定刻発車/三戸祐子著

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定刻発車

「定刻発車]  三戸祐子(1956年生)著
副題:日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?
交通新聞社より単行本として2001年に初出版
新潮文庫  2005年5月文庫化初版

 著者は経済、経営ルポライターがメインの仕事。

 作品は理路整然とし、発想や着眼点に独特のものがあり、憧憬すべき部分が大半を占めているものの、たまたま本書が出版された後に関西で悲惨な鉄道事故が起こり、さらには過去の私自身の職業柄、JRについては知っていることもあり、作者がJRから資料や文献を提供してもらった経緯からか、著作内容がJR寄りになっている事実に反発と異論もある。

 学ばせてもらった点を列挙する:(  )内は私見。

1.そもそも「鉄道が定時に遅れる」とは時間にしてどの程度を意味するのかが、国によってかなり違う。(発展途上国に至ってはほとんどデタラメであることは私自身の経験でも知悉しているが、)作者の言によれば、「フランスは14分以上」「イタリアは15分以上」「イギリスは10分以上」「ドイツ、スイスがほぼ5分以上」、そして「日本が1分以上」と他国を圧倒しており、1999年度から遅延しなかったケースは新幹線が95%、在来線が87%で、遅延の理由の大半は大雪、大雨、地震といった自然災害。

2.日本の地形的な特徴は起伏が激しいこと、河川が多いこと、平野が少なく丘陵が多いこと、気候的な特徴としては裏日本や北国は豪雪地帯、台風の多発や地震による土砂崩れ、地盤の緩みが多いが、油圧系統を凍結させるほどの極寒地ではなく、逆に、南は熱帯多雨の地域ほど路盤の緩みはない。

 むしろ、日本に地震があり、台風があり、大雪が降り、雪崩が起こるという自然条件がそこに居住する人間を緻密で正確な鉄道づくりに駆り立てた可能性がある。定時運行には国民性、社会環境、歴史的経緯、技術水準も大きく拘わっているが、自然条件との折り合いをどうするかは鉄道敷設をする上では基本的な出発点となる。

3.日本の道路(幹線を含め)が狭いのは徳川幕府の自衛手段だった。川には橋を架けさせない(例・大井川)、市中に大八車より大きな馬車などの乗り入れは禁じられ、参勤交代の大名行列にも同伴できる馬の数、武器など厳しく制限された。ために、日本の陸上交通には、本格的な馬車交通は生まれなかったし、大量の物資の移動も陸地よりも河川や海が使われた。(とはいえ、許可された造船では有視界航行しかできない小型船に限られ、ために船が嵐に遭って、漂流する事故が後を絶たなかった。ジョン・万次郎も大黒屋光太夫もそういう漂流者)。

4.明治新政府にとって、鉄道の敷設、運行は、文明開化の表現でもあり、初めはすべてイギリスに依存、資金を借り、車両を買い、機関手も顧問も高い給料を払って、時計の使い方、枕木の並べ方、石炭のくべ方など、すてを学んだ。鉄道の日本社会へのデビューは鮮烈で、列車に乗るためにではなく、列車が走るのを見るために人々が集まったという。ただ、鉄道の区間(駅と駅の距離)が短くなったのは、江戸時代の徒歩旅行がつくった宿場町に遠因がある。

5.鉄道は他国との戦争時に軍事物資を運ぶ輸送手段になり、輸出品を横浜に運ぶことにも役立った。

6.山にトンネル、川や谷に架橋、「土建立国日本」の政治風土を決定づけるものになった。

7.鉄道開業から20年で、お雇いの外国人は日本から去った。つまり、日本人は20年間で技術を習得し、以後は自分たちだけで鉄道敷設から運行にいたるまで、独自にやっていける自信を得ていた。

8.江戸時代の時鐘システムは大都会のみならず、村々の寺の梵鐘を受け皿として、徳川の泰平時代には全国的に成立しており、時鐘には城鐘、梵鐘、城下町の時鐘の三つがあった。これが当時の人々にとって日常の生活倫理をつくり、時間に関する観念を強く植え付けた。

9.時間による秩序性や組織性は近代化の条件。明治の日本に行政機構が機能し、根づくのが早かったのは原理も理由もここにある。時間による秩序のないインドネシアや、アフリカやメキシコやイタリアや南米には定刻に列車が走ることはまずあり得ない。(時間にルーズな沖縄は? モノレールは定時通り動いているのだろうか)。

10.明治5年、西欧式の時計による時間感覚が入ってきて、日本人すべてがこの時計に慣れたのは、明治30年代に入ってからだが、参勤交代のシステムが定刻に運行するという習慣を感覚としていたため抵抗感なく受け容れられた。

11.江戸期、アジアで日本ほど旅というものが一般化していた国は他のアジア諸国にはない。(江戸時代、いわゆる旅そのものは禁じられていたが、伊勢神宮参りと善光寺参りは許されていた)。鉄道は徒歩旅行についてまわる追いはぎのリスク、コストの高さとの比較においても市民にとって安全で、より安価な旅を約束するものだった。また、短距離に駅と駅が存在することで、運行を神経質にもしたが、運転に頻繁性をもたせることを必然とした。

