日本語は天才である/柳瀬尚紀著

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nihongohatensai

「日本語は天才である」
柳瀬尚紀(1943年生/翻訳執筆活動に専念)著
2009年10月1日 新潮社より文庫本として初版 ¥400+税

 タイトルが魅力的だったという一点が本書を入手した理由。

 本書の最初の部分に出てくるが、芥川は「最大の奇蹟は言語である」といっているが、本書作者は「最大の奇蹟は日本語である」と置き換えている。つまり、「日本語は世界のなかで際立って孤独な言葉であり、かつ豊かで天才的である」と。

 本書に出てくる箇所で「これは」と思った箇所を拾い、私見があれば、(  )に記載してみる:

*漢字は日本語にとって上代に保有することとなった初めての組織的かつ社会的な文字であった。文字というべきものを方法として持たなかった日本語にとって漢字とのめぐり合いは運命的な事件だった。そして、この文字表記が万葉仮名に用いられた。

*中国には「漢語外来語辞典」があり、和製の漢語が900語収録されている。

 (日本語は中国からコピーした漢字をマスターすることによって言語として飛躍をみたが、一方で、日本人が独自に創造した漢字が中国に逆輸入されもした)

*誰かがくしゃみをすると、その人に対し、アメリカ社会では、「God bless you!」との言葉を贈る慣習がある。この元祖は法皇グレゴリウス1世というから、(キリスト教社会で誕生した習慣語であろう。著者は「この翻訳に抵抗を感ずる」と書いているが、神を念頭においた上での習慣的な言葉というものがないために日本人にはピンとこないという意味ではないかと察するが、アメリカに滞在して仕事をする立場の日本人や留学生なら、なにも逡巡する必要も遠慮する必要もなく、アメリカ人がくしゃみをすれば、God bless you! という言葉を贈ることが次第に習慣になってくる)。

 (作者は英語の「God」にこだわっているが、米国に滞在していれば、Godに関する言葉には幾らだってぶつかる。「Oh my God!」を筆頭に 「Jesus Christ!」などは使い勝手がいいほうで、我々も自然に口をついて出るようになる。それよりも、街で喧嘩している若者同士の交わす言葉のなかに「Fuck」や「Fucking」を文頭につけた侮辱語が飛び交い、初めて耳にしたときは驚いたものの、慣れるにつれこれもなんということもなくなった)。

*森鴎外と三島由紀夫の小説には感嘆符が使われていないという話があるが、(この二人にはもう一つ共通する癖がある。それは擬態語、擬声語を使わないことが文学書としての品格を堅持することだという頑固な姿勢。感嘆符などは使わずに感動的な文章を工夫創造すればいいことだが、日本語に固有で、幾らでもできてしまうオノマトピーアを駆使しない文学者を私は好きになれない。蕪村の「春の海、ひねもすのたりのたりかな」を秀逸な俳句だと思うからでもある・俳句と文学書とは違うという意見もありそうではあるが)。

*本書では「色は匂えど散りぬるを・・・」を高く評価しているが、(その点では私も人後に落ちない。大学生の頃、この「いろは」を読んでいて、天才の閃きだろうか、それともこの種のことに専心没頭する先生が何時間もトイレに入って唸ったあげくに考えついたのかと推量したものだ)。

*日本語は品がいい。侮る言葉をあまり持ち合わせていない。(そうでもないのでは?気違い、くそったれ、オタンコナス、ノータリン、低脳、意気地なし、卑怯千万、ボケ、アホ、バカ、ブス、女の腐ったやつ(これは死語)、ウスラトンカチ、独活の大木、頓珍漢、アンポンタン、とうへんぼく、などなど・・・)

 本書に対する正直な感想を述べるが、書き方がふざけているように感じ、解りやすく書こうとはしていないという印象があるし、全体的にピンとこない。


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