悪食大全/ロミ著

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あくじきたいぜん

「悪食大全」 ロミ(Romi/フランス人)著
原題:Histoire des festins et de la goinfrerie
原題の和訳:「突飛な饗宴と淫食の歴史」
訳者:高遠宏美
作品社 単行本 1995年8月31日
(フランスでの初版は1993年)

 本書は500ページを越える大著であるが、「悪食」というより「フランスの美食史」あるいは「フランスの大食漢と肥満」と称すべき内容で、文字通りの悪食を印象づける部分はわずかに一、二編という程度であり、他はすべて「食い意地の張ったフランス人王侯、貴族、有名人らの物語」に過ぎない。フランス人以外では僅かにイタリア人、プロイセン(ドイツ)人、イギリス人が登場する。

 下記は私見に基づき、記憶に留めおく価値があると判断した箇所だけを列記した。

1.ローマ人はすでにフォアグラを知っていたし、ガチョウをガリア地方から取り寄せてもいた。ローマ人の好みは火にあぶったり茹でたりした乳呑豚(生後6か月以内)で、ツグミと牡蠣を好む者もいた。

 紀元前25年頃のアピキウス・ガヴィウスは雌豚のレバー、鴨の蕪(かぶら)添え、舌平目のグラタン。

 ガヴィウスは皇帝アウグストゥスやモべりウスと同時代にありながら、食卓の贅沢に百万の富を蕩尽。やがて財産が減り、食欲を満たすことができなくなったとき、自ら毒をあおって絶命。また、アビキウスは食卓とベッドの楽しみを除いて世の中には他に愉しいことなど断じてないと広言していたが、彼のベッドフレンドは若い男だった。

2.紀元204年生まれのヘリオガバルスは14歳でローマ皇帝になった人物だが、食の好みは鶏冠(とさか)のパテ、孔雀や夜鳴きウグイスの舌、キジの脳味噌、山ウズラとオウムの卵など。また、鳥の舌やラクダの踵肉(かかとにく)といった料理には真珠や金粉を振りかけた。ソラマメには琥珀を、米には彩り鮮やかな宝石の類を混ぜて料理させ、色彩を眺めるのを無上の楽しみのとした。この皇帝の末期には、叛旗をひるがえした親衛隊に追われ、便所に逃げこんだものの、当時お尻を拭くのに使っていた海綿を飲んで喉を詰まらせ窒息死、遺体はティべリ河に投げ込まれた。

3.再びローマ人の話:ヴィリスウス(皇帝在位僅かに紀元69年の8か月)は毎日の食事の回数が並外れていて、満腹のときはむりやり吐き出して食欲をかきたてた、いわば「貧食漢」の最たる者、たった一日で何百という牡蠣を口にしたこともある。武鯛(スカール)の肝、孔雀の脳味噌、ウツボの白子、紅鶴の類の舌を混ぜ合わせたものを好んだ。紀元69年、カッシウスの兵がヴィリスウスの首に縄をかけ、市中を引きずりまわし、切り刻んで、ティべり河に投げ捨てた。

4.火山噴火で埋もれたポンペイから発掘されたメニューには、牡蠣、海胆(うに)、アサリ、ひばり、肥えた鶏のアスパラガス添え、ムール貝のソールなどのほか、猩猩貝(スポンディル)、イチジク、ノロジカの骨付き背肉、若鶏のパテ、蛸(たこ)、雌豚のフリカッセなどが掲載されている。(Devil Fishなどと言って、蛸を嫌い、蛸を刺身で口にする日本人を眉をしかめ、気味悪気に見ている西欧人が昔はそれを胃袋に収めていたとは!)

