エコロジー的思考のすすめ/立花隆著

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エコロジー的思考のすすめ

「エコロジー的思考のすすめ」
立花隆(1940年生/ジャーナリスト)著
中公文庫  1990年12月文庫化初版

 私は本ブログで「環境破壊は待ったなしのレベルを超え、既に手遅れかも知れない」とのタイトルで社会時評を書いたことがあるが、作者は上記作品が文庫として世に出る前、1971年(37年前)に、日経の新書版として上梓、人類による自然環境サイクルの破壊と危機に関して警鐘を鳴らしている。先見の明というべきだろう。なお、作者はかつて文藝春秋で記者をしていた頃、田中角栄を逮捕に追い込んだジャーナリストとして有名。

 「我々は工業社会を棄てることが出来ない以上、エコロジーの思考技術を用いて、事象に対する見方、考え方そのものを飛躍させるしかない」という言葉から本書は始まるが、作者のいうエコロジーとは生態学に発想の源を置いている。

 少し長くなるが、本書に述べられているエキスを以下に列記する。

 1.科学が科学であるための条件は(1)論理的であること(2)客観性を持っていること(3)実証的であることだが、生物学は対象となる現象があまりに複雑なため、それを観察し記述することに精一杯で、原理的な探求にまで進むことが長いことできなかった。

 20世紀半ばになって、生物学は突然思いがけない方向に急展開しはじめたが、それは分子生物学の出現による。以前の生物学は細胞以上のレベルをその研究対象としたきただけで、人間の集団、あるいは集団が集まった社会などは心理学や社会学の研究対象だった。分子生物学はこの限界を突破して、分子レベルでの生命現象を解明しようとする。そして、驚くべきテンポで発展し、遺伝情報の解明、遺伝子の合成にすでに成功している。ために、科学に必要条件とされる客観性、実証性、数量化が可能になった。

 一方、生態学は、生物間の関係、同種内の関係と同じく多種との関係を含め、さらには生物と無生物、物質との関係あるいは環境一般との関係にまで踏み込んだ学問となった。

 2.生態学が注目を浴びた直接のきっかけは公害である。どの生物も環境に適応して進化論でいう自然淘汰に耐えて生き抜いてきた。環境が変われば、そこに棲むことのできる生物の種も変化する。生態学は環境の学問であり、生態学を知れば知るほど、環境に対する人間の無知を認識することになる。生態学が教える第一の知恵は自然が複合システムになっていること、自然全体が一つの有機的なシステムになっていることの確認である。

 3.どんな社会であれ、人間は地球システムに対し開かれた状態でしか存在し得ないにも拘わらず人類はこれまで社会のシステムに自然をその一環として採りいれて考えることをしなかった。地球に生息する動植物をすべてあわせた量から計測すれば、人類はわずかな量でしかない。この微小な存在が地球システムに影響を及ぼすほどの存在になったということは驚くべきことだが、人類はまだこのことの重大さに気づいていない。

 4.有史以前から、人間は自然に対して一貫して習慣性の誤解を抱き続けてきた。それは自然が無限であるという誤解である。つまり、自然には対価を払わずに恩恵を利用できるという誤解である。田舎や山に住む人々にとって清水を飲むかぎり、水は無料で入手できるが、都会では水道料金を払わざるを得ない。それでも全人類にとって、呼吸するための空気は無料であり、気圧の恒常性、気候の正しい規則性も無料で手に入れている。この無限の可能性を疑ってみたことすらない。

 5.人間の自然に対する誤解の原因の一つに、自然システムの壊れにくさがある。だから、人間の工業システムの底が抜けているにも拘わらず、そのことを意に介そうともせず、環境破壊に拍車がかかる結果を導いている。社会的なグローバル性だけでなく、自然のグローバル性をも考慮に入れた文明のシステムの成立が不可欠であり、地球のエコシステムを文明圏とする文明を再構築しないかぎり、人類に明日はない。(中国人、インド人、ブラジル人、アメリカ人に言って欲しい)。

 6.自然界は還元者の存在によって成立している。それは驚くほど巧妙に、かつ精密につくられている。志賀高原のある場所の一平方メートルの地面に棲んでいる動物を調べた結果、ミミズ6匹、ムカデ、昆虫の幼虫が3,000匹、大型のヒメミミズが5万匹、ダニ類が7万匹、トビムシが10万匹、線虫が180万匹、原生生物が1,000万匹、バクテリアは一兆を越えたという。人間のこれら微生物たちに対する知識は驚くほど乏しい。農薬は害虫ばかりでなく土壌改良の主である微生物の抹殺を結果する。農地に雨が降ると、川や海に流れ、そこにいる植物プランクトンや藻類が異常繁殖し、水中酸素を摂取するから、魚介類は窒息死する。

