伝聞から真実を追究する姿勢が一貫しており、読後感がさわやか-「大いなる謎・織田信長/武田鏡村著」

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「大いなる謎・織田信長」
武田鏡村著  PHP文庫

 歴史には誤解、嘘、隠蔽、虚飾が避けられない。

 日本史にはその傾向が著しく強く、結果的に偏った、間違った評価を招く。

 「赤穂浪士の四十七士討ち入りの物語」などはその好例である。江戸城内で太刀を振り回す領主の頭脳の具合の問題であって、おのれが責任をもたねばならない家臣とその家族への思いやりにも配慮にも欠け、かっとなった勢いで狼藉を働くなどは、人の上に立つ器量に欠けた男としか、私には思えない。真実を歪曲し、それをおもしおかしく舞台芸にして楽しむのはいいが、歴史を曲解させてしまうことには問題がある。

 本書はそうした誤謬を避けつつ、伝聞から真実を追究する姿勢が一貫していて、読後感はさわやか。

 信長の比叡山焼き討ちによって数千人の僧兵が死んだという歴史に唾を吐き、「許せない武人」との評がいまだに絶えないが、それは平和ボケの近代日本人の見方、感じ方であって、当時の僧侶という種族がいかに暴力団に近かったか、物乞いに応じなければ理不尽を行い、教えを説くなどという高尚な部分とはまるで遠い存在だったことを知るべきであり、僧兵自体、寺を守るガードマンでしかなく、これが力を揃えて反抗する立場にいたら、信長でなくとも、焼き討ちするだろうし、何人が死のうが意に介さなかったであろう。こうした一見過酷な手法を採る信長に我慢できなかった武将もわずかではなかったろうが、実際に手を汚し、自ら立ち上がったのが明智光秀という男だったと、私は諒解している。光秀の背後に朝廷がいたにせよ。

 織田信長の好奇心の強さは尋常ではなく、この異質なものへの異常な関心が天下平定へと向かわせた原動力のような気がする。本能寺で死ななかったら、歴史はどう展開したか、想像してみるのも一興だが、こういう人物がこの国では生きにくいという背景もある。「出る杭は打たれる」国であり、「出る杭」を受け容れる土壌も度量もない。要するに、日本人はむかしから個性的な人格を嫌う性癖がある。

 また、日本人は集団による合議制の好きな民族、信長的独断専行の人物は排除される運命にもあった。

 信長が本能寺の変まで生きられたこと自体をよしとするほかはないのかも知れない。 私は信長を日本が産んだ最高の人材の一人だと思っている。

 歴史として残されたうちには誤解が多いと上記したが、たとえば「テレビ」で放映された「山之内一豊の妻」などは「内助の功」というより「尻に敷かれた亭主」「怖いかあちゃん」というタイトルのほうがピンとくる。


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