少女/湊かなえ著

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少女

「少女」  湊かなえ(1973年生)著
副題:始まりは一通の遺書だった
早川書房刊  2009年1月25日初版  単行本
¥1400+税

 私が興味を惹かれたのは、ティーンエイジャーの少女が二人、表紙に置かれた景色だった。それは、最近のこの年齢の女の子たちがどのような精神構造をもち、何にどう反応するかに関心があったからだ。

 本書を特徴づけているのは、主人公が時折AからBに、BからAに変化することで、このアイディアは奇抜で斬新。

 ただ、展開がスピーディーで、時折飛躍もあり、ついていくのに息があがるといった状態。

 ネットに浸かって他人をいじめたり迫害したりする事件や自殺にまで追い込むといった事件が頻発するのが最近の社会だが、世代の違いを認識せざるを得ないといった心境。

 私には主人公の女の子が「人が死ぬ瞬間を見たい」という欲望をもつこと自体がよく解らない。私自身は人の死というものに、家族の死、親戚の死のほか、鉄道への飛び込み自殺死体、自動車事故死体などにしばしば遭遇し、大学の文化祭で解剖死体まで凝視した体験があるため、人間の死体というものに、今はそれほどの関心も興味もない。

 人は一回生まれて一回必ず死ぬ。自然という母体から生まれて自然に帰る、生まれたら後は死に向かって一直線に進む、それだけのことだと認識しているし、輪廻転生だとか、天国と地獄だとか、守護神だとか、前世の有無だとか、全く信じていない。もし、地獄があるとしたら、この世こそが地獄だと思っている。だいたい、人間だけが他の動植物と異なって、魂に永続があると考えること自体、人類の不遜以外のなにものでもない。

 とはいえ、本書の主人公は「死とはなにか?」を彼女なりに模索したのだろうと思うし、それは回答が得られないにしても、きわめてまともな設問。「死とは、世の中からの退場かな」と考える主人公は、「死」を正しく見ていると私は思う。

 ただ、現代のティーンエイジャーがボキャボラリーが少ないこと、思考内容が軽薄なことには一驚を喫した。

 もっと私見を言えば、「人類とは地球の寄生虫」であり、自然という自らの母体を蝕(むしば)んでしか生きられず、環境破壊に歯止めをする知恵すらない愚者の集まり。精一杯、子供や孫の代までしか配慮できず、「百年の大計」というのは言葉だけで、脳裏にはない。

 神仏とは、人間が弱く、悪行に手を染める動物であるがゆえに、救われたい一心で創造した仮定の存在でしかなく、それを信ずることによって生を全うするよすがでしかない。「死」は単なる消滅であり、それに意味づけしたり、葬儀に凝ったり、墓に金をかけたりするのは、死んだ人間ではなく、常に残された人間の所業であって、死んだ人間にとっては何の意味もない。「愚の骨頂」という言葉には「骨」という字が使われている。墓をつくり続ければ、いずれ地上は墓だらけになる、それを「愚の骨頂」というのではないか。


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