理想の日本人/涛川栄太著

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理想

 「理想の日本人」 涛川栄太(1943年生)

  中経出版 2007年6月初版


 作者は哲学者で、日本文化教育研究会代表。


 内容は「人生観」や「世界観」を吐露しつつ、「日本人はかくあるべし」という大仰な対象に真っ向から堂々と私見を披瀝するものだが、私には、こういう形のものが書け、上梓できる神経が不可解で、寒気がする。


 日本人だけに絞ってさえ「十人十色」であって、読書量も読書対象もそれぞれに違い、意見も、考え方も識見、知見も異なり、読みながらも身内にムズムズするような羞恥と面映さが湧き、と同時に、「一体この作者は何様なのか」といったムカムカするものも覚えてしまう。


 こうした書には「慈悲」「慈愛」「篤実」「高貴な精神」「謙虚」「ナイーブさ」「卑怯を忌む」などの言葉が羅列され、著者が偉人であり、高潔であると認識する人物が古今の日本史から採り上げられ、日本人にはこうした精神がDNAとして流れていることを強調するが、挙げられる人物にしても、人それぞれが作者と同じ認識や感慨を持っているわけではないし、内容的に同意する部分がなくはないが、納得できない部分も僅かではない。


 たとえば、日本人が謙虚なのはコーカソイド(白人)に対してであって、同じ東南アジアの途上国の人々に対しては優越意識が強く、コーカソイドに対する謙虚心は、言葉を換えれば、劣等意識でしかない。


 そのうえ、日本人には同朋意識が希薄で、海外旅行で日本人に出遭うと、互いに顔をそむける傾向が強く、外国に出てまで日本人に出遭いたくないという心境が見え隠れする。その点、アメリカ人はどこで遭遇しても、互いに「どこから来たんだ」と声をかけあう。

 とはいえ、ハワイだけは特別の観光スポットで、日本人に出遭わずに、外歩きも、ショッピングも、ビーチで過ごすこともできない。ハワイが日本人の好きなスポットになっているのは、日本語がある程度通じることの安堵感、安心感であって、知らぬ土地の文化を知ろうなどという殊勝な気持ちからではない。


 「皇室制度が核になって、この国を2千年にわたって支えてきた例は世界にない。それは、天皇が直接統治したのは、僅かに後醍醐天皇(在位1318-34)だけで、他はすべて権威として存在したからだ」というが、皇室制度が継続できたのは、偏に、朝廷が軍隊を持たずにいたことに根拠があるし、2千年などという長きにはわたって支えたという史実はない。


 「マッカサーと天皇との会談に関して、天皇が戦争責任は自分にあると発言した」とあるが、これはマッカーサーが後日明かした話であって、実際の会談内容をそのまま伝えたものではないとの説もあり、真偽は不明というのが正しい見解。


 「日本人が多神教で、欧米や中東が一神教だから、日本人は柔軟性に富み、他民族を受け容れられる」というが、第一に日本人は多神教というより、自分勝手なご利益主義が優先的で、むしろ無神論者というより宗教に関心のない人が多いし、第二に、他国からの帰化を受け容れたのは大昔の中国からの宗教家や韓国からの芸術家、徳川政権以降はオランダだけに絞って窓口を与えたに過ぎず、マレー半島やヴェトナムからの移民も欧米からの批判を回避すべく最小限に絞って受け容れただけ。基本的に他民族と融和する術を知らない民族である。だいたい、日本人で、仏教、神道、儒教などを誤謬なく外国人に説明できる人間などはほとんどいない。


 「宗教で人は死ねる」のではなく、「宗教は人を狂わせる」のではないか。イギリスのプロテスタントとアイルランドのカトリックの関係だけを見ても、それは自明だ。しかも、キリスト教徒は異教徒をどのくらい殺戮したか、宗教あればこそ派閥もでき、対立抗争も起こる。


 「日本車がアメリカで売れたのは、アメリカ人のノブレス・オブリージェ(優位な地位にある者の社会的責任)から、つまりは敗戦国に対する憐憫だというが、私はそうは思わない。自動車産業に携わる日本人の弛まざる技術革新と洗練、現地でのセールス努力、きめ細かいアフターケアであり、加えて、低燃費で走る車へのアメリカ人消費者の評価だった。アメリカ人消費者は著者のいうような甘さとは無関係であり、実質から物事を評価する国民である。


