空爆の歴史/荒井信一著

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「空爆の歴史」 荒井信一(1926年生/茨城大学・駿河大学名誉教授)著
2008年8月20日 岩波書店より新書版初版 ¥780+税

 空爆の歴史はそう長くはないけれども、膨大な人命喪失を不可避とする点、さらには広島、長崎が世界で唯一原爆の被災地であった点を含め、日本人の学者がこれを専門的に扱い、まとめることに意を用いたことは敬意に値する。

 書評というより備忘録としての記載が多くなるが、これはと思ったところを以下に記す。時系列については多少の前後は許容いただきたい。ただし、(   )に括られた部分は私の独り言。

*1930年代、大戦前、日本はアメリカよりロシアを警戒していた。日本が満州、朝鮮に配備した航空機が200機だったのに対し、ロシアは極東に950機を配備していた。

 (空からの攻撃は「Air Raids」と思っていたし、事実、アメリカ人作家が書いた本にもこの言葉が使われていたが、「Air Bombing」というのが正解と知って、なるほどと思った)。

 (なお、日本社会では医療の現場でも呼吸機器を「酸素ボンベ」と言い習わしてきたが、この「ボンベ」は形が爆弾に似ているところから、「Bomb」から日本人が勝手につけた名前で、潜水をやっていた私は新聞社から水中での出来事などを書いてくれと頼まれた折り、「ボンベ」という呼称に抵抗が強く、ために「エア・タンク」という呼称にしたところ、送られてきた新聞にはやはりというべきか「ボンベ」に直されていた。だいたいBombという言葉は発音が難しく、ボンベなどと言ってもアメリカ人にも通じない。せめて、「Bam」あるいは「Bom」、「ボム」と発音して初めて爆弾だと理解されるはずだ)。

*1911年から12年にかけてイタリアが当時のトルコ領リビアに9機の飛行機と二機の飛行船を飛ばし、手榴弾を投下したのが史上初の爆撃。

*それまでの小型爆弾より大型の22ポンド(約10キロ)の本格的な爆弾を開発したのはブルガリア、バルカン戦争で威力を発揮、欧州各国が高評価した。爆撃の目的は軍事物資や兵站線の撹乱などではなく、国民経済を破壊し、生活を不能にすることで戦意を一国から殺いでしまうことだった。各国の評価も、むろん、その点にあった。

*第一次大戦に敗戦したドイツはスペインの内戦によって空白を埋め、1935年に再軍備を宣言。ドイツの代表的な戦闘機、メッサーシュミットもさらに改良され、急降下爆撃により第二次大戦の初期にはポーランドや西欧で敵の前線部隊を撹乱、地上部隊の迅速な進撃を助けたことで、「電撃戦」と呼ばれ、世界の注目を浴びた。ただし、石像建築の多い地域への爆撃には100から150キロの爆弾の開発が推奨された。

*大戦前、日本は中国の南京、重慶への爆撃に力を入れ、ペスト菌を入れた化学兵器や毒ガス兵器まで使ってその威力をためした。5年半にわたる重慶への爆撃により6万人以上の人命を犠牲にした。

 (最近、名古屋の名物市長が「日本は南京には何もしていない」などという談話を発表したことで、中国側が怒って、予定されていたイベントが全面的にキャンセルになったらしいが、事実がどこにあるのかは別にして、こういう国際間にかかわる問題発言は控えるのが大人、という以上に、公的な役職に就く者の当然守るべきマナーだと思う。

 尤も、中国の文化大革命の時代、トータル7千万の中国人が同じ中国人(主に毛沢東の命令)によって殺害されたといわれる。人口の多い国では、人の命は軽いのかも知れないが)

*ドイツが英本土爆撃の終了を宣言するまでにロンドンでは5万トン以上の高性能爆弾と焼夷弾が落とされ、4万5千の市民が死亡、350万以上の家が破壊または損傷を受けた。

*アメリカは欧州戦に参加するにあたり、「ドイツ人の戦意の低下とあわせ、侵略戦争を企てる政府を支持しないよう、ドイツ人を去勢する」と宣言。1945年2月から数千機の戦闘機と爆撃機にイギリス軍が加わり、ドイツはもとよりオーストリア、イタリア一帯を手当たり次第に爆撃し続けた。

*太平洋ではマリアナ諸島を攻略した後半戦から、日本本土爆撃が始まり、マリアナから直線下に存在した硫黄島を手中に収めてからは、火に弱い日本家屋には焼夷弾が有効であると考え、爆弾自体にも工夫を加え、B29爆撃機を使い、東京を焼け野原にした。1,665トンの焼夷弾が使われたという。死者推定10万人、消失家屋推定27万戸。東京以外にも、工業への影響を想定、横浜、川崎、さらに上陸した沖縄でも事前に空爆を行なった。

*1945年8月、広島、長崎への原爆投下がなされた。原子爆弾が完成次第、それを日本に使うことはイギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトとのあいだで決まっていたことであり、対戦中に逝去したルーズベルトを継いだトルーマンは原爆投下を口頭で指示した。トルーマンにとって、ソ連が参戦する1週間早く日本を降伏させ得たのは原爆投下によるものと信じて疑わなかったが、実際には日本側がロシアの参戦を恐れたためだという。

 アメリカ兵が日本の降伏によって人命節約ができ、帰国できたことは事実。

 アメリカの専門家は「日本の敗戦の最大原因は物資(兵器、食料を含む)の輸送能力にあったという。日本軍部が物資輸送に使ったのは船舶が多かったが、ほとんどはアメリカの潜水艦による攻撃で沈没している。

*大戦後、英米は原爆開発を独占し、世界秩序を管理しようとしたが、ソ連に追いつかれ、朝鮮戦争以後は東西冷戦の時代へと入っていく。

 (その間、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカ、フランスが水爆の実験を何十発も行なったことは許し難い)。

*朝鮮戦争後にはヴェトナム戦争があり、両戦地では同じ爆撃でもナパーム爆弾が多用された。

 (以後も、爆撃はフォークランド、アフガニスタン、イラク、ソマリアなどで起こり、今後もあちこちでサルを脱したはずの人間が互いを殺しあう図が見られるだろう)。 


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