不完全性定理/野崎昭弘著

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不完全性定理

「不完全定理」  野崎昭弘(1936年生)著
ちくま学芸文庫  2006年5月

 著者は大妻女子大学社会情報学部部長教授、専門はコンピューター科学の基礎理論。

 小中高と、一貫して数学が苦手、数式を見るだけで頭痛がする自分がこのような、百パーセント数学論の書を手にしたのは、一つには常に楽しく面白い本ばかり読んでいるのが能じゃないという意識と、もう一つは2006年10月に「フェルマーの最終定理」を書評し、「国家の品格」の著者が数学者であることが影響したというしかない。

 かなりむかしに入手しながら、手が出なかった自分をけしかけるようにし、これを読まないと先には進めないという自縄自縛状態に自らはめこみ、ここ数日、本書との格闘を始めた。

 帯に、著者の文章は読みやすく理解しやすいと書いてあるものの、内容が内容だけに、文章への上手下手よりも、理解できるところを探すことに意を注いだため、この著者の文を批評する立場にはない。

 以下は、私が理解し得た部分だけを抜き書きするにとどめる:

「ギリシャの奇蹟」

1.紀元前480年頃、ギリシャ本土の各ポリスでギリシャ語を話す人々は東からのペルシャ、西からのカルタゴの攻撃を撃退し、「野蛮人どもは専制君主を崇める奴隷」だと蔑んだ。(専制君主制は後進性の象徴)。

2.ピタゴラス定理「三平方の定理」で名のあるピタゴラスも紀元前20世紀からの古い帝国、エジプトにも、紀元前23世紀から成立していたバビロニアにも訪れ、数学を学んだという話があるが、なかには彼はゼロと負数を発見したインドまで足を延ばしたという説もある。

3.エジプト人、バビロニア人は実用的知識をもちながら、証明することには関心がなく、円周率のπ(パイ)を証明したのは前287-212年頃に生きたギリシャの天才、アルキメデスだった。

4.タレス(紀元前624-紀元前546)はエーゲ海の東、イオニアの港町ミレトスの生まれだが、この人が問題として採り上げた「その根拠を問う」という姿勢が意外な難問を次から次へと数学界にもたらし、発展を促した。

5.ユークリッドが「無限に続く先で平行線は交わる」の根拠を問うことの難しさに「仮定」を考えることで解決できることを発表し、そのおかげで、紀元前3世紀頃の「円錐曲線論」(円、長円、放物線、双曲線)の統一理論にも役立った。さらに、ゼノンらの「背理法」にも役立ち、それをユークリッドが集大成し「ユークリッドの空間」が編み出された。聖書を除けば、ユークリッドほど多くの国語に翻訳され、多くの人に読まれた書物はない。

6.「定義」を表す古語は「仮定」であり、「公理」は「公準」だった。議論の出発点を要求すること、つまり「要請」との意味で「定理」を使い、断定せずに、公理に基づいて証明する姿勢を堅持。それが時代とともに自明の前提となる。以来、ユークリッドの原論は「理論的体系」の模範として評価されるようになる。

7.幾何学の「座標」はデカルト(1596-1650)の貢献による。座標を図形として表し、代数学の手法で扱う道が開け、解析幾何学が成立した。デカルトが亡くなったとき、8歳だったニュートンはこれを駆使して微分方程式から「ニュートン力学」を1687年に構築。ニュートンはまたユークリッドの原論からも学ぶことがあった。現代なら10年で内容が古くなる自然科学の分野で2000年余の寿命を保ったユークリッド原論は「ギリシャの奇跡」といっていい。

「体系の進化」

1.点、線、直線の上にある(~より大きい)などの語句を「無定義術語」という。「鋭角は直角より小さい」などという判りきった言葉はなくてもよく、定義は判りやすさと便利さのためにあるので、公理さえ与えれば原理的に問題はない。

