時代小説アンソロジー(2)「女人」/縄田一男編

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時代小説アンソロジー

「時代小説アンソロジー(2) 女人」 縄田一男編
小学館文庫 2007年2月文庫化初版

 本書は時代小説のなかから、一人の作家に偏らず、およそ同じ路線に沿って書かれた小説を一括してまとめたものであり、本編には、封建時代を生きた女の生き様がそれぞれの環境のなかで、意地を通し、凛冽として生きた様を、むしろ開き直った姿勢で作品にまとめたものと諒解した。

 本書には、私が過去に遭遇したことのない作家の作品もあり、その意味では知らぬ小説に触れる機会ともなって、それだけでも本書を手にした価値があった。

 なお、本編には(1)滝口康彦の「拝領妻始末」、(2)海音寺潮五郎の「奥方切腹」、(3)澤田ふじ子の「無明の宿」、(4)白石一郎の「ナポレオン芸者」、(5)菊地秀行の「介護鬼」、(6)平岩弓枝の「出島阿蘭陀屋敷」、(7)高橋義夫の「キヨ命」、(8)神坂次郎の「女賊お紐の冒険」、(9)古河薫の「春雪の門」と、9人の作家による9つの作品が収められている。

 心に止まったのは、9編のうち、2編までが時代小説でありながら、今日的問題である老人介護の問題を扱っていることで、作品の時代背景にかかわらず、こうした問題に大きな違いはないというより、今日的問題をある意味で無理やり過去にもあり得た問題だと提議しているかに思われた。正直いって、現実的な問題として、ファミリーを大切にしていた時代と、核家族化が進行した現代とでは、問題のあり様に相当の開きのあることを認識しておく必要がある。

 平岩弓枝の作品で気になったことは、オランダ商館のカピタンが肌が闇に溶けるほど黒い人間を同行しながら、そうした人間を「ジャガタラの人間」としきりに言うことで、当時「ジャガタラ」といえば、インドネシアの首都「ジャカルタ」のことであり、インドネシアを植民地化したオランダにより命名された名前で、日本から「カラユキさん」として送られた女性を「ジャガタラおはる」と呼び、歌までつくられた経緯がある。したがって、オランダ人が連行した人間はインドネシア人であり、アフリカの二グロイドではなく、本編に描かれたほど黒くはなかったはずで、読者に誤解を与えている。あえて言うなら、インドネシア人の肌は褐色。

 ただ、丸山の遊女のなかでも上の部に属する女は異国人を相手にせずにすんだということは知らなかった。

 また、白石一郎に関しては「歴史長編海洋小説」ばかりを手がけてきたとばかり思っていたのが、上記したような短編をも書いていたこと、しかも、その短編のほうが、むしろ手抜きがない印象を受け、これも新たな認識となった。

 「無明の宿」は「忠臣蔵四十七士」を扱ったもので、その裏舞台で泣いた女を描いたものだが、私はこの赤穂浪士を主軸とした歌舞伎には納得できないものを感じている。

 赤穂の藩士が300余といえば、親類、家族、下僕、家来をなどを含めれば、3000人ほどの上に立っていたのが浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)という藩主である。それを一時の憤怒の勢いで殿中で刃を振りかざしたという行為は、己の立場をわきまえぬ阿呆としか思われない。しかも、一度抜いた刃で相手を死に追いやることすらできず、切腹を命ぜられて果てたなど、男とも武士とも思えない。

 柳生徂徠による「法は法である」との強行な発言により、四十七士はすべて切腹、その家族は遠島という始末に終わったが、当然といえば当然であって、これを歌舞伎にするような、しかも四十七士を「義士」と呼ぶような社会のあり方に問題があると、私はかねて思っている。だから、歌舞伎で演じられるようになった日本人的憐憫は感じたこともないし、忠臣蔵はTVで何十回やっても絶対に見ないし、忠臣蔵という言葉を耳にしただけで反吐が出る。

 総体的に、日本人の「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の蔭」という精神は忍従に繋がり、「天子といえども、その為政が天道に足らざれば、これを廃す」という中国流も、「ボスがボスらしい為政を行なわなければ、これを断頭台に送る」というフランス流の強行姿勢などは望むべくもなく、為政者が私腹を肥やすのを唯々諾々と見て見ぬふりをする、武道というものは刃向かうものではなく、むしろ「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」精神であり、「ならぬ堪忍、するが堪忍」というマイナス思考に陥りやすい性向を形成してきたように思われた。

 だからこそ、徳川政権は300年弱にわたって、鎖国政策を採用しつつ、全国を治めることができたのではないか。おかげで、この島国を取り巻く環境の破壊が幾分遅くなったことだけがメリットといえばメリットのように思われる。

 この「忍従」と「我慢」という精神は、一般に思われている以上に、日本人の体質に埋まっている。

 書評とは少し違う方向にいってしまったが、作者が意図するところのものは理解できる。


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