先生と生徒の恋愛問題/宮淑子著

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先生と生徒の恋愛問題

「先生と生徒の恋愛問題」 宮淑子(1945年生/ジャーナリスト)著
2008年11月20日 新潮社より新書初版 ¥680+税

 帯広告に「わいせつか?、純愛か?、学校という聖域での最大のタブー!当事者たちが明かす禁断の恋の顛末!!」と、生臭く仰々しい言葉が並んでいるが、昔は耳にしなかった話である。最近になって問題としての重みを増したというのなら、最近の人間(教職者を含め)に問題を回避する智恵が失せたか、行為が生む問題への予測能力が失せたかのいずれかであろう。

 本書が声高に叫ぶ「聖域」も「タブー」も現代社会にだけ存在するわけではなく、学校は昔から聖域であり、先生と生徒が時間を共有する場であり、両者間の恋愛沙汰はやはりタブーであった。とはいえ、恋愛も結婚もなかったわけではない。

 本書を読みながら感ずるのは、人間全体が軽くなっていて、軽くなった人間どもが現代社会を構成していることだ。著者が現代社会に発生しているこのような問題を真正面から捉え、世に問う著作としたことに対しては、そのまともな姿勢にも、ことにその神経の太さにも敬意を覚えた。

 状況、条件、当事者の発言などのちょっとした相違で判決が異なり、警察による扱いも起訴、逮捕、任意聴取と異なり、したがっては学校自体は当然としても関係する家族による判断も異なり、そこにコトを好むメディアが入ることで、問題は一層複雑、怪奇になる。そういう状況を念頭に入れれば、読者にとっても労作を労作と評価する以前に内容がこんがらがってしまい、このような折角の労作を読んでも、間違いのない理解に結果したかどうか疑わしい。

 読後感だが、現代の教職者自身に物事を慎重に考える姿勢が欠落しているのではないか。ハイティーンの女性と恋愛関係に陥ってもかまわないけれども、肉体関係をもつにあたって避妊を配慮しないという先生というのは低脳というしかなく、私が女性の親なら殴り飛ばすだろうし、半殺しの目にあわせるだろう。少なくとも、そのままにはしておかないだろう。

 だいたい、十代の男女ではまだ個人としても大人としても、完成度が低い。人間として未完成といっていい。そういう若い人を相手にする以上、それなりの配慮をするのは大人として当りまえの姿勢。

 例えばの話だが、「先生のことが好き」と言ってきた少女がいたら、たとえ独身だったとしても、「私もあなたが好きです。そのことに嘘はありません。ただ、学校には大人の男性の数が少ないから、あなたの目に私が実質以上に良く見えるということがあり得る。卒業して、大学に行くなり、社会人になれば、もっと多くの男性との触れ合いが増えるから、そういう人たちと比較して、それでも私のことが好きで、つきあいたいということだったら、私も喜んでつきあう。結婚を前提としてでもいい」と応ずるのが常軌を逸しない節度ある姿勢というものだろう。

 同じような問題は日本国内だけでなく、少なくとも欧米社会でも大差のない問題となっているはずだから、海外の事情も聴取して加えたら、著作としての評価は高くなったであろう。


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