けものみち(上下巻)/松本清張著

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けものみち

「けものみち」上下巻
松本清張(1909年ー1992年)著
新潮文庫 2005年12月文庫化初版
週刊新潮掲載 昭和39年

 作者がそれまでのミステリー作家との大きな相違を、時代を背景とする社会性との「融和性」に置き、それが当時の読み手にミステリーというものの新しい誕生をアピールしたことは事実であり、本書を昭和38年に書いた時点での日本には、翌39年の東京オリンピックを控え、新幹線も敷設途次だったという、現実社会としては現今とは大きな相違があったにせよ、当時、清張作品が斬新な色彩に富み、多くの愛読者を得たことも容易に想像できる。その頃、多くのミステリーフアンが「点と線」を読んで感動、驚嘆したのも事実だ。

 当時、作者は年齢的にも30代の脂が乗り切った年代で、現実に次から次へと新しい作品を量産した。

 私の個人的な印象は、量産したために、筆が走り、新しい着想がどんどん生まれたのではあろうが、本書に限っていえば、内容的に粗雑な感が否めない。

 ミステリーとしてはあり得ない筋書きが幾つかあり、それが読み手の興を殺いでしまう。たとえば:

1.刑事が張っている可能性のあるホテルに被疑者がのこのこ出かける犯罪者心理はあり得ない。(放火犯が現場を見に行く心理とはちょっと違う)。

2.風呂に入っている女に、ガソリンを満杯に入れたバケツを風呂と風呂周りにぶちまけるまで、それがガソリンであることが判らないでいるということもあり得ない。バケツを持った男がバスルームに入室した時点で、相当の臭気が即座にバスルーム内を埋めてしまうからだ。

3.脳軟化症の老人が腕や指、手だけは達者で、女を引きずり倒す力を持っているのに、女との濡れ場が女にとって充足感のない地獄の一時間であり、濡れ場が昼間であれば一層、満たされぬ余熱が女の体に残り、体をだるくさせるという描写には、納得がいかない。男がインポテンツなら、ペニスの勃起も射精も望むべくもないし、射精によるオーガズムもあり得ないが、女の体に対しては手も指も舌も使えるわけだから、それに言葉を加え、女を何度でもオーガズムに導くことは可能だったはずで、勃起したペニスの挿入だけが女体をオーガムズムに導くための絶対不可欠の条件ではない。清張は女の体をどこまで知っていたのかという疑問を本書は残している。

 文章的にも、文体的にも読み手を唸らせるものを感じないが、相当のスピードで書き上げた様子だけは想像できるし、当時、多くの愛読者に恵まれたことも想像がつく。

 私は、本ブログで2005年3月に書評した宮部みゆき編「松本清張短編コレクション」で紹介された「西郷札」を、やはり最も評価しているし、好きである。


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