせているも同然であり、プロットに無理が感じられること。

 さらに、雪で覆われた山系にテレビクルーの女性がたった一人で足を踏み入れ、男に続く場面も常軌を逸していて、現実感を損なっていることなどがある。

 このあたりにもう少し緻密な配慮があれば、緊迫感にさらなる迫力が加わり、読者をワクワク、ドキドキさせつつ牽引したであろう。

 登場人物が多いことがストーリーの展開とあわせ、よくいえば重層的だが、読者にはしばしば煩雑である点も見逃せない。


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