漱石の孫/夏目房之介著

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漱石の孫

「漱石の孫」 夏目房之介 (1950年生、漫画家、コラムニスト)著
新潮文庫 2006年5月初版

 漱石の書いたものを「坊ちゃん」「三四郎」と読んだところで、たまたま上記の文庫を書店で発見した。私自身は漫画やアニメに対しまったく興味をもっていないので、この人物については失礼ながら全く知らなかった。

 文章はかなり硬質で、読みやすい。

 言うところを聞いていると、「漱石の孫」という事実に、若い頃、文豪の漱石が仮想敵国の人間のように感じられたという。

 「漱石の孫なんだから」「漱石の孫なのに」「漱石の孫にしては」などなど、数々の比較対照を、漱石本人が亡くなって34年(漱石は1916年逝去、本書著者(孫)は1950生まれ)も経っており、しかも、漱石や鴎外が文豪としての冠を頂いたのは1950年を過ぎてからだから、現実としては会ったこともない人物との比較をマスメディアからしきりに問われたことに相当辟易したらしい。

 有名な先祖をもつ子孫は少なくないが、三代目という時間の流れは微妙というべきか、他人から関心をもたれ、干渉されることも並みではなかったようで、本人は「漱石の孫」としてではなく、夏目房乃助個人として評価してもらいたかったと述懐している。

 本書を読んで、同感だったり、なるほどと思ったり、頭に血が昇った箇所は以下:

1.海外で育ったり、遊学、留学の経験者は何かというと、「あっちではそうではなかった」と口走ることが多く、これは嫌味としか受けとられない。(同感だが、つい口から出てしまう気持ちはよく理解できる。また、海外に居住しているからこそ、日本がよく見えるということもある)。

2.漱石は「坊ちゃんタイプ」の人間ではなく、もっと多重的人格だった。

3.漱石は文学者だが、自分は漫画家である。

4.漱石はロンドンに在って自らが「醜い猿」であることを実感。帰国後、自分の息子たちにロンドン時代の猿を見、結果的に虐待や暴力的な振る舞いに及んだことの心理的な根がそこにある。

(漱石の癇症と潔癖性を感じさせる)。

 ロンドンにおける「文学論確立」の失敗、挫折が精神的なバランスの喪失に繋がり、「西欧人の対東洋人蔑視」の風潮のなかで、対抗心がバランスを崩壊させ、それがトラウマとなったと見る。

5.孫である自分にも、神経性胃炎、不安神経症的妄想、欝(うつ)、自意識の強さがあり、漱石との相似性を認めざるを得ない。

6.漱石の呪文が解かれたのは自分が30歳を過ぎてから。

7.漱石は「個人の自由は国家の安危にしたがって寒暖計が起伏するように上下する」と言った。軍国主義時代としては、当然の考えであり、「卓抜な比喩」。

8.漫画家でありコラムニストでもあるという著者について、私は何も知らない。本書の裏表紙の写真を見るかぎり、あまりに貧乏臭く、そのへんの浮浪者といった雰囲気に驚いた。頬に手を添えた写真の夏目漱石を想定し、故意にこのような写真を撮影したのかと邪推したほど。

9.漫画家として、著者はなんども海外に行き、展示会を開き、説明役として活躍している。

 日本の漫画やアニメがいまや世界中を席巻するが如くに、喝采を浴びている。著者は「漫画は左から右に見るのではなく、右から左に見るものだと説明しているが、『Manga』という言葉が英語化しているのだから、彼らにも解るように左から右へ書けばよいではないか。日本人だって、レポート用紙に、右から左に書くバカはいない。

10.海外における展示会においては、漫画では「微細なニュアンスを描く、造形性のあること。記号的な表現、ある意味では誇張による読者へのアピールを行って理解を援けること。漫画は絵、コマ、言葉の三つの要素、それぞれの機能、相互作用、関連性で読み解くものであること。文学との異質性などを説明をしたとあるが、すべて通訳の世話になり、40分かかった説明会で自分がしゃべったのは20分だったとある。「なんだか、自分だけカヤの外にいたような気がする」とまで言っている。

 歯に衣着せずにいうが、「そんなに悔しいのだったら、なんで、おまえは英語の勉強をしなかったんだ。海外で公演する以上、自分の力で、自分が最もよく知っているはずの漫画を説明できなくてどうする? いままで何やってたんだ、阿呆!」と言いたくなった。

 はっきり言うが、もし100年後に、アニメ、漫画だけが世界を風靡していたら、世界中の人間は想像力の欠落した、物事を誇張してしか理解できない愚物に変容しているであろう。漫画を好んで読んでいた弟によれば、漫画はなによりもスピーディーに読めることに第一の良さがあり、生活をエンジョイするための補助的な存在として認めていると。


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