わたしのスターリン体験/高杉一郎著

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わたしのスターリン体験

「わたしのスターリン体験」 高杉一郎(1908~2008/静岡大学、和光大学で教鞭)著
1990年 岩波にて単行本刊行
2008年8月19日 岩波書店  文庫化初版   ¥1100+税
帯広告:偽りの神に翻弄された同時代史を描く

 本書は作者が1930年の党大会の演説に魅せられてから、スターリンへの傾倒と憧憬が瓦解するまでの知的体験をまとめた内容。本書には、必然的ではあるが、アナーキスト、インテリゲンチャ、コミンテルン、ポルシェビキ、プロレタリアート、ブルジュアジーなど、うんざりする言葉が頻出する。

 ロシアに、マルクス主義をベースにプロレタリアート革命が起こり、レーニン、トロツキー、スターリンらが革命を成功裏に導きつつあった時代から、作者はマルクス主義者として、強い関心のもと、アンドレ・ジイドをはじめ、西欧の知識人がロシアを訪れては紀行文や体験談を書いた文献を読み漁り、レーニンがソ連邦となった同盟諸国の個性、習慣、伝統を尊び、それらを生かした社会制度というものを考える姿勢をスターリンが示したことを高く評価、同盟諸国問題の責任者に推し、スターリン時代の招来を確実なものにする。

 ところが、実際には、スターリンはソビエト連邦全体の人民に彼の指示への順応を強い、画一化を推し進め、人々から批判精神を奪い、ヒトラーのドイツよりも人間精神を圧迫、国民は恐怖に怯えるようになった。

 スターリンとトロツキーの確執も、裁判になり、トロツキーは外国にあってこれに対処したが、結局はスターリンが送り込んだ刺客によりトロツキーは殺されている。

 (プーチンはやはりスターリンの真似をしているし、いずれ第二のスターリンたらんと爪を磨いているように感ずる)。

 作者はスターリンに会ったこともなければ、直接接したこともなく、ためにひたすら文献やスピーチの解読などによりスターリンという人物への知識を深めようと努力。

 また、スターリンが政権を獲得したあたりから、国際共通語(エスペラント語)の確立、習得が盛んに行なわれ、作者もエスペランティストの一人だったが、ある時期から、スターリンはロシア語による国際化を言うようになり、エスペラント語は次第に国際舞台から消えていく運命にあった。

 1930年代後半、作者は中国に在って、兵士として戦っていたが、1945年ポツダム宣言を日本が受け容れ、戦争終結とともに、ロシア兵がどっと入ってきたときは、ソビエト赤軍のみせた思いもよらぬ横暴さに激しく落胆、夜盗の集団と変わるところはなかったことにも慨嘆。

 日ソ中立条約(不可侵条約)は1946年まで有効だったはずだが、ソ連は一方的に破棄して、敵国に変貌したことにも納得がいかなかった。日本軍人はすべて抑留、貨車で運ばれ、ウラジオストックから船で帰国かと思っていたら、ウラルへ運ばれたことに再び驚嘆。中国と戦争をしていたわけだから、中国の収容所に送られるのなら観念もするし理解もするが、ソ連の強制収容所に連行される謂れはなく、不可解だった。

 このとき初めて、マルクス主義路線と縁もゆかりもないスターリニズムとの遭遇となり、スターリンがツァーリズム(皇帝時代のやり方)の遺産を受け継いで、流刑制度を日本兵に押し付けただけであることに気がつき、作者が憧憬し続けたソ連邦の基盤が根底から崩壊するのを覚えた。つまり、マルクスやレーニンが描いていた社会とは似ても似つかぬ社会が構築されていた。

 スターリンはレーニンの死後、1924年からイワン大帝にも劣らぬ残忍非道な独裁者としての統治を1953年まで、30年間続けた。その間、世界に存在する社会主義国家のための経済基礎を打ち立てたのは事実だが、プロレタリアート主導でもなく、階級のない社会制度もない国が築かれていった。

 作者は都合4年間シベリアで抑留生活を過ごし、無事に帰還している。

 それにしても、このような古色蒼然とした、すでに決着のついたイデオロギーを中心にした書籍を上梓することに逡巡しない点に、岩波の真骨頂を見た気がした。はっきりいって、いまさら、当時の文献を渉猟して、たとえ新しい発見があったところで、それが価値をなすとは私には思えない。

 日本共産党が、未だに「共産」という文字を党名につけていること自体、理解の埒外だし、脳味噌がおかしいのではないかと、かねて思っている。かれらは本気で、今でも、「共産」を経済の目標にしているのだろうか?


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