ロリータ/ウラジーミル・ナボコフ著

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ロリータ

「ロリータ」 原題:Lolita
ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)著
作者はロシアのサンクトペテルブルグ生まれ、革命時にドイツのベルリンに亡命、1940年にアメリカに渡る。
若島正訳   新潮文庫
2006年11月文庫化初版

 

 むかし、「ロリータ・コンプレックス」という言葉が流行し、「ロリコン」と略された。「大人の男が少女を好む性的嗜好」を、本書が世に出てから、そのように表現するようになったと言い換えてもいい。

 当時は「小児性愛者」とか「児童性愛者」などという言葉はなかった。といって、私はこの本を当時読んでいないが、私に少女趣味への関心がまったくなかったからというだけでなく、そういった趣味が奇怪な人間心理に思え、その種の書籍に近づきたいという欲求そのものがなかった。と同時に、本書が「ポルノ小説」だとの評価があったことも読みたいという欲求を棄てさせた一因だった。

 本書に登場する男にとってロリータはほとんど恋愛の対象であり、ロリータだけに固執、拘泥するわけで、少女と性的行為が可能ならどこへでも出かけ、誰とでも性行為をするという今日的小児性愛者とは一線を画している。

 本書のなかで、男のセリフのなかに「ダンテも1274年、フィレンツェで、当時9歳だった少女、ベアトリーチェに狂おしいまでの恋をした」とあったことには驚いたが、本書の主人公の男は12歳のロリータに対してだけ激しい性的欲求をもつ。

 「灰褐色の虚ろな目、煤のような黒い睫(まつげ)、ツンと上を向いた鼻、ブロンドの生毛(うぶげ)」、「かすかに吊りあがった肩甲骨、背骨の湾曲に沿った桃の生毛、引き締まって幅の狭い尻の盛り上がり、海辺の景色を思い出させる女子生徒らしい太腿」、「やさしい夢見るような子供らしさと、一種の不気味なまでの下品さが麝香(じゃこう)と邪悪のなかに混ざりあっている二重性」などという、ロリータを賛美、表現する言葉があるし、ときに官能を刺激する表現もあるが、いわゆる性を表す卑猥な言葉は出てこない。

 著者が本書を書いたのはアメリカに渡った後だが、どこの出版社も上梓を断ったため、やむなく、フランスはパリの「ポルノ小説出版社」から上梓したところ、「ポルノ小説」だという意見と、「優れた文学小説」だという意見とに、真っ二つに分かれて論争となり、それがアメリカに逆輸入される形でアメリカでも出版された。しかも、それまでアメリカでベストセラーの記録をもっていた「風と共に去りぬ」を凌ぐベストセラーとなり、センセーションを巻き起こした。

 本書は、内容的にはかなり饒舌で、センテンスも長たらしく、ときに理解に難渋する。また、よけいな場面や風景を書きすぎている印象もあるが、全編に他の作家にない特異性が流れていることは事実であり、たぶん翻訳された本書より、英語で書かれた原書を読んだ方が、その特異性がより深く理解できるのではないかと推測した。

 ただ、こうした嗜好を持つ異常心理の人間を描き得たということ自体は、作者の逞しくも鋭い洞察力、想像力に負うところが多いとは思うものの、作者自身にもそうした異常性、偏向性を理解できる素質が内在していたのではないかとは思った。

 正直いって、本書を書評することは、ある意味で難しく、かつ逡巡するものがあった。

 本書を読んで得るものがあったかといえば、「変質者は外見上、穏やかで、おとなしく、普通の人間に見えるという点、現今の小児性愛者とも、小児を監禁する男とも相通ずるものがあるように思えたことと、そのような特殊な性的嗜好をもつ人間はむかしもいまも存在するという知見。

 ロシアはトルストイをはじめ、ドストイェフスキー、ツルゲネーフ、チェーホフなどの文豪を輩出した国だが、本書の著者は本国ではどういう評価を受けたのかに興味を覚える。一つには、同じ「ロリータ」でも、英語による原書とロシア語訳とにはかなりの相違があると聞いているからだ。

 さらに、常に不可解に思うのは、アメリカでかつて「Fifteen」という本が出、アメリカの女性が処女を喪失する平均的な年齢が当時は15、6歳であり、相手は大抵の場合、同級生、上級生、卒業生であることを、アメリカの婦人から直接聞いたことがあることから、ティーンエイジャー同士なら性的交渉が認められても、一方が大人だと不法だということには合点がいかない。

 また、男女の関係は一方が中年であれ、青年であれ、性的関心の対象とする相手が同じ年代でなければならないという法律も社会的倫理観もないわけで、当事者が納得する限り、両者の年齢にかなりの開きがあったところで、それは当事者間の問題であって、第三者がとやかくいう筋合いのものではないという気がする。

 さらに、四十代、五十代の女性がホストクラブに通って、若い男性を性的対象に好んで選ぶという風潮さえ存在する。「それとこれとは全然別の話だ」という声が聞こえてきそうだが、それほど差があるとは思えない。なぜなら、若い肌、若い肢体を愛するのは、だれにも共通する嗜好だと思うからだ。徳川家康だって、褥(しとね)には常に若い女を同衾し、若さを保つ努力をしたというではないか。

 本書の翻訳を賞賛する声が批評家のなかに多い(例・丸谷才一氏・朝日新聞コラム)が、私は以前に翻訳されたものを読んでいないので、翻訳上の巧拙、比較について言及する資格はない。

 この本が今なお読み継がれるのは「Lolita」という少女の名前のもつ発音上の魅力と、最後に母音がくることで世界に通用し、人々に馴染ませる効果があるからだと思われる。


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