2.1862-1943の間、ヒルベルトは「定理についての証明中の曖昧な問題点を「公理と言明する」ことに努力、簡潔に斬新に解説をしたため、当時の数学界のベストセラーになった。ヘーゲル、カント、などドイツ人らはフランス人は頭が悪いから本を書けないと嘲ったそうだが、フランスにもブルバギ(1816-1897)という俊英がいて、「数学原論」の著者であった。

3.数学者として有名なガウスは1792年、15歳にして「反ユークリッド幾何学」を発表、1799年までに相当の成果を得ていたが、「ぼくは数学しかできなかった」という述懐に親しみが湧く。

4.アインシュタイン(1879-1955)の一般相対性理論(1915)によって宇宙空間ではユークリッドの諸公論は近似的なものしか成立しないことがはっきりした。空間自体の変容、時間ともかかわるダイナミックな空間のなかではユークリッド幾何学は有効ではない。

5.「Man + Woman = Woman」「Love + Hate = Hate」という式が、(女は男に勝り、憎悪は愛情に勝るとでも言っているようで面白い)。

6.カント曰く、「我々は生まれつきユークリッドの枠組みのなかで物事を認識するようにできているのではないか」と。

7.ヒルベルトは「幾何学的な直観を完全に排除できた証拠であり、直感的な定義で証明できなくても証明は可能」と言った。

「集合論の光と陰」

1.戦後、アメリカの数学教育のなかに「集合論」が加えられ、日本もこれを導入したものの、「赤い積み木」「四角い積み木」といえばいいものを、「部分集合」とか「合併集合」とかいったために、親たちからクレームがつき、教育課程から姿を消した。しかし、集合の記法を知らないと、現代数学の論文は読めない。

2.「覇権か生存か」を書いたアメリカのチョムスキーは言語学者で、「文法的に正しい概念」を定義できることを主唱し、数学的にも明確な現代構文論の基となり、革命的な考え方を示した。(1995年)

3.「集合論」の創始者はロシアのサンクトベルグ生まれのカントル(1845-1918)だが、これを非難し、攻撃したのは当時の大ボス、ベルリン大学のクロネッカー(1823-1891)。一方、カントルの業績を認識し、賞賛したのは次世代のスーパースター、ヒルベルト(1862-1943だった。ことに、カントルのパラドックスは数学それ自体のなかに隠されていた弱点を明らかにし、決定的な貢献をしたという点で光っていた。

 「パラドックス」という点では、バートランドル・ラッセルも数学界に貢献している。

4.「数学は絶対に安全確実か」という問いに、ヒルベルトは「公理化、体系化、形式化と徹底して数学的に推し進めようと提案。こうしたヒルベルトの提案から思いがけず、「超数学」(メタ数学)と呼ばれる分野が構築された。

5.1985年度に数学界で引用された回数については:

 ヒルベルトが121回、リーマンが83回、ガウスとボアンカレが73回、ワイルが66回、オイラーが62回、E・カルタンが61回、ブルバギが54回、アルティンとヴェイユが50回である。引用回数は必ずしも学者の偉大さを示すものではなく、影響の幅広さを示すだけである。

「証明の形式」

1.「群の公理系」や「ペクトル空間の公理系」などが書かれているが、「等号の公理系」が省かれているケースが多い。多くの数学者がこういう論の進め方に慣れてしまっているからだろう。

2・「推理パターン」をここでは「複合法則」といい、証明もずっと短く書けるだけでなく、推論観測だけによる「公式証明」に書き直すことも可能で、この方法によってはじめて「証明をコンピューターに自動的にやらせる道が開けた。

3.論理的であるか否かは記号列の形だから、機械的な仕事で判定はコンピューターでも出来、非人間的であることに利点がある。論理式を応用する段階では、個々の論理式に意味を与えなければならず、その作業を「解釈」するという。

4.より複雑な論理式を構成するための規則は何回でも反復適用してよい。このように定義したい概念を前提のなかで使っている規則の反復適用を再帰的応用するため、これを「再帰則」という。

