Little DJ・小さな恋の物語/鬼塚忠著

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 恋
   「Little DJ」 鬼塚忠(1965年生)

   副題:小さな恋の物語

   ポプラ社 2007年3月初版 単行本

 白血球病の少年が主人公、野球の好きな父の手前、野球少年として登場するが、その実、少年はDJが大好きで、入院した後、院内で院長先生の許可と後押しがあり、DJをしつつ音楽を流すことを始め、一躍院内の人気者になり、症状を良化することに役立つ。

 少年はたまたま怪我で入院していた少女「たまき」を好きになり、少女との出遭いがドキドキ感を誘い、病状悪化を留めることに繋がる。ある日、少年は先に退院していた少女と二人で病院を抜け出して映画を見に行くが、「好き」という一言が口から出ない。

 最後、病状が悪化したあとも、院長は病室で録音し、昼の放送でそれを流すという方法で少年の声を院内で心待ちにしている患者の望みに応えたが、病状はさらに悪化、DJはもう無理だと周囲が言うなかで、院長は「これが最後のDJだ」と録音し、一方で使いを少女に出し、病院に来るように伝える。二人が映画で見た映画音楽を流している院内に駆け込んできた少女は、病室で紙片を拾う。紙には「たまきのことが好きだ、好きだ・・・」と「好きだ」が文字がかすれるまで何十回も書いてある。少女は少年の蒲団を直すふりをしながら、少年にキスをする。そして、少年はこの世から旅立つのだろうが、その場面は書かれていない。

 本書は上記したような可憐で、可愛い恋のストーリーだが、帯広告にあるような「号泣した」「涙なくしては読めない感動の原作本」というほどの内容とは思えないのは、筆のタッチがスピーディーで、軽快すぎるからではないかという気がした。

 もう一つ言えば、キスのあと少年は満ち足りた表情で息を引き取り、少女は涙を流すという形、つまり時系列そのままに書いたほうがより多くの人々を慟哭させたのではないだろうか。本書では、キスのあと、唐突に30年後の少女がDJをやっている話に切り替えているが、この手法がかえって読者の気持ちを悲しみから瞬時に立ち直らせてしまい、ストーリーの流れを阻害してしまったように思われた。とはいえ、読後感は悪くない。

 私個人の話だが、息子が三歳の冬、突然「紫斑病」という訳のわからない病気にかかったことがある。血管の末端が破裂する病気で、ために紫色の斑点模様が肌に出、それがまず足から次第に上に向かっていき、途中で症状を抑制しなければ死は免れないと、担当医師に言われた。点滴され、血液の凝固作用を援ける薬が注入されたことだけは覚えているが、他の治療がどのように行なわれたのか、詳しいことは記憶にない。

 妻は子に付き添って病院にいる。私は会社からの帰途、必ず病院に立ち寄って見舞ったが、自宅にいても容易に寝つけないばかりか、息子を思えば思うほど、涙が止まらない。深夜、2時、木枯しが吹きすさぶなか、車を出し、近くの小さな神社に行き、無神論者の私が神社の庭に土下座して、「息子を助けてください。その代わりに、自分の命が奪われることになってもかまわないから」と、止まらぬ涙とともに訴えた。そのときのことが、本書を読んでいて、克明に思い出された。

 息子が入院した病院には腎臓が悪いために学校に行けず、病院内に教室が設けられ、かなりの数の少年少女がそこで勉強していたが、医師からは「紫斑病は治っても、腎臓病になる確率が50%ある。病院内の教室で勉強している子共のなかにも紫斑病から腎臓を悪化させた子が混じっている」と宣告され、会社にいても、仕事に集中できなかった。幸いにして、息子は腎臓を冒されることもなく春になって幸運にも退院することが出来たが、私にとって忘れることのできない出来事であった。

 本書の少年のように死ぬことにならなかったことは幸いだったと思っているが、本書はこうした個人的な経験をしきりに想起させる内容だった。

 ただ、本書が「泣かせる」ことを目的とした小説だとしたら、浅田次郎の「泣かせ上手」にはまだかなりの差がある。

 

    


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