インパラの朝/中村安希著

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インパラの朝 なかむらあき

「インパラの朝」  中村安希(1979年生/2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業)著
副題:ユーラシア・アフリカ大陸・684日
2009年11月18日 集英社より単行本初版  ¥1500+税

 作者は26歳時、ユーラシア、アフリカへの旅を計画、それに約2年を費やすことを決意、女性一人によるバックパックツアーには当然ながらリスクが伴うことを覚悟のうえ、それらへの対応、自己防衛策にも配慮し、持ち込む荷物にも工夫して、気の遠くなるような旅に出る。

 読み始めてすぐ、淡々とした、一見男っぽい、異常に冷めた、構えたような文体に新しい息吹を感じ、「これはこれまで日本には存在しなかったタイプの新しいノンフィクション作家の誕生か」という期待を胸に読み進んだ。

 ページを繰るうち、腑に落ちない、納得できないという気分が私を襲った。一つは、初めに通過したはずの韓国、モンゴルに触れず、中国の上海にも、香港にも触れていず、いきなりマレーシアのいざこざが描写のターゲットになったからで、それもアジアにむかしから多発している「賭博詐欺」という平凡な事件だったからだ。

 そのうえ、作者の意図する主軸も焦点も常に人間関係にあり、各国がそれぞれに持つカルチャーだったり、文化面だったりしない点で、あくまで現地で触れ合った人間とのやりとりがメインである点に固執していることに怪訝な思いに陥った。人間観察が面白いことは解るが、それに執着したことで全体的にバリエーション不足になり、彩りが欠けることになったことは否めない。

 しかも、47か国を踏破したにしては、本書に紹介される国はたいした数ではないし、本書に採用された国にしても、それぞれあたかも嵐のような勢いで通過していまい、意図的にはしょっている印象すらある。つまり、それぞれの土地に対し僅かな量の文章しか割かないという点で、旅の長さと与えられた文章の総量とが齟齬をきたしている感が否めず、本来なら、せめて同じ厚さの単行本を上下巻(上中下でもいい)に分けて、見聞したもの、感受したものなど、個性を生かしつつ、もっと色濃く筆に載せて欲しかった。

 本書の最大の盛り上がりはアフリカで、ケニアの首都、ナイロビに向かって南下する55時間におよぶトラック移動であろう。積載超過がたたって、トラックが何度も、何台も故障してしまい、乗客らは主人公を含め漆黒の闇に放り出されるだけでなく、主人公は凹凸の激しい道なき道を揺られながらの移動中に、予定になかった生理まで始まってしまい、ズボンが血だらけになる場面。

 さらには、アフリカの途次に出遭ったはにかみ屋の子供を自分の子として日本に連れ帰りたくなるが、人間にとって幸福というものが「メシが食えて、教育が受けられること」だけにあるのではないとの結論を自らが納得して諦めるところであろうか。

 しつこいようだが、作者が経験した「リスクが恒常的に存在する国々」を2年におよんで旅をしながら、そうした実感が本書からは匂ってこない。たぶん、なんらかの理由があって、1冊の本に纏めざるを得なかったという事情があったのではないかと想像した。折角の体験が哭(な)いているといった印象。


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