5.シャルルマーニュは771年にフランス王国に君臨したが、妃が4人、側室があまた、子供は全部で18人つくったが、野菜料理が大好きで、指を使って食事をしていた。

 (現在でも指を使って食事をする民族(例:インドネシア、マレーシア、インドなど)は僅かではないが、共通するのは熱いものが口にできないこと)。

6.ルイ13世(1610-1643)は健啖家で、肥満は美徳、太鼓腹は富の象徴とのたもうた。

7.宴席に招待されることの名人だったベルナール・クオントネルという男は過食に過食を重ね、相当の肥満体であり、文字通り脂肪の塊のようだったが、100歳まで生きた。(そういえば、モーパッサンに「脂肪の塊」という著作があった)。

8.シャルル7世、その子シャルル11世、アヴィニヨンの法王ヨハネス22世、画家のレンブラント、いずれも辛子が大好きだった。(一般論として、辛い食べ物はアジアの熱帯地方に居住する民に好まれる傾向がある)。

9.10世紀の末、東ローマ帝国のロマヌス3世の妹、アルギエルスがヴェネチアの統領の息子のもとに嫁いだとき、フォークを持参したことが「悪趣味のきわみ」などと物議をかもし、罵倒された。10世紀から17世紀までは、フランス貴族、王族はすべて指を使って、それも3本の指を上手に使って食べるのが気品のある食事の仕方だと思い込んでいた。(ひるがえってわが国の民はきれい好きだから、昔から箸というものを使って食べていたと私は思っているのだが)。

10.プロイセン王のフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世(1713-1740在位)は軍事面での才能が抜きんでた「軍人王」だったが、同時に毎回の食事では息ができなくなるほどの量を平らげ、胴回りが2メートル半もあり、食卓には必ず腹部が邪魔にならぬよう切れ込みが必要だった。

11.「レストラン」は「レストレー」の現在分詞だが、1798年のアカデミー辞書でも「レストラトゥール」という語の用例が出ている。

12.ルイ15世はオムレツ好きではあったが、大食漢ではなかった。ところが、妻である王妃、マリー・レクザンスカは牡蠣を食べすぎて死にそこなったこともある大食漢。

13.フランス人が好んだ鳥類には、鳩、鶉(うずら)、鶏、頬白(ほおじろ)、千鳥、キジ、鴨、孔雀、七面鳥、鴫(しぎ)など。(フレンチの鳥への嗜好は日本人にはないもの)。

14.また、メニューに出る魚介類には、うなぎ、鱈、鯉、鮭、マス、さば、川スズキ、ムール貝、舌平目、エイ、ザリガニ、アンコウ、カマス、カレイなど。

15.ナポレオンの恋人だった女性として有名なマルグリット・ジョセフィーヌ(1787-1867)は美形なうえにも美形な女優だったが、ナポレオンが島流しにされた後、オデオン座の支配人の愛人になってから夫が催す豪奢な夜食会のために肥満し、かつてはジョセフィーヌのフアンだったヴィクトル・ユーゴ(「あぁ無情」の作者)からも「象も形無し」と、辛辣な非難を受けた。

16.「谷間の百合」や「ゴリオ爺さん」など不朽の名作を残したバルザックは、食事に関しては餓鬼のようにがつがつと食べた。

17.高名な音楽家、ロッシーニはイタリア生まれだが、パリで成功をおさめてからは美食家としての資質と料理の才能の面でも知られるようになったが、結局は深刻な肥満に苦しみ、後年は後世に残るような楽譜は書けなくなっていた。

18.地中海と紅海とを繋ぐスエズ運河の建設に調印したのは1854年、エジプト側がサイード・パシャ、フランス側が駐アレクサンドル総領事だったフェルディナン・ド・レセプスで、1869年に開通。二人が親交を結ぶきっかけとなったのはサイード・パシャがレスプスに贈ったマカロニだった。

19.グーリエという男は他人を招待し、美食させ、落命させるのが趣味だった。最初の客は半年ともたずに卒中で落命。二人目は2年もったが、フォアグラを消化しきれずに絶命。ところが、三人目の客と会食中、グーリエ自身がのけぞって逝去。

20.馬肉が食用に供された初めはパリ万博の開催時、1855年だが、正式に街中に馬肉店ができたのは1866年。(フランス人も、さすがに、馬肉の刺身の美味にまでは気づかなかったであろう)。

21.1870年、パリがプロイセン軍(ドイツ軍)に包囲されていたとき、美食家として知られたモンスレという男は食材に窮したあげ、それまで手なづけていたネズミを捕まえ、細かく刻んだパセリを詰め、ラードを塗りたくって焼き、口にした。また、同じ時期、劇作家のテオドール・バリエールは飼い犬のプードルを焼き、ローストにして賞味した。