 これは、徳川時代の藩を主体とする全国支配が日本中に、いわば鈴なりの小都市、宿場町を生んだことに原因があり、結果として、鉄道敷設に寄与している。

12.西欧から教わった土木工事は日本人には手慣れたものだった。築城の技術、伝統的建築技術、鉱山の削堀技術、海岸の埋め立て技術、治水工事技術などを鉄道敷設工事に応用、結集した。

13.職人気質の旺盛な日本人は明治13年には京都から大津までの工事を独自の手で行なっている。

14.大正4年-8年、日本の人口は5,500万人、第一次大戦が始まったために、輸送量が増え、日英同盟の下、艦船や武器を同盟国に輸出し、国富を潤した。さらに、明治44年以降、私鉄の育成策が採られたため、明治44年に総延長975キロだったのが10年足らずで3.3倍の3,227キロになり、国鉄の営業路線は大正8年で1万キロに達した。

15.明治39年ー40年には、各地に私鉄として敷設された鉄道を国有化し、全国的に定刻発車の原則を守るよう指示。

16.昭和も戦後になると、石炭列車から電車による運転が著しく増加、輸送量も増加、信号通信関係も電気を利用するようになり、1920年代には、日本の都市生活の原型も形作られた。地方から東京への集団就職などを含めた移動で東京の人口が急激に増えたことによる。

17.終戦を迎えた後、日本の鉄道は破壊されていたが、物資不足からメンテナンスもできず、疲弊した。そのような状態で走らせたため、機関車のボイラーが爆発したり、車軸が折れたり、扉が壊れて客が外に投げ出されたりといった事故も起きている。(アメリカ駐留軍が東海道本線で白い線の入った一等車にふんぞり返って乗っていたときにそういう事故が起こればよかったのに)。

18.昭和30年移行、電車への傾倒が著しく、これが定時運行に一層貢献した。電車の動力源が電気であるという点はその動力が列車の編成する各車両に分散しているというメリットがあり、かつ、加減速性能がよいという特徴がある。ために、十両を越す長編成でも、二分間隔の運転を可能とした。さらに、電車の採用とそれを生かす手段として、ATS、ATS-Pなどの安全装置の進歩が付随した。現在、新幹線ですら、二分間隔の運転が可能。(そのATS,ATS-Pが稼動するような人為的な動きがなくては折角の技術も宝の持ち腐れではないか)。

19.1分違わずに正確に運行される鉄道への信頼感が、通勤者を企業の業務に遅延せずに就業させることを可能とし、安心感に繋がっている。

20.都内への通勤は372万人が押し寄せる。23区以外の都内から66万人、埼玉県から106万人、神奈川県から98万人、千葉県から88万人、茨城県から8.3万人、栃木県から1.8万人、群馬県から1.2万人。

21.電車の自動ドアはアメリカのドア・エンジン装置のパテントを買い、導入した。

22.東京駅を出て50キロ圏内に3000万人が住んでいる。こういう都市圏はアメリカにも、イギリスにも、フランスにもない。

23.ダイヤが守られていたから国鉄改造は成功したといえる。(私見だが、旧国鉄は膨大な赤字を背負い、すべて国民の血税でまかない、分社、民営化されたとき、右往左往したのはJRの経営者ではなかったのか?日本一、売り上げを期待できる駅構内という場所を持ちながら、その場を活用してはどうかと助言したのは外部の人間だったと仄聞するが、黒字経営に変化したのなら、かつて国民から借りた血税を返却すべきだと私は思う)。

24.鉄道ではなく自動車だったら、渋滞に注ぐ渋滞で、これほどの経済効果は挙げられなかった。

(異論がある。国鉄は国有企業だった。政府は必ず、煙草(JT)をかばっているように、旧国有企業をかばうという悪癖がある。逆に、もし鉄道がなければ、高速道路を8車線にし、国有道路も三倍の幅に広げればよかっただけのことではないか。あの時代なら、それは可能だったのだから。モータリゼーションの時代が来ることは誰の目にも火を見るより明らかだった時代、私や私の同僚は代議士や県会議員を同行、なんどもアメリカの高速道路の視察に行った。ところが、初めてつくった羽田から都心への高速道路たるやたった二車線というお粗末な道路だったし、東名高速にしても、日本の最大都市二つを結ぶ道路が途中から二車線になっていて、いまさら第二東名などを建設している事実は、旧国鉄が邪魔したとしか思えない)。

(その上、現在の日本の基幹産業は自動車である。トヨタが、ホンダが、日産が頑張っているから、ようやく現状の経済がある。ガソリンが値上がりしている上に、違法駐車を厳しく罰することにして、国内の自動車販売は低迷しているが、どういう了見なのか全く不可解。だいたい、自動車産業の隆盛のおかげで、自動車学校が設立され、陸運局ができ、車検制度が制定され、ガソリンスタンドが商売できるようになった。こうした施設の一部には官僚の天下りも相当数に昇る。かつて、全日空の社長に元運輸省の官僚がなったように、JRの元理事が旅行産業各社に天下って、役員を務めている例は過去、現在を通して、枚挙に暇がない)。


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