「超数学の誕生」

1.ヒルベルトは公理系によって記述された数学の形式体系に限定し、理想の公理系が満たすべき基準を提案した。(1)公理系は望みの命題をすべて証明できるよう十分に与えられていること。(完全性)(2)公理系はすべて必要で、どの一つも省くことができない(独立性)(3)公理系は自己矛盾を含まず、互いに矛盾するような定理は決して出ない(無矛盾性)

2.超数学においては「数理哲学」とは違い、数学的手法に従い、研究対象としての数学を客観的に分析できるよう形式的に整えておかねばならない。ホワイトベッドとラッセルの大著「プリンキピア・マテマティカ」(1910)が出てから、記号論に基づく議論が可能になった。また、集合論の公理化も20世紀に入ってからツエルメロによって1908年に、フレンケによって1922年にほぼ確立。そのあと、ヒルベルトとアッケルスンが共著「数理論理学の基礎」(1928)によって、いわゆる「術語論理」を形式体系として整備した。

3.以上によって、「理論体系」の形式化を利用すると、モデルを使わない、純粋に形式的な方法で数学が可能になった。これが「超数学」といわれるもの。

「ゲーデルの登場」

1.ゲーデル(1906-1978)はチェコ生まれで、後にアメリカ国籍をとる、「完全性定理」で有名な数学者。「証明できない論理式はすべてのモデルでは成り立たない。即ち、すべてのモデルで成り立つ論理式(恒真文)は必ず証明できる。従って、論理提携は内容的に完全である。だから、いわゆる群論の公理系、ベクトル空間の公理系などはすべて内容的に完全」という説を1930年に発表。

2.ゲーデルは続いて、「不完全性定理」をも証明する。自然数の性質を公理系によって完全に捉えるのは不可能である。「超数学」の算術化を生んだだけである。

3.ゲーデルの「不完全性定理」は、それまでプリンキピア・マティカの命題にすべて頭を使っていたフォン・ノイマンを悔しがらせながらも、これを高く評価した。結果のスケールの大きさ、数学の限界を示したという深遠な意味で。

4.これをベースに、ヒルベルトの弟子の一人、ゲンシェン(1909-1936)は1936年に「集合論」を含まない「純粋の自然数理」の無矛盾性を証明した。

5.著者のゲーデルに関する印象:1)結果のスケールが大きい。2)人間の知的な営みのなかで、最も客観的であり最も厳密であると信じられてきた数学の限界、もっと広くいえば、客観的・形式的な方法が「完全ではありえない」という原理的限界を示した。これを「人間の知的限界」と言い換えてもいい。もう一ついえば、彼の目標の設定が的確だったこと、方法が独創的だったことも挙げられる。

 以上に登場した。カントルもゲーデルも、偏執病で発作を起こしたり、中毒を恐れた拒食症で、両者ともに逝去。

「それ以後の現実」

1.ワーベルの定理「方式論」は生き残り、美しい「ガロアの理論」へと発展。

2.「集合論で有名な「選択公理」「連続体仮説」が「集合論」の従来の公理系と矛盾しないことを証明したのもゲーデルだが、アメリカの数学者コーエン(1964~)は「選択公理と連続体仮説の独立性」(1963)でフィールス賞を受けた。

3.実績としてはなお、機能的関数論の初期の建設に貢献し、これはコンピューターの基礎理論に繋がっていく。

4.ヒルベルトはタレスと同じ「問題提起」とユークリッドのような「体系化」を行い、さらにゼノン風「精密化」にも貢献した。「超数学」の立役者はヒルベルトとゲーデルだった。数学史上、ユークリッド、ガウス、ヒルベルト、ゲーデルらは抜きん出た存在。

5.ゲーデルの不完全性定理は形式化されていない人間の知性、価値観、感性、構想、意図、直観などを否定しているのではなく、ただ、価値観や感性の限界を示したに過ぎない。

 

 以上、ギリシャの「ユークリッド」と「反ユークリッド」の物語だったという印象が残った。著作に頻出する数式はすべてカットしたことをここに断っておく。


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