22.上記と同じ時期、パリの一般人は馬、犬、猫、ネズミはおろか、インコ、カナリア、金魚、リスを食べ、動物園のカンガルー、トナカイ、ジャガー、シマウマ、ロバ、駱駝、熊、狼、羊までもが食用にされた。このような状態は19世紀末まで続いた。

23.「三銃士」「モンテクリスト」などの名作で知られるアレクサンドル・デュマは大食漢で、太鼓腹、63歳のとき若い曲馬芸人だったエイダと結婚したが、エイダはリハーサル中に風邪がもとで1869年に不帰の客となり、デュマは翌年に亡くなった。

24.パリに鉄道が敷かれ、観光客が外国からやって来るようになって以来、レストランが出す料理が雑になり、質の低下をきたした。外国人観光客はできそこないの料理を、それがフランス料理だと思い込み、目の玉が飛び出るほどの勘定を払わされても文句も言わずに帰っていく。フランス人にとっては迷惑な事態だと喝破したのは、フィガロ紙やモニトゥール紙の執筆者だったクローダン(1823年生)。

25.1878年のパリ万博には、アメリカから「バター彫像」が持ち込まれた。彫像は女性で、15世紀の美形で名高いシチリア王妃に模して彫られ、あまりに魅力的な像を一目見ようと、25万人のフランス人が詰めかけた。

26.「女の一生」や「脂肪の塊」で有名なモーパッサンもその美食家ぶりに驚きを隠さなかった作家が、「ナナ」「居酒屋」「饗宴」「大地」「獣人」「ジェルミナール」などの著作を残したエミール・ゾラ。ところが、ゾラは妻がありながら、魅力的な褐色の髪をもつ娘を女中として雇って以来、恋に落ち、嫌われぬよう節制を旨とし、95キロあった体重を75キロまで下げることに成功、娘とは体の関係になった。今をときめく流行作家とは歳は離れていたが、娘は否も応もなく言いなりになり、二人の子を産んだ。ゾラは1902年に死去したが、その後、夫人は娘と不倫の果実である二人の子供と四人の生活を快諾、子供二人にはゾラの子であることを認知し、相続権も与えた。

27.猛獣使いたちの饗宴では、鎖蛇(くさりへび)、蛸(たこ)、豹、火食い鳥、サソリ、鰐の乳のチーズなどが供された。(1898年)(こういうのを明らかに悪食という)。

28.プロイセンの大公が「カナダ行楽者協会」に一頭の犀(さい)を献上したが、食べた客のほとんどは吐いてしまい、食べた人は胃痛を訴え、医師による応急処置を受けて入院するという事態となった。(犀の肉がなぜこのような結果を招来したかの説明はない)。

29.「シェフなどという大仰な呼び名をつけて恬(てん)として恥じず、その名の効験に胡坐をかいている輩。やつらのおかげで強烈な喜びの口が単なる咀嚼器官に成り下がった」と言ったのは、1913年に「未来派レストラン」を開いたジュール・マンカーヴ。

 (星を並べ、その数で、シェフの実力を評価する今日のフランス流方式を知ったら、なんと言うだろうか。同じことはホテルの格付けにも言えるが、豪華さや豪奢な雰囲気を評価の対象とすることには私個人はかねて疑問を感じている。どんなホテルに泊まりたいかと自問すれば、ホテルの規模だとか豪華絢爛ぶりだとかは評価の対象とはせず、むしろ、そのホテルの施設が平均的であってもいいから、そこで働くホテルマンたちの教育がしっかりなされ、ホスピタリティ精神に溢れ、感じの良いホテルであることではないか)。

