日本史快刀乱麻/明石散人著

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日本史快刀乱麻

「日本史快刀乱麻」 明石散人(1945年生)著
新潮新書  2003年11月初版

 この作者の文ははじめから喧嘩腰の構えで、「快刀乱麻」というタイトルに躍ったのか、はしゃいだのか、顕示欲が目立ち、一方的な言句を吐き続け、むかつく気分を抑えきれない。そのうえ、終戦の年に生まれたにしては戦前に青年時代をすごした人のような「懐古趣味」が全編を貫き、「いったい、あなたは何様ですか?」と聞きたくなる内容が少なくない。ために、内容全体に対して一貫して懐疑的な気持ちにも襲われた。

 「鎖国が長期におよんだため、明治以降、陸軍が白地に赤丸を染めて日章旗とし、海軍は日の丸から赤い放射の絵柄として旭日旗とした。それまで国旗というものを日本は持たなかった」のだとしても、いまさら天皇家の菊の紋を国旗にするわけにはいかず、たとえ可能だとしても、学校の教師がそのまえに立って国家を歌うようになるとは到底思えない。 

 ミズーリー艦上での降伏文に「一切の日本国軍隊および日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告する」という文章から、「日本そのものは太平洋戦争に負けていない」と結論するのは独断という以上に偏見であり、揚げ足とりのレベル。

 「日本将棋が難しいのは取った駒を使えることで、そのことがこのゲームを一層難しいものにしている」のは事実だろう。「チェスにプロは不在でも、将棋にはプロが存在するのは将棋が無限大のゲームだからである。これは、家のため、保身のためという思考から日本人に「裏切り」や「寝返り」を許容する国民性があるからだ」というが、確かに加賀で百万石を得たオカマは恭順の意を示し、都かぶれをして明治期まで系譜を繋げたものの、一方では、加藤清正や福島正則のように、お家断絶の憂き目にあった大名もいる。と同時に、「身に恥を蒙れば、一命を賭しても」という武人が存在したことも事実で、「武士道」というものの扱い方が粗雑にすぎる。

 また、第一次大戦、第二次大戦を通じ、西欧の国にも一国を代表する人物が敵国から賄賂をもらい、祖国を裏切り、スパイ活動をした例は枚挙に暇がないほどある。中国などは5千年の歴史を通じて、裏切りや寝返りの連続ではないか。「寝返り」や「裏切り」はなにも日本の専売特許ではない。また、日本人が敵国のためにスパイ活動をしたという例は、日露戦争前に共産党が革命を起こそうとする行動をバックアップし、金銭的支援を行なったのは事実。

 将棋には日本人のプロはいるが、外人のプロはいない。一方、囲碁には将棋より広い盤が使われ、これまたチェスなどよりはるかにゲームとしては難しいが、これには韓国人、中国人、白人を含め、多くの外国籍棋士が存在する。スーパーコンピューターがチェスには勝てても、将棋や囲碁のプロには「詰め将棋」や「詰め碁」を除けば勝てないだろう。将棋について触れるのなら、囲碁についても触れるべきで、片手落ちというもの。一つの断面を浮き彫りにして議論を終わらせるのは、読み手に誤解を与えかねない。

 全編にわたって、しばしば古事記や日本書紀が文献として採り上げられるが、この二書は後世の人間が創ったフィクションであり、でっちあげの古書を信頼して、文章を綴るのは幼稚すぎる。

 「むかしは、外国から入ってくる言葉は新しい語彙を創作し、日本語の語彙は増える一方だったが、現在ではカタカナ言葉が氾濫し、言葉自体も雑駁となり、見るに見かねる」といい、和歌の元々のルールを説明し、「キラ星のごとく」の語源などをいまさら教えてもらっても、「だから、どうした?」としかいいようがない。現在、元々の語源とは異なる意味で使われている言葉はごまんとあり、それだけで一書が完成できるほどだ。また、世の中にコンピューターが入ってきたことで、カタカナ言葉は急激に増えている。いまさら、わめいても、カタカナ文字の氾濫は抑止できない。だいたい漢和辞典にしろ、字海にしろ、広辞苑にしろ、7年から10年で書き換えられているではないか。

 確かに、中国では、アメリカからコカコーラが入ってきたときも、日本ではそのままカタカナのまま受け入れたのに対し、「口可口楽」と、「口に叶い、口に愉しむ」という意味の漢字をこれに充てたように、戦後あらゆる外国語を中国語に置き換えたが、それは日本のように漢字のほかに平仮名も片仮名もないからであって、幸か不幸か、日本にはカタカナがあり、それがあまりにも利便性が高いために、現今に見られる結果を招来したわけで、この手法が将来とも変わることはないと思われる。だから、今更文句を言っても始まらない。

 相場で使われた罫線(ロウソク足)は戦前の相場師には通用したかも知れないが、現在の株式相場で罫線などを信頼して株を売買していると、唐突な外資の売買に振り回されて、負け組みにまわされること必定。「むかしアメリカ人がこれを利用して、ウォール街に持ち込んだ」話が本当だとしても、現今の投機面の行き過ぎた相場にはなんの役のも立っていないだろう。

 また、「日本の誇れる冒険家は堀江謙一ただ一人」というのも、「それはあなたが知っている人のなかではという意味でしょ?」といいたくなる。世の中には、マスメディアなどには一切発言せず、宣伝もせず、ひそかに、命賭けの冒険をやっている人がけっこういるものだ。

 そのうえ、「自分は臓器移植は絶対にいやだ」という言葉が、ここまで大きな口をきいてきた男にしては小心な発言で、一驚を喫した。

 文章の調子が喧嘩腰だったので、つい喧嘩腰で受けてしまい、頭にきたことをそのまま書いてしまったが、学んだこともあったことだけはつけ加えておく。この薄っぺらの書籍に意を尽くすこと自体に無理があることも解っている。


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