 過去、フランシスコ・ザビエルが「喜望峰以東で日本ほど高貴な文化を持った国はない。知能も優れているし、教養もある」と言った。ダライ・ラマが「太平洋戦争後、日本人はがらりと態度を変え、勝利者と握手を交わし、フレンドリーに豹変したことは日本人の許容性とお人よしの美質である」と言った。フランスの外交官は「世界三十数カ国を回ったが、この世に残したい唯一の民族は日本人である」と言ったとか、そうした言葉を挙げつらい悦に入るのは、日本人特有の受身でものを考える、自己満足でしかない。言葉を換えれば、日本人の大半は外国が日本をどう思っているかに関心が強いだけ。


 「条件のない愛をもつのが世界に通用する理想の国民だ」といっても、そういう国は利用されるだけで、世界は現実にきれいごとでは動いてはいない。中国に戦後多額の金を与えたし、借款にも応じたが、中国はその事実を国民に告げもせず、金は軍隊の増強に使っただけ。アフリカ諸国への支援を長期にわたって行なっても、どこの国も日本を国連の常任理事国への一票すら入れていない。アフリカのほとんどの国の民は日本人より中国人の方が好きだという。支援の仕方が杜撰で下手というしかない。


 「中国が日本をやり玉にあげながら、阿片戦争を二度も仕掛けたイギリスには一言も批判しない」のは、中国人にもコーカソイドへのコンプレックスがあるからで、満州を領土化しようとした日本を責めながら、中国は日本人がかつてやったのと同じようにチベットを領土化している。中国の政治の在り方は毀誉褒貶が激しく、狡猾で、やり方が汚いだけ。


 日本に過去誕生した偉人、宗教家(空海、親鸞、最兆ら)の遺した言葉を羅列しているが、彼らが世に出た背景には、必ず社会的な混乱、混沌という状況があり、内乱時、自然災害による飢餓状態のとき、為政のあり方がでたらめなときであり、そのことは中国と同じである。


 「日露戦争時の乃木大将のロシアの将校、ステッセルに対する友好的な処遇は日本人の美質である」かのように書いているが、それは西欧諸国に見守られている中でのデモンストレーションであり、一等国を自負したいあまりの行動に過ぎない。第一次大戦時、青島にいたドイツ人を捕虜にした後の処遇にしても、根底には列強に認められたい一心があった。


 「日本には奴隷制度がなかった」ことを過大に評価するが、その代わりにエタ、サンカ、在日朝鮮人など賤民として社会の最下位に置き、人間扱いをしなかった史実がある。


 元のフビライの恫喝に屈しなかった北条時宗は立派だったのではなく、元の怖さを知らなかっただけ。だいたい、元の来襲を最初に受けるであろう壱岐対馬に危険情報を全く流さなかった杜撰は弁護のしようがない。


 赤穂浪士の討ち入りを賞賛しているが、作者の目のつけどころがそもそも間違っている。赤穂藩主の浅野の殿中での所業こそが、一族郎党を抱える家臣の長(おさ)であるという立場への責任感が欠落していたことが大きなミスというべきだ。四十七士の切腹に終わった結末を歌舞伎に仕立てる神経など不可解至極というしかない。結果ではなく、原因に目を向けるべきではないか。すべては赤穂藩主の阿呆な所業から発している。いったん抜いた刃で一太刀も振るえなかったなど、武士の風上にもおけない。


 「日本はボトムアップの国」ではない。この国は昔から合議制、衆議製、談合の国であり、稟議書を回して印鑑を並べるという無責任体制の国である。


 日本人をダメにしているのは家庭教育や躾、学校教育もあるけれども、最悪なのは戦後の「アメリカ礼賛」と、民主主義からくる多数決主義であって、それがテレビ放映(民放)の視聴率至上主義に結果し、低俗な番組を少年、少女に毎日見せていることではないか。さらには、テレビに登場する人間を、実質や資質を考えもしないで政治家にする姿勢も、そういうことの結果である。


 社会はそれに見合う犯罪を生むという言葉がある。現今の犯罪はそのことを裏書している。アメリカ礼賛が核家族化を生み、少子化を招来し、人口減に結果しているのも社会の在り方の変化がもたらしたものだし、自殺者が年間に3万人という、世界に例のない現象も同一線上にある。


 「使命のない人間、能力のない人間を創造主が送り出すでしょうか」などと、キリスト教徒みたいなことを言っているが、この世に創造主などは存在しない。現実は、この世には死んだほうがましなやつがごまんと存在する。人間は例外なく業(ごう)と煩悩にまみれた性悪な生き物である。


 作者の言で唯一異論がないのは、「国防は第一義的な課題、非武装は政治の怠慢」という意見だが、総じて、ものの見方が甘い印象が拭えない。このような仰々しいタイトルでものを書くには、推敲も恣意、思念も不足している。


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