数学者の休憩時間/藤原正彦著

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数学者の休憩時間

「数学者の休憩時間」 藤原正彦(1943年生)著
新潮文庫  1993年2月文庫化初版

 本書は「国家の品格」などに比べると、だいぶ古い1993年の執筆だが、この作者の頭脳を占める「情緒」「思いやり」「ものの哀れ」「男は男らしく」などという言葉が、さすがに、いささかうるさく感じられたというのが正直な感想で、読む順番にミスがあったというべきかも知れない。

 トータル16編のエッセイで構成されているが、最初に「家族のこと」に触れ、唐突に「妻が妊娠した」という話から始まる部分はこれまでにない内容で、「夫が妻の出産に立ち会う」というアメリカあたりでは日常茶飯事のこととはいえ、日本では珍しかった時代に挑戦、おっかなびっくりで立ちあう姿は滑稽でもあり、妻への愛情を感じて、悪い印象はなかった。

 「数学」に触れたエッセイでは、「数学には他の分野と違い、学説というものがない。一度正しいと認められた定理は、たとえば、ピタゴラスの直角三角形の定理が2千年以上前に正しいと認められたが、それは今日でも正しく、今後2千年経っても正しいだろう。だから、数学の内容は単調に増大するだけでなく、後退がないだけ深くなる一方で、どんどん難しくなる」という言葉にはなるほどと思ったし、「むかしは、たとえばパスカルやガロアのように20代そこそこで大きな業績を挙げることが普通だったが、現代では研究の先端に出るまでに相当の時間がかかってしまい、このまま細分化、複雑化、深化すると、この傾向に拍車がかかり、今から百年後には基礎を視野に収めるだけで50歳くらいになってしまうだろう。50歳では、斬新なアイデアは出てこない。過去にも、そういう例は皆無。数学はいずれ一種の平衡状態に達する恐れがある」との言葉にも真実味がある。

 ただ、「アメリカ人の感情には懐かしさというものがない。アメリカ人はだれもが過去において故郷を捨てた人であるから」との言葉には異論がある。故郷を捨てた人、失った人は一代目の移民者であり、二代目以降の人は生まれ育った土地があり、必然的にそこが懐かしい故郷になるはずだからだ。私など東京で生まれはしたが、これまで25回以上転居に継ぐ転居をくりかえし、ここといって故郷などというものはなく、東京で生まれ、育った人にとっては、田舎に故郷がある人が逆に羨望の的になったりもする。

 「マスゲームが嫌い」というのには私も同感。北朝鮮のマス・ゲームには反吐が出るし、だいたい会社に勤めていた時代、組合が主導してストライキなどを起こすと、妙な歌を強制的に歌わされ、さいごには全員に「えいっ」と腕を天に向かって突き上げることまでさせる。私はこういう全体主義、団体行動に徹底的に反抗した。いやなものはいやなのだ。

 「クラシック音楽には若い頃からコンプレックスがあった。自分の家にはレコードを聞けるような蓄音機がなかったから」という言葉には、同じ思いをしたことを想起した。私などは作者の家庭よりもっと貧窮に喘いでいたから、自分が働くようになるまで、レコードにもプレイヤーにも縁がなかった。高校時代、友人の一人がクラシックが好きで、彼の家を訪れたびに、チャイコフスキー、バッハ、ショパン、モーツアルト、ベートーベン、リストなどを聞かされたが、コンプレックスが先にたって、壮大な交響曲を落ち着いて聞いていられなかった。なんとか聞けたのは、「エリーゼのために」「雨だれ」「乙女の祈り」などセミ・クラシックのような、いずれかといえば、オルゴールの対象曲の方が馴染めた記憶が強い。

 伊藤左千夫の「野菊の墓」についてはすでに書評(2006・1・26)しているが、作者は中学生のときにこの本に出遭い、最終編に近づくにつれ、先が読めなくなり、一、二ページ読み進んでは本を閉じつつ、胸を痛めたという話をしているが、私は高校時代に最後まで一気に読みはしたが、やはり最終部分では涙をボロボロとページの上に落としながら読みきったことを思い出す。もっとも、書評したように、現在読んでも、そのように感涙に咽(むせ)ぶようなことはないが。

 本書の白眉は、やはり、「父の旅、私の旅」であろう。作者の父は清水一行であり、絶筆となった作品を書くための取材目的でポルトガルを2か月旅をし、その日程が細かに書き残されていたため、作者はその跡をたどるようにして同じ旅を挙行する。

 ポルトガル人が白人にしては小柄であること、イギリス人やドイツ人、フランス人に比べ、はるかに親切で、物見高いこと、若い娘はけっこう羞恥心が強いことなどを本書から知り、親近感をもった。

 また、喜望峰を発見したヴァスコ・ダ・ガマも、ブラジルを発見したカブラルもポルトガル人であることを再確認しつつ、リスボンから西の端に存在する断崖の岬に、「ここに陸終わり、海始まる」との有名な詩の一節が碑となって立っていることを知った。中世まで、大航海時代を迎える前まで、ヨーロッパ人は例外なく、この岬が「地の果て」だと信じていた。

 なぜかは知らないが解説を担当したのが阿川佐和子で、「読書嫌いの自分が作者の母親である、藤原ていの書いた「流れる星は生きている」に感動し、以来、この家族に親近感をもったらしい。


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