ファーブル昆虫記1 ふしぎなスカラベ/ジャン・アンリ・ファーブル著

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ファーブル昆虫記1

「ファーブル昆虫記1 ふしぎなスカラベ」
ジャン・アンリ・ファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre/1823-1919/フランス人)著
訳者:(本文を判りやすく書き改めもした)奥野大三郎(1944年生)

 本書は全八巻のうちの第一巻で、スカラベ(糞ころがし)について書かれたもの。訳者は、日本昆虫協会会長、埼玉大学フランス文学教授。

 昆虫とは翅が2枚、肢が6本、体が頭部、胸部、腹部と三つ分かれている生物をいい、哺乳類が5000種、鳥類が9000種、魚類が2万種に対し、昆虫類は未だに確かな数が判らず、1千8万種から3千万種といわれていて、現在でも新種が世界のあちこちで発見されている。

 ファーブルがあまりに有名なため、日本だけでもファーブルの昆虫記は多くの動物学者が翻訳しているが、私はこれまでに読んだことがなく、一度は読んでみたいと念願していたところ、たまたま書店で本書を見かけ、子共のころに昆虫採集したときのことを思い出しながら読み進んだ。

 スカラベはコガネムシやクワガタ虫の仲間で、世界には日本を含め種類も多いが、その生態には驚嘆に値するものがあり、読んでいて飽きがこない。

 スカラベはフランスのプロヴァンス地方に作者が住んでいた頃に研究対象になった虫で、牛、ヒツジ、馬などの糞に群がり、丸く切り取っては、それを独力で、あるときは泥棒と一緒に、あるときはカップルで協力し合って巣にできそうな場所までころがしながら運ぶ虫であるが、かつて機械化されていなかった時代、農家ではどこでも牛、馬、ヒツジを牧畜しており、大量の糞が草の上に落ちていた。

 25頭の牛が排泄する糞だけで草地が毎年1ヘクタールずつダメになるほどの量になるが、ふんころがし、つまりスカラベが生息しているおかげで、糞はあっという間に持ち去れら草地が疲弊してしまうことはなかった。

 こうした生態系を破壊したのは人類が創った利器であり、農薬だった。牛や馬の代わりに耕運機が使われている畑地にはスカラベは生息できない。舗装された道路の下、ビル群の下にはおびただしい生物が死骸と化している。

 オーストラリアにヨーロッパから移植が始まったとき、かれらは欧州から牛、馬、ヒツジ、兎を持ち込んだが、オーストラリアにいた「ふんころがし」はそれら家畜の糞には見向きもせず、一年に全土で500万ヘクタールの土地がダメになった経緯から、外国から家畜の糞を好む「ふんころがし」を輸入して、対応したという。オーストラリアには元々それら家畜が生息していず、現地のふんころがしは専らカンガルーの糞を食料として生きていたためカンガルー以外の動物の糞には興味を示さなかった。外国から「ふんころがし」を輸入するまでは、土地柄、乾燥がひどく、家畜の排泄物は乾いて風に舞い、人々が居住する上に降るという悲惨を招いたという。

 (本件に関しては、ジャレド・ダイアモンド著の「文明崩壊」を本ブログに書評した折に、触れている)。

 沖縄の西表島の川にはマングローブ(ひるぎ)が生え、水に浸かった根には幼魚が隠れ、土地の言葉でノコギリガザミというでかい鋏(はさみ)をもつ蟹が幼魚を狙い、貝が汚水を浄化し、満潮時には大きな魚が潮に乗り餌を求めてやってくる。マングローブの上の枝葉には野鳥や昆虫がやってきて、そこには食物連鎖の一大生態系が存在する。「ふんころがし」のケースとはやや異なるが、互いにそれぞれが地球に棲む生態系を担う一員であることに変わりはない。

 「ふんころがし」の生態のなかには、土のなかに穴を掘って巣をつくる習性があり、それが土中に適度な酸素を供給することで土の質を向上させることにも、本人たちは意識してのことではないが、貢献している。

 「ふんころがし」の腸は体内をくねくねと曲がっていて、おそろしく長く、家畜が未消化だった部分を100%消化してしまう能力を持ち、と同時に、食べながら尻から細い糸状の糞を出しはじめるという高能率の消化器官をもち、糞は3メートルにも達し、糞の量は「ふんころがし」の体積に匹敵する。しかも、その糞は幼虫の頃、巣に壊れたり皹(ひび)が入ったりすると、セメント代わりにして修復に使えるという機能を有する。環境を前提にした「進化」というものの極致を見る思いがする。

 (沖縄でも古くから「フール」と名のトイレがあり、トイレの下では豚を飼育していて、人間の排泄物がそのまま豚のエサになるという仕組みだった。この手法はおそらく中国から豚を贈られたときに教えられたのであろう。人間の排泄物には未消化部分がかなりの量で含まれているからだ)。

 「ふんころがし」の糞で覆われた卵だけでなく、鳥の卵にも、顕微鏡でよく見ると、無数の小さな孔があり、呼吸が可能になっているというが、確かに、完全にふさがれた状態では、幼虫も幼鳥も窒息死してしまう。

 「ふんころがし」の仲間には、翌日の天気を確実に当てる種があり、台風が来る前の晩などは大騒ぎをするという。たぶん、気圧の変化を感ずるセンサーを持っているのであろう。

 たかが一種類の昆虫の生態を調査するだけでも膨大な時間が必要となることが本書によってよく理解できた。

 とはいえ、こういうことに熱中するのは大抵は男であり、知ったところで日常生活には何の役にも立たない。だから、むろん一般論で例外はあるけれども、女はこういう観察にはほとんど関心をもたない。かくいう私自身、知っても役に立たない著作を相当読んでいるし、それは言ってみれば「知りたがり」にベースがあるからだ。

 女性でも宇宙を観測している人はいるし、数学者もいるし、生物学者(あるイギリスの女性はアフリカに住んで動物調査に余念がない)もいるし、科学者もいる。キューリー夫人もいい例だ。が、私の周囲に限っていえば、女性は世界地理の話はダメ、世界史の話はダメ、数学の難度の高い方程式の話はダメ、アインシュタインの相対性理論の話なんかしたら、顔が歪んでしまって、一緒にコーヒーも飲んでくれない。

 ちょっとよけいなことを書きすぎたかな。

 いずれ、二巻、三巻と読んでみたいと思っている。


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