白蛇教異端審問/桐野夏生著

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白蛇教異端審問

「白蛇教異端審問(はくじゃきょういたんしんもん)」
桐野夏生(1951年生)著
文春文庫  2008年1月初版

 本書はこの作者初のエッセイで、この仕事の依頼を受けたときは、苦手意識が先に立って、困惑したとある。

 作者は言わずと知れたミステリー作家であり、この分野をあまり好きではないはずの私が、これまで松本清張をはじめ、宮部みゆきの著作にも結構目を通していることに、あらためて気づいた。

 桐野さんの作品では、初めて触れたのが10年前の「柔らかな頬」、続いて8年前の「OUT]、そして2006年10月24日に本ブログに書評した「リアルワールド」の三作を読んでいるが、この人がまさかエッセイを書くとは思わず、タイトル名の奇抜さというより、異常さに目がいって、つい入手した。

 正直に言うが、初めの110ページくらいまでは退屈で、読みながら何度眠ってしまったか知れない。ところが、そのあたりから、赤裸々な桐野さんが露出され、性格の激しさ、強さがダイレクトに伝わってきて、目が離せなくなった。本人は「自分は感情的で論理的だ」と自己評価しているが、私にはプラス「率直で、むしろ男性的」な印象を本書から受けた。

 タイトルの「白蛇教」というのは、表現に命をかける者たちが信ずる宗教だそうだが、そもそも、この人が「表現に命をかける」というのは理解できるが、宗教という言葉をここにもってきた心境は不可解。

 「カラオケで一曲歌われれば、歌の作者には印税が支払われるのに、図書館で本を一冊読んでも、作者に印税が払われることはなく、これはUnfairではないか」とのクレームにはなるほどと思った。

 「世間にはノンフィクションは『実』、フィクションは『虚』という通念みたいなものがあるが、人生の現実に整合性などというものはない。理不尽このうえないことが次々と起きて荒々しく過酷でありながらも、どこか滑稽なのが現実というものの真の姿だ」との主張には、フィクション、ノンフィクションの違いを表現するには過剰な感じがした。

 本書の白眉は彼女が過去に接した著作に関する感想、書評が書かれていることで、この部分が私にとってインパクトが強かったし、紹介されている著作の幾つかには読書欲を刺激された。


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