海賊の歴史/フィリップ・ジャカン著

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海賊の歴史

「海賊の歴史」 フィリップ・ジャンカン(Philippe Jacquin/フランス人)著
創元社
訳者:後藤淳一、及川美枝  監修:増田義郎
2003年12月20日 創元社双書「知の発見・113」として初版 ¥1600+税

 海賊に関する紀元前から現代までの歴史を網羅した書籍で、多くのページをむかしに描かれた絵画の掲載に費やしているため、文字だけを追う一般的な読書とは異なる趣がある。

 「紀元前、海賊が地中海に限られていた頃、西からはエトルリア人(現・イタリア北部に居住)がギリシャを含むバルカン半島沿岸を荒らしまわり、東からはフェニキア人(現・レバノンあたりの居住者)が来襲して暴れまわった。クレタ島の王やギリシャの都市国家アテネが掃討に手を染めるが、海賊の完全な駆逐には至らなかった」

 「ローマ帝国が台頭した後、ローマは周辺地域の領土化、支配に軍事力を割いていたため、帝国末期になってようやく海賊退治に乗り出した。ポンペウスが700隻の船に12万の兵を乗せ、攻略目的を島ごとに分けて掃討したのも歴史的な事実だが、その後ローマ帝国自体の屋台骨がゲルマンの大移動によって長続きしなかった。ために、地中海は依然として海賊の跋扈(ばっこ)を許容せざるを得なかった」。

 「東ローマ帝国(ビザンティン)が存在した時代も、海賊を厳しく取り締まったが、7世紀にはビザンティンがアラブ人の侵攻を受け、13世紀には十字軍の侵攻に屈する。1204年に東ローマ帝国が滅亡した後には、トルコ人、ムーア人などイスラム教徒が地中海で海賊行為を働くようになる。地中海はいわゆる多島海であり、隠れる場所を探すのに苦労しなかった」。

 「14、5世紀になると、海賊が跳梁(ちょうりょう)する海域は地中海はもとより、大西洋沿岸から北海、バルト海にまで拡がり、海賊はそれぞれの母国にとって貧しい民が自活できる糧となるため各国政府は見て見ぬふりをし、しまいには母国がバックアップするに至り、他国の船や沿岸を襲って略奪した品を受けるようにすらなり、海賊のトップのなかには母国王からナイトの称号を得た者もいた」

 「とはいえ、時代が進むに従い、海の上では騎士道精神などはなく、海上での暴力行為が慢性化し、欧州諸国の経済にとって大きな障害となった」

 「海賊行為に変化が起こったのは16世紀、大航海時代を迎えてからだった。スペイン、ポルトガルに続いてオランダが先鞭をつけ、新大陸、(北米、中米、南米)の発見につながり、それぞれの土地に居住していたインディアン、インカ、アステカ、マヤなどの現地人を殺戮したり、膨大な金銀、宝石、胡椒、ゴム、ココア、コーヒーなどを略奪して本国に運ぶようになると、海賊らはそういうスペイン船やポルトガル船を狙った海賊行為に切り替える。

 かれらが根拠地としたのはカリブ海に浮かぶ小島だった。スペインは船団を組んで新大陸からの輸送を海賊から守るようにもなったが、多くを得る国の船は他国の後援を受けた海賊船に襲われ、運搬品を奪われた。背景には母国のバックアップ(ときには奨励まで)を受けた海賊による収奪があった。」

 「18世紀に入ると、オスマントルコの衰退が始まり、経済の発達が海賊行為を社会規範から外れたものとみなすようになる。つまりは同じ利害を持つようになり、イギリスを中心とする海軍力の飛躍的な発展と各国との連携によって海賊の活動はまたたくまに終息に向かった」。

 「海賊らはいい思いだけをしたのではない。かれらも最果ての地でマラリアや高熱病にかかっても医師を同伴していることはほとんどなく、命を落としたり、先住民から毒矢を放たれたりして死亡した数も少なくない。略奪、攻撃のターゲットとなるべき船と長期にわたって遭遇することができなければ、食料も尽き、船内の空気は張りつめ、喧嘩がはじまり、船長にくってかかるようにもなる。博打的な人生であり、退屈と興奮が交互にやってくるような雰囲気のなかでは同性愛も多かった」

 「海賊同士にも約定というものがあり、戦闘で負傷した場合の配当金やもらえる奴隷の数が決まっていた。たとえば、両眼や両足を失ったら、高額な金と6人もの奴隷がもらえた」

 「18世紀以後、海賊を主人公とした書籍が数多く出回るようになった」
 (片目の潰れたシルバー船長、ドクロの絵を描いた黒い旗、ラム酒などが海賊のイメージだった)。

 「2001年、世界における海賊の発生件数が一年前より21.5%増加という発表がなされ、世界中が驚いた。その折り、危険海域と名指しされたのは、マラッカ海峡、インドネシア、インド、ナイジェリア、バングラディシュ、南紅海(ソマリア)の6つの海域だが、全体の海賊行為の75%を占めている。先進諸国ではこのエリアへ軍艦を派遣し、自国の輸送船はもとより他国の輸送船、タンカーなどを守護するようになった」

 日本の自衛隊艦船もスエズ運河に入る船の安全のために、2009年から該当海域(アデン湾、ソマリア沖、紅海南部)に艦船を送っている。この海域での海賊行為は百パーセントソマリア人によるものであることが明瞭であることから、ソマリア人海賊の根拠地に直接打撃を加えることも国際的に認められている。ただ、ソマリア人がこうした行為に出るのは貧しさからであることは知っておいたほうがいい。

 本書では「倭寇」のことにも触れているが、総じて、多くの絵が眼を楽しませてくれた。


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