人の砂漠/沢木耕太郎著

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人の砂漠

「人の砂漠」 沢木耕太郎著  昭和52年(1977年単行本初出)
1980年文庫化  新潮社文庫刊

 この作者の美点は、現地踏査を半端にしないところである。本書を書き上げるにあたっても、時間をかけ、文字どおり体当たりで、執拗に調査に没頭し、決して読者を裏切らない。

 「人間とは?」「人生とは?」との命題に対峙するとき、優しさと厳しさという相克しあうアングルから、目前の事実、事象を、臆することなく、真摯に凝視する。 そうした姿勢に、この作者の揺らぎない男らしさ、清々しさを感ずるのだが、本書もそうした姿勢に貫かれ、八つの短編それぞれがフィクションを廃して、諸々の人生と、それにまつわる哀歓を提示する。

 ただ、30年も前に刊行された内容だけに、時の経過は否めないが、「人間」をテーマとしている点と、作者の人気が増刷に継ぐ増刷を可能にしているのであろう。

 正直いって、短編の一つ「不敬列伝」には、気分的に遠い過去を感ずる。

 マルキシズムが理論的に完成度が高いがゆえに、かつてインテリほどその理論にのめりこみ、学生運動、警察自衛隊反対運動のほか、皇室への嫌がらせや発炎筒を皇居に投げこむなどの事件を起こした。この短編は「天皇と不敬」という点に絞って書かれているが、いまや記録としての価値しかないように思われるものの、そうした過去が存在した事実は忘れがたい。「天皇ほど見えない人間はいない」という言葉や「タブーとしての必要性」という言葉には、歴史に照らしても、納得させられるものがある。学生時代、マルキシズムにかぶれる男の大半は中途半端に利口なやつだったという記憶がある。

 昨今、男系を維持すべきだ、いや母系でもいいではないか、といった議論が盛んだが、私個人は天皇制というものの存在の可否については、どちらでもかまわないと思っている。ただ、男系を維持すべく、旧宮家を復帰させたいとの主張を執拗に行う人間がいるが、そういう主張をする人間がそれに必要な経費を出すのなら、反対しない。私は、基本的に、公家社会が嫌いだし、阿呆でもできる仕事を公家だからという理由で、提供する実態には納得がいかない。 手抜き工事や自然災害によっていまだに苦しんでいる人間への配慮がわずかな現状下、宮家の面倒をみるなどという発想は噴飯もの。

 なかに「ロシアを望む岬」という短編がある。これを読んで初めて知ったのは、根室岬の先端からロシア領の水晶島までたったの3.7Kmという事実で、最近起こったロシア側による銃撃、拿捕事件をとっさに想い起こした。テレビは各局ともしきりにこの事件を話題にしながら、該当海域の地理的な説明がなかったため、たとえ領海の範囲内で操業をしていても、実際にはひどく微妙で危険な操業であることが解かった。そして、本書によって、「昆布の高値安定が四島の返還がないために達成されている」事実と、「昆布御殿を所有する猟師の存在」をも知った。

 その他、日本最西端に存在する与那国島も、北方領土と対比するかのように、採り上げられ、かつての琉球王朝による過酷な税制が薩摩藩による王朝への遠隔操作であり、締め付けであったことが暴露される。さらに、台湾との関係を含め、島の人々との交流が温かく描かれ、現在、海底の遺跡らしきものへの話題で沸騰している事実にも想いが飛ぶ。過去、この島が琉球王朝に併呑されず、一つの邦であり続け、むしろ台湾(200Km弱の距離)との関係が深かった時代があることにも驚きを禁じ得ない。過去の歴史のなかで、倭寇がしばしば寄港し、島の女を抱いたがために、この島の住人の容貌は沖縄県人よりも、大和の人間に似通っているという話はかねてより伝聞する。

 また、身障者、精神薄弱者(IQ70以下をそういうらしい)、娼婦をしていた女たちを集めた館を語った短編も、80代の女性詐欺師の話も、死んで1年以上も経過した兄の死体(ミイラ状態)に寄り添って寝ていた老婆の話も、相場師たちの生き様を描いた短編も、それぞれ「人間」という面に力点が置かれ、この作者らしい、露骨でありながら慰撫する心根も感じられて、読むことに飽きなかった。


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