博士の愛した数式/小川洋子著

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はかせのあいしたすうしき

「博士の愛した数式」 小川洋子著 新潮文庫

 本書を手にした理由は単純だった。

 女性作家が「数学」をいじって文学を創造したことへの、得体の知れないものへの関心といおうか、要するに、内容について私の想像や想定を超えていた。

 解説者がいう通り、「数学と文学」とが和合する姿、形が見えないのだ。 だから、本のタイトルを見た瞬間、「なんだ、これは?」という仰天と、不可解なものへの呆然たる気分が衝動買いをさせることになった。

 冒頭、主人公に「わたしは数学は大嫌いだった」といわせ、その言葉に読者が安堵を覚え、読み継ぐ気力を萎えさせぬように配慮したのかも知れないが、実際、私自身、大学受験時、数学を受験科目にされない学部を選らんだくらいで、本書で頻繁に話題となる古典的な謎、「フェルマーの最終定理」も、それを1993年、イギリス人のアンドリュー・ワイルズ教授によってはじめて証明されたというニュースも知らなかった。いずれ、入手して読んでみたいと思っている。

 10歳の男の子をもつ30歳まえの若き女性が老博士の生活介護をする話だが、博士は1975年で記憶が切れ、以後、記憶の継続は80分間が限界となった。

 博士は介護者に「1-1=0」を示し、「ほら、数字はこんなに美しい」とのっけにいう。そうした関係が継続されるにつれて数学の嫌いだった主人公は次第に、博士のキャラクターに魅せられ、心のうちに数学への憧憬が芽生え、数字の美しさに陶酔を覚えるようになる。

 はじめ、そうしたストーリーの展開には無理があるように思えた。なぜなら、一般に男は自分の専門とする業務や分野について得々としゃべりたがり、女はそれに耳を貸さず、二人の距離は縮まらないというのが普通だからだ。これは男がどちらかといえば抽象論に走り、女は具体論に走るからで、両者の思考形態、嗜好対象に大きな隔たりがあるからだといわれる。

 それが、本書では、数学を通して、博士と介護者の女性と、10歳の男の子の三人が、これ以上ないくらい平和で、思いやりのある空間を、信じられなくくらい豊かに創造していく。

 実の祖父でない博士が10歳の男の子を抱きしめ、若い母親の手に触れたり、さすったり、エプロンを引っ張ったり、またあるときは突然の雷鳴に、女性が博士の袖口に思わずつかまったりする。

 本書は恋愛物語ではない。むしろ、家族愛的なお話である。にも拘わらず、行間からは「愛」と呼べるものがほんのりと、ときに濃厚に匂ってくる。

 さいごに、本書からは「素数」とか「約数」よりも、下世話な話を学んだ。以下、二つ披露する。

 (1)「生まれたての赤子の爪が青黒く変色しているとしたら、それは子宮から出るとき粘膜を引っかいてついた血で、それが固まって濁っているのだ」

 (2)「頭脳明晰な教養ある青年といえども、肉体関係をもった相手の女性が妊娠すると、ただの役立たずの愚かな男になってしまうことがしばしばある」 男は女の体について無知な人が多い。 無知なまま加齢し、無知なまま死んでいく男も少なくない。
 (女が自らの体について無知なケースも僅かではない)。


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