30.スイスのフランス語圏であるロマンドでは、人々が犬の肉を好んで食べる。「牛肉より赤くて甘い」と賞賛しつつ。

 (韓国人が昔から犬の肉を好んで食べることを日本人は眉をしかめて聞いたものだが(といっても、日本でも田舎の人は食べていた)、犬の肉を美味だと評価する民族は以外に多い。「犬は赤犬が美味だ」と在日韓国人から聞いたとは母からのまた聞きだが、これはたぶん「犬の外見的な色ではなく、犬の赤い肉を指しているように思われる。バリ体験記でも触れたが、バリ人も犬肉の美味は犬の外見的な色合いでは決まらず、健康な犬なら、どれもが美味で、高価だと口をそろえて言うし、犬の肉はアズマ(喘息)に効果があると仄聞した)。

31.第二次大戦後、「痩身への強い情熱」がファッション界を席巻する。コルセットはご法度、ドレスの丈は短くなり、髪は短髪に。これを「ギャルソンヌの誕生」というが、少年の女性形である。

 ドイツ語に登山用語や医療の専門用語が多いように、エスキモーに「白い」を意味する言葉が多いように、料理にはフランス語が少なくない。オードブル、シャトーブリアン、アントレ、ブフェー、シェフなどなど。ちなみに、シャトーブリアンはこの料理を発明した人物の名だとは訳者の言葉。

 訳者によれば、フランスには「獣炭ドロップ」という胃腸薬や、植物炭を主成分とした下痢止めの薬があり、訳者自身の経験によれば、日本の下痢止め薬より効果があるという。

 また、日本人がフランスにホームステイして最初に辟易するのは豆類が多量に出されることだが、本書を翻訳したことにより、食にまつわる我々の感覚がいかに保守的で、かつ伝統的で、なかなか相対的な視点を獲得できないか思い知るよすがとなったという。同じ国ですら人々にはそれぞれ感覚、味覚に違いや個性があり、フランス人だったら、チーズとワインが保証されていない土地には住めないし、訪れることもしないだろう。

 肥満に関するボキャボラリーの点では、フランス語がその豊富さにおいて日本語を上回っている。「淫食家」といった言葉は苦し紛れに造語をひねり出したと訳者はいう。

 本書の大半を占める「大食い」の話は上記からはあえて割愛したが、フランス人がいかに食い意地の張った国民かが判り、その食事への偏向が現在のフランス料理を生み、メニューの豊富さを育んだのだということは理解できた。

 ただ、一編だけ強く記憶に残った部分を、「悪食」とは離れて、以下に記す。

 一頭の犬が理髪店に入ったきり一向に出てこない主人を店の外で待っている。夜になって、店の電気が消えても主人が出てくる気配はない。犬は次の日も次の日も理髪店の前に行き、じっと主人を待ち続け、人が近づくと吠えかかる。するうち、ことが警察沙汰になり、警察官が理髪店に入って調べることになった。

 警察官がまず見つけたのは地下室があることで、その地下室から洞窟状に通路が存在することだった。通路を辿った突き当たりに、大きな地下室があり、そこに牛が屠殺されてぶらさがっているように、かなりの数の人間が裸体のまま吊り下げられている光景に慄然としつつ、階段を上って行くと、そこは人々が行列をつくるほど人気のあるハム料理のレストランで、理髪店とは道路を挟んだ位置に存在していた。

 経営者を逮捕し、尋問したところ、理髪店の経営者にはお礼をするという条件で客を殺害し、地下道を通って死体を運び入れたこと、人体を古い順に解体し、骨はダシに使い、肉は薄く切断してハムの形に整え、メニューを豊富にしたところ、これが美味であるとの評判を得、レストランの売り上げに最も寄与していると語った。

 この話よりも凄まじい話を私はバリ滞在中に中国架橋から聞いた。当時、中国本土が一人っ子政策を採っていたため、中国人は妊娠して孕(はら)んだ子が女の子だと堕胎するケースが多発、(むろん、二人生んでも一人を役所に登録しないケースもありはしたが)、これに狙いをつけた香港のレストラン経営者が本土の産院と契約を交わし、堕胎された子を買い取り、香港で骨をダシにしたり、肉をラーメンその他に入れたところ、美味との評判が立ち、大もうけしたという。どんな動物であれ、子牛、子羊、若鶏などが賞味の対象として評価されていた事実からは、人間だって、大人より幼児、幼児より胎児のほうが美味に違いない。


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