歩いて見た太平洋戦争の島々/安島太佳由著

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「歩いて見た太平洋戦争の島々」
安島太佳由(1959年生)著  吉田裕監修
2010年4月20日 岩波ジュニアより初版
¥940

 私自身が旅行業、それも国際舞台で長い間従事していた関係で、外国人を日本に連れてくる仕事をメインとする一方で、日本人を海外に連れ出す仕事もしていたこともあり、あちこちに日本軍の兵器の残骸を見ている。兵器の残骸を目にする都度、一つの景色として、ことさら私自身がみじめに感じたのかも知れない。

 本書で力の入っている「硫黄島」については、アメリカ人の書いた「硫黄島」を先に読んでいたおかげで、かれらがこの島にどれほど執着したか、むろん、東京爆撃を直線的に行なうという目的を意図してのことだが、ために、艦砲射撃は言うに及ばず大型爆撃機や戦闘機を使っての爆弾投下や射撃も事前に激しく大量に行い、島を鉄で覆ってしまうほどで、かれらとしては万全を期しての上陸作戦だったところが、地下に張り巡らされた蟻の巣のような守備隊の抵抗には驚愕したことが書かれていた。

 アメリカ兵と日本兵がほとんど10対10の割合で戦死したという稀有の地だったのではないか。パラオのぺリリュー島の場合も上陸してくる米兵に対する射撃で浜辺が血で染まる、いわゆる「Bloody Beach」にしたという話が残るほどだったらしいが、日本兵の死者10に対しアメリカ兵3といったところらしい。その他は例外なく10対1。

 私がこの種の本を見て感ずるのは、第一に、なぜ日本人は遺体を捜しては荼毘にふし、日本に持ち帰るということをするのか。人間、所詮は地から生まれてきたのだから、地にでも海にでも返してやるのが理にかなっていると思うのだが。

 日本兵は日射病、脱水症状、栄養失調、アメーバ赤痢、発狂、飢餓などによって死んだ数が戦争時に死んだ数を圧しているように感ずる。補給態勢が杜撰というよりも、はじめから「現地調達」を指示されていたということもあるが、こういう体制であれだけ戦地拡大した戦争で勝てるわけがない。しかも、「生きて虜囚の辱めを受けず」などという馬鹿げた「イキガリ」が殺人に寄与したとは!

 私のダイビング仲間にいまもトラック島に通っている人がいる。聞いた話で記憶に残っているのは、日本の和紙の丈夫なことだ。ある船に水深40メートル以上潜っていったとき、たまたま航海日誌を見つけ、それをもって帰還したところ、和紙は傷づけられることなく、航海日誌の役を担っていたという。

 それはそれとして、この戦争は誰が、どう考えても、知能が足りないか、脳髄に問題があるか、アホ、バカの類にしかやれない戦争だった。当時の外国との交渉に、いわゆる「外交」の名にふさわしい言動が全く窺えない。日本人は隔離された島国育ちのゆえか、生来外交下手、それは今も変わらない。にも拘わらず、外国への留学を志望する若者は減る一方。


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