 7.「エントロピー増大の法則」とは、自然は放っておくと、無秩序体系に陥ることをいうが、人間は地上に出現した最低のエントロピーの生物である。

 8.地球の初期状態の大気は炭酸ガスを主成分としていたが、植物が生まれ光合成を続けたことで炭酸ガスを消費し、酸素を生産した。そのままだと、大気中の炭酸ガスが欠乏して、酸素だらけになって、植物自体が生きられなくなるが、それを救ったのが呼吸動物の出現で、酸素を吸収して炭酸ガスを吐き出すことで、地上に一定のサイクルが生まれた。このサイクルが安定を欠いたのは人間が化石燃料を利用しはじめてからで、植物群が炭素化合物のまま眠っているものを掘り起こして燃焼させるわけだから、大気の状態が炭酸ガスの過剰状態に戻るのは理の当然。

 9.地球には自然システムの緩衝機能がある。炭酸ガスが増加すると、植物群が刺激を受けて一層光合成に励むようになり、さらに、海が炭酸ガスを溶解してくれる。地球には、これだけ、うまい緩衝システムがありながら、それでも大気中の炭酸ガスが増加し続けている事実は、化石燃料の使用規模が過大になっていることを物語っている。大気は窒素と炭素の循環の一翼を担う以外に、生物にとって重要な機能として、宇宙線、太陽風、紫外線からの防御の役目を負っている。生物は紫外線や放射能に弱い。だから、大気中に酸素が少なかった時代、生物は海中にしか棲めなかった。また、大気は地球の温室効果にも寄与している。

 10.文明がつくってくれた人工的な環境に我々はすでに生理的に適応してしまっている。文明と人間は一蓮托生の関係にあり、自然が文明に対して拒絶反応を示していることに覚醒し、文明のあり方を改変することを怠れば、人類は自滅あるのみ。自然のもつ包容力はすでに限界に達している。人類が死滅しても、地球自体はまったく困ることはない。人類が地上から姿を消せば、たぶん、次に支配権を握るのは昆虫類であろう。

 11.30億年の生命の進化史は地球を舞台にくりひろげられた壮大な「遷移」のドラマだった。魚類の時代は両生類の時代を準備し、両生類の時代は爬虫類の時代を準備し、爬虫類の時代は哺乳類の時代を準備した。われわれ人類は自らの活動それ自体によって環境を存在する上でふさわしくないものに変えてきた。もし、人類が変化した環境に適応できなければ、「遷移の原則」によって、支配権を次の生物に譲らなければならないことは自明だ。

 12.人類の有史以来の人口数の伸び具合を調べてみると、明らかに、人類は人口爆発を起こす寸前の臨界点にまできている。これを抑制できなければ、人類は即座に食と水に飢えるだろう。人類が他の生物と違う点は、危機を意識できること、危機の解決への道を模索できることである。(地球の総人口は戦後の60年余でほとんど倍増している。世界中が同じ意識の下で、危機回避のための努力を傾注できるかどうか)。

 13.人間は自然に対し畏怖心をもつべきだ。現実の自然は常に具体的で、無限に複雑かつ多様で、そこには測定不能のもの、数量化できない要素が満ち満ちている。

 以上、エキスを抽出したが、私は発展途上国が、ことに中国やロシアが資源を有する国や民族に、資源入手の優先権を得るために武器を無償供与し、内乱を煽ったりして化石燃料に固執し、化石燃料の使用量の多いアメリカが京都議定書に積極性を欠き、中国は産業廃棄物をあれだけ垂れ流しながら議定書へのサインを拒否する態度を鑑みるかぎり、「人類は環境破壊を止めることはおろか、危機意識すら希薄」としか思えない。

 世界が同じ目標のもとに協力しあうことはあり得ず、人類が滅亡する日はそう遠くではないだろう。エコロジーは一国がその気になって頑張っても意味はなく、地球の自然サイクルのなかで生きるすべての国と民が、同じ知識レベルで、同じ必死さで、目標に立ち向かわねば、初期の目標を達することは不可能だからである。尤も、自然サイクルが崩壊する前に、現代科学が対応できないウィルスの出現で人類が全滅する可能性も否定できないが。

 いつも思うことだが、立花隆は頭がいいというばかりでなく、洞察力にも鋭いものを持っている。そのうえ、文章がどんなに専門用語を使っても読みやすい


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