なつかしい川、ふるさとの流れ/野田知佑著

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なつかしい川、ふるさとの流れ

「なつかしい川、ふるさとの流れ」  野田知佑著
新潮文庫 2005年6月 文庫化初版

 本ブログで2005年9月に「カヌー犬・ガクの生涯」を書評して以来の、この作者との出遭い。

 前著のガクは既にこの世になく、その代わりにテツとタロウが(両犬ともにオス)が後を継いでいる。

 本書に欠点があるとすれば、同じような話が多いこと、起承転結を意識した展開や特別の盛り上がりがないことかも知れない。

 むしろ、本書は日本に3万は存在するという川という川が数十年前とは様変わりの、清流が濁流へと変化した元凶、建設省と農林水産省を相手に、自然環境の保護とは何かを真っ向から訴えるいるところに力点が置かれているように思われるし、そのことの意義も姿勢も理解できる。

 治水という、日本古来からの問題、なにせ日本の川の大部分はヨーロッパやアフリカ、アメリカの南北大陸に存在する大河と比較すれば、幅が狭く短いばかりでなく、烈しい急流であり、ために、治水には並々ならぬ苦労が各藩にあったはずで、むかしから避けて通れない難問ではあったろう。

 それが、年を経て、戦後、建設省、農林水産省が管轄するようになってから、コンクリートでダムをつくり、堰をつくり、護岸工事を行い、清流が濁流へと、シトロ(自然の状態での川の土砂)がヘドロに、多種の生物が激減したという実態が消しがたくある。

 頭のいい官僚がそれを知らないわけはない。あえてやるのは、裏舞台の建設業界(天下りを積極的に受ける)との癒着と賄賂が理由としか考えられない。

 また、戦後公共事業費の70%もの膨大な予算を獲得して公共事業を行なった実績から、予算獲得の額を減らしたくないばかりに、各地方自治体にダムや堰づくりや護岸工事を「嘘をつきながら」強制したという歴史があるようだ。住民は幾ばくかの現金に目がくらんで、結果を予測できずに、反対運動をやめ、同意した形跡がいたるところに残っている。

 「ダムは50年経てば産業廃棄物になるが、保水力のある樹木を植えて造林すれば、いつまでも保水を保つ」(2007年2月に書評した「魂の森を行け」を参照願いたい)。

 「建設省にたてつけば、建設業界からも威嚇されたり、干されたり、いやがらせを受ける」(談合が未だに繰り返される実態が透けてみえる。談合はむしろ建設省主導のもとになされてきたという気配すらある)。

 「この30年間に、建設省がどのくらいの自然を壊したか、税金をそういう工事に正当に使っているのを証拠だてるために御用学者などを利用している事実」(確かに、公共事業費は日本が世界で最も高い。いくら否定しても、そこに癒着、談合、賄賂が横行していることを国民は感ずいている)。「自然の最大の敵は人間なのだ」は納得する以外にない。

 「日本人は互いにくっつきあって住むのが好き、アメリカの田舎ようにライフルを撃っても落ちた弾丸はまだ自分の土地などという孤立無援の土地では寂しくて生きていけない」これは、たぶん、雄大な景色を目にしたとき、アメリカ人なら一人でその雄大さを噛み締めるところを、日本人なら「すごいね」と語りかける相手が欲しいという差かも知れない。

 「自然に囲まれて至福の時を過ごす人がいれば、人恋しさに苛まれる人もいる。自然に和む人間と自然を恐れる人もいる、人間というのは勝手な生き物」

 「日本人が汚すのは富士山だけではない。アラスカのユーコン川も汚す。(サニタリーの行き届いた民族のすることではない)

 本書から次の文章に遭遇したとき感動した。

 「ウグイスとホトトギスの鳴き声が川の上にこだまする。カジカガエルがルルルと鳴く。山の音にツクツクボウシも加わる。川に身を浮かせ、仰向けになり、空を眺める」

 もう一つ。

 「たくさんの道をはらんだ不気味な夜の闇。ホウホウとフクロウが鳴く。灯りの輪のなかに飛び込んで水面に落ちる蛾。水藻と魚の入り混じった川の匂い。それは子共にとっても神秘的な遊び。一度『夜の漁』に連れていかれた子供は必ず次の日も行こうという。夜の漁はそれほど楽しく、子共にとっては夢の世界」

 個人的なことだが、「セルビン」という漁具がさいごまで理解できなかった。

 こういう人物が日本にいることは、日本もまだ棄てたものではないなという気持ちになる。


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